オランとアヤメは夫婦となったが、正式な婚礼は行っていない。
その為、アヤメは王妃でありながらオランの公務には同行せず、自由の身であった。
そんな今が二人にとって幸せで、有意義な時間であるとも言える。
ある日の朝、自室の居間で二人きりとなったオランとアヤメ。
一人掛けの椅子に座るオランの膝の上で、アヤメはオランに唇を重ねていた。
僅かに開いた口の隙間から、甘い吐息と共に言葉の欠片が漏れる。
「んっ……オラン……す…き……」
オランの腕はしっかりとアヤメの腰を抱き、アヤメの腕はしっかりとオランの肩を抱いている。
気が済むまで熱い温もりを感じ合った後、ようやく二人の唇が離れた。
アヤメは夢見心地の虚ろな瞳を半開きにして、オランの耳元で囁く。
「……着替えてくるね……」
アヤメは、まだ寝間着のままであった。
そう……これは、いつもの『朝の習慣のキス』なのだ。
いつもなら、寝起きの二人がベッドの上で行うはずの、朝の口付け。
今日はアヤメが少し寝坊をして、先に起きて居間にいたオランにキスをした…という流れだ。
結婚してからというもの、習慣のキスも、ここまで情熱的になってきた。
寝室へと戻るアヤメの後ろ姿を見て、オランは心に決めた。
このままでは、朝も理性が持たない。
『居間に長椅子を置こう』……と。
数分後、居間に戻ってきたアヤメの姿を見たオランは、衝撃に言葉を失った。
アヤメが着替えたのは、いつもの着物ではない。
豊満な胸を僅かな布でしか隠さない大胆な上半身、露になった太股。
一瞬、下着と見間違えたが……水着だ。
「どう?これで海に入るの」
アヤメは恥じらいを忘れて、笑顔で堂々とオランの前に立つ。
すでにオランは、アヤメの生まれたままの姿を知り尽くしている。
ついでに言うと、アヤメのスリーサイズの情報もしっかり受け取った。
だが、裸よりも『僅かな範囲の肌を隠す程度』の方が理性を破壊するのは、何故だろうか。
それは服というよりは、一片の布だ。
淡いピンク色のシンプルなビキニである。
アヤメのお気に入りの色、『桃色』。
……例の『禁断のドレス』とお揃いの色だ。
アヤメのサイズに合わせて作られたはずだが、豊満すぎるそれを収まりきれていない。
それにしても、発注していた水着が完成してアヤメの手に渡っていたとは、オランも知らなかった。
そして、アヤメ着用での突然のお披露目。皆でサプライズを仕掛けたとしか思えない。
そもそも、何故ビキニなんて露出の高い水着を発注したのか?
まさか、ディアが気を利かせたのか…?
そんな、以前の『禁断のドレス』の時と同じような考えが次々とオランの脳内を巡る。
「アヤメ、後ろも見せろ」
「うん」
アヤメが後ろを向くと、首の後ろと背中にはビキニを結んでいる紐があった。
緩めで、すぐに解けそうだ。これで泳がせるのは逆に心配でもある。
だが今は……心配するべき事は、それではない。
(クソッ……!なんで長椅子がねえんだよ……!!)
オランは居間を見回すが、テーブルと一人掛けの椅子しか見当たらない。
多少狭いが、今回も一人掛けの椅子で何とかするしかない。
アヤメは、まだオランに背中を向けたままだ。
オランは背後からアヤメに近付き、背中の紐に手で触れた。
「結び方が緩いな。もう少しキツくしねぇと落ちるぞ」
「えっ、そうなの?結び直して、お願い…!」
「あぁ、いいぜ。正面を向け」
「え、正面?」
背中の紐を結び直すなら、背中を向けたままでするべきでは?
