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第23話『惹き合う法則』

息子が産まれて、子育てに奮闘する日々が始まるかと思いきや……

その日の朝も、同じベッドで目覚めるのは、オラン・アヤメ・リョウの三人。

今までと同じ、変わらぬ朝の風景。

それは何故なのか?





「おはよう、オラン……好き」


オランが目覚めると、耳元で囁くアヤメの声が聞こえた。

まだ寝惚け眼のオランに、アヤメはそっと口付ける。

習慣の『朝のキス』をし終えたアヤメは、満足そうに微笑んだ。

アヤメの反対側で眠るリョウは、まだ起きていないようだ。

その時、いくつかの壁を隔てた遠くの部屋から、僅かに声が聞こえてきた。


「あっ…!大変!」


アヤメは布団を思いっきりめくり上げて飛び起きた。

当然、隣で寝ていたオランに被さっていた布団まで全てめくられる。

オランが寒さを感じるより先に、アヤメは急いでベッドから降りる。

そして、出入り口の扉に向かって駆け出すと、そのまま部屋を出て行ってしまった。


アヤメは寝室を出て、その先の居間を通り抜けて、廊下へと出る。

そして、そのすぐ隣の部屋の扉を開ける。

すると、その部屋ではディアが赤子のコランを抱いていた。


「アヤメ様、申し訳ありません。王子サマが泣き止まず…」


ディアは、泣き声を上げるコランを必死であやしていたのである。

アヤメはディアからコランを受け取ると、自分の腕の中で抱いた。


「コラン、ほら大丈夫、お母さんよ。お腹空いたのかな?」


優しく話しかけながら揺りかごのように揺らすと、コランは瞬時に泣き止んだ。

コランは、オランと同じ赤いルビーのような小さな瞳で、じっとアヤメを見返している。

開いたままの部屋の扉の前に、いつの間にかオランが立っていた。


「やっぱディアに育児は無理なんじゃねえか?」


寝間着姿のオランは、嫌味を言うような口調でディアに言い放つ。

ディアは、主であるオランに臆せずに言い返す。


「いえ。私が王子サマを命に替えてもおまもりします!!」


『おまもり』ではなく『おり』なのだが…。

そして単なる夜間の育児代理なのだが、その熱意が妙に熱く重い。

ディアがコランに向ける愛情は、それだけ本気なのだ。

まるで、今まで行き場のなかった愛という感情を、全てコランに注ぐかのように。

そしてアヤメ自身も、遠慮なくディアに頼っている。


「ディアさんのおかげで私、夜もぐっすり眠れるの。ありがとう」

「はい、お任せ下さい。安心してお休み下さい」

「でもディアさんは、ちゃんと寝てるの?大丈夫?」

「昼寝しますので大丈夫です」


ディアが、がっつり昼寝する時なんてあるのだろうか?

そこは睡眠の長さよりも質の問題らしい。彼は人ではなく魔獣なのだ。


「あっ、やっぱりコラン、お腹空いてるのね。お乳あげなきゃ…」

「オレ様にもよこせ」

「魔王サマ、悪い冗談はおやめ下さい」


夜間は、ディアが哺乳瓶を使ってコランにミルクを与えている。

アヤメが対応できる時は、母乳を与える。

ミルクと母乳、両方で育てる『混合育児』なのだ。


「ホラ、授乳の時間だ。テメエは部屋から出ろ」


そう言って、オランはディアを部屋から追い出そうとする。

ディアは少し不服があるようだが、口には出さない。

それはコランとの時間の名残惜しさか、それとも……。


「では、アヤメ様、王子サマ。私はこれで失礼致します」

「うん。ありがとう、ディアさん」


ディアが退室すると、オランは授乳の準備をするアヤメを無言で見つめる。

それに気付いたアヤメが頬を赤くして、コランを抱いたまま体を横に向けた。


「……や。恥ずかしい」


夫の前で恥ずかしい事でもないのだが、オランはその可愛い反応を見るのが好きなのだ。


「じっくり見せろよ、オレ様の可愛い息子を」

「今じゃなくてもいいのに…お父さんったら、いじわるよね〜ねぇ、コラン?」


オランが見たいのは、息子の顏ではなく…下心全開だ。

純粋無垢な赤子のコランはアヤメの腕の中で、ひたすらに母乳を吸い続けている。



ディアが廊下に出ると、目の前には寝間着姿のリョウが立っていた。

アヤメの様子が気になって来たのだろう。部屋に入りたそうにしている。


「ディアお兄ちゃん。お姉ちゃんは、どうしたの?」


リョウは心配の眼差しでディアを見上げる。

アヤメが突然ベッドから飛び起きて、この部屋に駆け込んだからだ。


「大丈夫ですよ。お部屋に戻って着替えましょうね」


授乳中とは言わずに、ディアはリョウを寝室に連れ戻そうとする。

だが、リョウは納得のいかない顏をしていた。


……何を隠しているのだろう?

