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おまけ(1)『ミルクの魔法』

「お休みなさい、リョウくん」

「おやすみなさーい」


アヤメがリョウを寝かしつけると、リョウはベッドの端で寝息を立てた。

反対側を向くと、そこにもアヤメの『お休み』を待っている大人が一人。

寝る前の大事な二人の習慣を誰にも邪魔されたくないオランだ。


「お休みなさい、オラン」

「それだけか?」


オランが、決まった答えを促すのも日課。じゃれ合いみたいなものだ。


「今日も大好き…」

「今日だけか?」

「……ずっと好き」


囁きながらアヤメが微笑むと、二人の唇は優しく触れ合う。

『寝る前のキス』という習慣は、今夜も難なく行われた。


だが……そこからは、いつもの夜ではなかった。


部屋の明かりを消し、僅かに手元が見える程度の常夜灯のみになる。

いつもならベッドに横になってオランが抱きしめてやると、アヤメはすぐに眠ってしまう。

アヤメは『調教』により、オランと一緒でなくては眠れない心と体に育て上げられた。

逆を言えば、オランが側にいれば、安心してすぐに寝てしまうのだ。

いつものように抱きしめてやるが、アヤメが一向に寝る気配がない。

目をパッチリ開いたまま、愛らしい上目遣いでオランの赤い瞳を見つめている。


……おかしい。アヤメには眠気がないようだ。


「ホラ、寝ろ……アヤメ」


オランはもう一度アヤメを包むようにして全身で抱き、上を向いたアヤメの唇に口付けた。

抱擁とキスの両攻めだ。これで完全に眠りに落ちるだろう。

思いがけない二度目のキスに、アヤメは目を閉じて静かに呼吸を繰り返す。

よし、ようやく寝たか…と安堵したのも束の間。

唇を離すのと同時に、アヤメはすぐに目を開けた。

嬉しい驚きで、余計に目が冴えてしまったのだろうか。

不審に思ったオランは、アヤメに問いかけた。


「アヤメ、眠くねえのか?」

「うん…なんでだろう」


アヤメ自身も不思議に思っているようだ。


「寝る前に何かしたのか?」

「うーん…さっきディアさんに、飲み物もらって…」

「何を飲んだ?」

「ミルクの魔法でコーヒーをカフェオレにしてもらって…」


……どこかで聞いたフレーズだ。


「飲んだのか?それを」

「うん」


オランは、ようやく理解した。

アヤメは寝る前にコーヒーを飲んでしまった事を。

その行為が引き起こす事態をアヤメは知らない。


「ちょっと苦いけど飲めるようになりたくて、ディアさんにお願いしたの」


寝る前にコーヒーを飲ませるなど、ディアにしては失態だ。

だが、よく考えれば、ディアは主人であるアヤメの要望は断れない。

アヤメが飲みたいと言ったから作った。むしろ役目を果たしたのだ。

アヤメとしても、コーヒーくらい飲めるようにならなくては…という花嫁修業のつもりだった。


「……ミルクの魔法なら、オレ様も使えるぜ」

「そうなの?オラン、すごい!」


少しオランがふざけると、アヤメは純粋な驚きを返してくる。

それどころか、惚れ直したようにキラキラした瞳を向けてくる。

……いや、遊んでいる場合ではなかった。


「アヤメ、教えてやるぜ。寝る前にコーヒーを飲むとな、カフェインで眠れなくなるんだ」


それを聞いたアヤメは、ハッとして恐怖に怯えた。


「カフェインって魔法で眠れなくなるの…!?」


なんだか面白い発想なのでオランは否定はしなかった。


「オラン、どうしよう…私、もう眠れないの?」


アヤメの中では、カフェインという魔法がかかって眠れなくなるという勘違いを起こしていた。

ある意味、間違ってはいないので、オランはそのまま進める。


「オレ様が眠らせてやるよ」

「うん…オラン、お願い」


アヤメは不安に瞳を揺らしながらオランに寄り添った。

オランは、意地でアヤメを眠らせようと思った。

自分がアヤメより先に寝る事など、あってはならない。

アヤメの寝顔を見つめながら眠る。

それがオランの一日を終える前の、幸せな日課なのだ。

カフェインごときに日々の調教が負ける事など、ありえない。

調教とは、愛情の積み重ねだからだ。



そうしてオランはアヤメを寝かしつける為に、あらゆる手を尽くす事になる。

何度抱きしめて、何度キスを与えた事か。

だが、そんな触れ合いを続ければ続けるほどアヤメは幸福に浸り、さらに次を求めてくる。


「……ん……もっと…キスして……」


そんな甘い言葉を囁かれては、オランの方の眠気まで飛んでしまう。

果てしない『調教』と『欲求』の繰り返しであった。

眠るか、眠れないか。

それは、すでに『調教』と『カフェイン』の戦いであった。

そして、いつしかそれは『自制心』との戦いにもなっていた。







次の日の朝、執務室でディアはオランから昨夜の出来事を聞いた。


「それで結局、どうやってアヤメ様を眠らせて差し上げたのですか?」

「強引だが最終手段を使ったぜ」


ディアは、その言葉の意味を想像して、嫌な予感がした。


「魔王サマ……まさか……?」

「ああ、したぜ。一発で上手くいったぜ」


オランは、ニヤリと笑った。対するディアは、全く笑えない。

愛し合う二人の事だ。口出しするべきではないが、リョウも一緒に寝ているというのに…。

ディアがどう返すべきかと迷っていると、オランが種明かしのように続けた。


「したのは『命令』だ」


「……はい?」


「アヤメ、命令だ、眠れ。…それで一発だったぜ」


ディアは、今度は呆気にとられて言葉が返せなかった。

従順なアヤメは、オランの命令には無条件に従ってしまう。

眠れと命令されたから、眠ってしまった。

オランの命令に対して、アヤメの意思に関係なく眠気が作用したのだ。


「魔王サマ……それは命令ではありませんよ…」

「あぁ?なんだよ」


洗脳とか催眠、マインドコントロールの領域では……?

ディアは、行き過ぎたオランの調教を恐ろしく思ったが、口に出さなかった。


「もう、アヤメの寝る前にミルクの魔法は使うなよ」


オランは、ふざけて言ったのではない。

アヤメの純粋な発想が移ってしまったのか、無意識にそう告げた。

『アヤメの寝る前にコーヒーを作って飲ませるな』、そう言いたかった。


「承知致しました…」


そしてディアも深くは突っ込まずに同意するのであった。

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