アヤメは疑問に思ったが、言う通りに正面を向いて、オランと向かい合う。
アヤメの豊満な胸元も、同時にオランの眼前に迫る。
すると突然、オランがアヤメを強く抱きしめた。
「あっ……」
全身の肌がオランの体温に包まれて、驚きに声を上げる。
アヤメは、ほとんど服を纏っていない状態とも言えるビキニ姿だ。
オランの胸板に押しつけられた、アヤメの一番柔らかい感触。
お互いの鼓動と重なり、波打つようにオランの胸元を刺激する。
「大人しくしてろよ」
「う…ん……」
言われずとも、すでに身も心もオランに束縛されて、身動きが出来ない。
抗う気も起きない。それは『調教』により教え込まれているからだ。
オランは、両手をアヤメの背中に回した。
そして、アヤメのビキニを結んでいる紐を指で掴んだ。
なんだ、背中の紐を結び直してくれるのね…と、アヤメは少し緊張を解いた。
……かと思えば。
オランの指が、器用にビキニの紐を解いていく。
「え…え……?」
だんだんと、胸元を覆う水着が緩くなっていく。
今、アヤメの胸はオランの胸板に押し付けられているので曝け出してしまう事はないが、これって……
オランから離れた瞬間に全てが……。
全て解けたビキニの紐が、アヤメの背中で垂れ下がる。
「やっ、オラン…そんな……紐、結んでぇ…」
動揺と恥じらいで必死に胸を押し付けてくるアヤメを、オランは楽しそうに眺めている。
アヤメが押しつけると、それはオランに心地良い感触を与える。
オラン自身はそれ以上何もせずに、慌てるアヤメの姿を傍観する。
面白い遊びを見付けたとばかりに、オランの意地悪な笑みは止まらない。
「今さら恥じる事もねえだろうが?」
「う……でもぉ……」
オランの言う事はもっともで、すでにお互いを知り尽くしている二人だ。
一緒に入浴もしているが、裸で当然の風呂場という認識から、それは特に恥ずかしいとは思わない。
しかし、今は朝。室内は窓からの自然光だけでも充分に明るい。
夜、薄暗い中で抱き合うのとは違う羞恥心によって生まれた恥じらいが、アヤメを初々しい少女に変えた。
アヤメは水着と同じ色、『桃色』に頬を染めて懸命に伝える。
「オラン……恥ずかしいよ……」
どんなに調教されようと、やはり明るい部屋で堂々と曝け出すのは恥ずかしい。
いや、そこは調教で慣れさせるべき所ではない。
この反応こそが、オランの快楽であるのだから。
「クク…いい反応だ」
「……いじ…わるぅ……」
あんなに濃厚な『朝のキス』を交わした後なのだ。
オランはすでにその気になっていたが、アヤメを見て思った。
このまま強引に押し倒してもいいが、アヤメもその気にさせておくべきだと。
……そういえば、まだ水着の感想を伝えていなかった。
そうなれば、アヤメを思い通りにさせるのは簡単だ。
拗ねた顏よりは、やはり笑顔がいい。
「アヤメ。その水着、可愛いぜ。最高だ」
「え、ほんと…?…嬉しい……」
困惑の表情から一変して、アヤメは思い通りの明るい笑顔を見せた。
アヤメをその気にさせるには、褒めてやればいい。それが調教の基本なのだ。
当然、その感想はオランの本心でもある。
オランは、抱きついているアヤメを体全体で強く押していく。
押されたアヤメは一歩、また一歩と、少しずつ後ろへ下がる。
アヤメの後方には一人掛けの椅子がある。このまま押し倒す気なのだ。
その時だった。
ギィ……
居間の出入り口の扉が、軋んだ音を立てた。
ハッとしてオランが扉の方に視線を向ける。
いつの間に扉を開けたのか、その扉の向こう側には、ディアが立っていた。
一瞬、場の空気と時間が凍り付いた。
水着姿…いや、下着姿にも見えるアヤメとオランが、抱き合っている。
それを見てしまったディアは無言・無表情で立ち尽くしている。
アヤメはオランから離れる事が出来ないので、抱きついたままだ。
同じくオランも、アヤメから離れる訳にはいかない。
離れたら、水着が落ちて全てを曝け出してしまう。
(オレ様とした事が……鍵をかけ忘れ……)
オランがそう思った時には、もう遅かった。
ディアは無表情のまま、外からそっと扉を閉めて立ち去った。
……まるで、何も見なかったかのように。
無言のディアほど怖いものはない。
結局、その直後にリョウも起きてきたので、オランとアヤメは『何事もなく』終わった。
「魔王サマ。今日のご予定ですが……」
その後、執務室で顏を合わせたディアは『何事もなかったように』仕事を始めた。
何も言わないのなら、こちらも何も言うまい。
だがオランは、ディアに1つだけ言う事があった。
「ディア、居間に置く長椅子を発注しろ」
「椅子は足りていたはずでしたが」
心なしか、ディアの対応が冷淡に感じるのは気のせいだろうか。
「押し倒……くつろぐのに必要なんだよ」
「あぁ……承知致しました」
多くは語るまい。ディアは、オランの言葉で全てを察した。
これからは、居間に入る時も油断はできない。
最低限、ノックはしよう。
そう心構えをするディアであった。
後日、念願の長椅子が居間に置かれた。
しかしアヤメは毎回、一人掛けの椅子に座っているオランの膝の上に乗ってくる。
長椅子に移動する間もなく抱きつかれて、キスをねだるのだ。
「アヤメ、そこに長椅子が……」
「……や。ここがいいの」
「…………」
アヤメにとって一番、居心地の良い場所。
それは長椅子ではなく、オランの膝の上だったのだ。
多少狭いが、一人掛けの椅子も悪くはない……。
膝の上で甘えるアヤメを堪能しながら、オランは考えを改めた。
結局、長椅子は本来の用途で使われる事となった。