……何故、ボクは部屋を見てはいけないのだろう?


リョウの中に、あの時と同じようなモヤモヤとした感情が渦巻いていく。

オランとアヤメが結婚して、すぐの頃。

『自分が邪魔者なのではないか』

という、あの時の寂しさと同じ感情であった。





愛は、人を変える———

オランへの愛情が、少女アヤメを変えた。

アヤメへの愛情が、魔王オランを変えた。

コランへの愛情が、魔獣ディアを変えた。


オランはアヤメを溺愛し、アヤメもオランを溺愛する。

そして、ディアはコランを溺愛する。

まるで、それが運命であるかのように。

惹き合う『愛の法則』であるかのように。





朝の執務室でディアが最初に口にしたのは、意外な申し出であった。


「魔王サマ。外出許可を頂きたいです」

「あぁ?」


オランは、外出という言葉に思い当たる節がなかった。

あるとすれば、以前のようにアヤメの付き添いという意味だろう。


「育児中のアヤメを連れ回すなよ」

「いえ。私一人で外出したいのです」

「あ?なんでだよ」

「その…買い物を、したいので……」


ディアにしては歯切れが悪く、どこか言い辛そうにしている。

さっさと話を進めたいオランは、いつもの言葉で答えを促す。


「さっさと用件を言え、命令だ」

「はい。オムツを買いに……」

「あぁ、オムツか………ハァ?」


意外な単語がディアの口から飛び出たので、オランの理解が追い付かない。


「なんでテメエが買いに行くんだよ!?そんなモン注文しろよ」


「いえ!!私が!この目で!!最高のオムツをお見立て致しまして、王子サマには快適に過ごして頂きたいのです!!」


最高のオムツって何だよ…コランが感想でも言うのか?

魔獣の目は、オムツの目利きとか出来んのかよ?

オランは色々と脳内でツッコむが、ディアの目が本気すぎて鬼気迫るものがある。

まさかディアが、オムツを熱弁する日が来ようとは……。


「……1時間だけだぞ」

「はい、ありがとうございます!!」


未だかつて、こんなに生き生きとしたディアを見た事があるだろうか…。

コランの存在は、すでにディアの生き甲斐ともいえる。

子供が生まれてイクメンになったのは、オランではなくディアの方であった。





ディアのコラン愛は、それだけに留まらない。

オランは、見てしまったのだ。

何気なく育児部屋の扉を少し開けて室内を覗き込んだ時に、偶然それを。

オランは、バン!!っと音を立てて扉を全開にして叫んだ。


「ディアっ!!テメエ、何してやがる!?」


そこには、ベビーベッドで眠るコランの手を取って口元に触れさせているディアの姿。

ディアはオランの方を見向きもしない。


「テメエ今、コランの手にキスしやがったな!?」

「いけませんか?」

「コランと『契約』しやがったな!?」

「いけませんか?」

「反抗的だなオイ!!まだ赤子だろ、勝手に契約すんな!!」


無感情で事務的な返事を返すディアに、オランは苛立つ。

ディアは『契約』を交わした相手に忠誠を誓い、絶対服従となる。

オランとアヤメの二人とは、すでに契約を交わしている。

その『契約の証』とは、手の甲にキスをする事。

ディアは赤子のコランに対して、自らの意思だけで契約を強行した形だ。

こうしてディアは、コランに対しても永遠の忠誠を誓ったのであった。





そんな、ディアやアヤメの育児と愛情を受けて……

コランは順調に成長を続けていた。


「お〜おぁ〜ぁ〜ん……」


「あっ!!オラン聞いた!?コランがしゃべったよ!」

「しゃべったのか?声を出しただけだろ」

「しゃべったもん!お母さん?お父さん?オランって言ったのかな?」

「呼び捨てかよ」





そんな幸せな時間が、ずっと続くと思っていた。

愛も幸せも、契約も誓いも、全てが永遠に続くと思っていた。




人間界と魔界の時間の流れは同じ。

だが、『感覚』が違う。

幸せな時間を過ごす日々は、あっという間に過ぎ去る。


オランは寿命の長い悪魔であり、20代の姿のままで変わらない。

アヤメは指輪の魔力により、17歳の姿のままで体力も衰えずに変わらない。

コランは寿命の長い悪魔の子であり、赤子から成長するまでの期間が長い。

だからこそ、時の流れに気付かない。


姿は変わらなくても、アヤメの寿命は普通の人間と変わらない。

命に永遠はない。

確実に時は流れている。




17歳のアヤメが、オランと出会ってから……

80年以上の月日が流れていた。

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