目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
第13話『漆黒のパーティー』

そうして数日後、『魔王生誕パーティー』は開かれた。

会場は王宮内の大広間。

主に魔界の貴族や要人が招待客として参加する。

何千年も生きる魔王が毎年行う恒例行事であり、過去何回開かれたかは定かではない。

細かい事は気にせず、交流を目的とした食事会であり、気楽なイベント感覚なのだ。




「うわぁ〜リョウくん、可愛い!!」


パーティー前の控え室で、礼服に着替えたリョウを見たアヤメが感動の声を上げた。

リョウが着ているのはフォーマルなベストにシャツ、首元には蝶ネクタイ。

魔界の礼服なので全体的に黒を基調としている。

天使のイメージとは正反対の色だが、それが逆にリョウの白い肌、水色の髪と瞳の透明感を際立たせている。


「ありがとう〜お姉ちゃんもキレイ!」

「わぁ、ありがとう、リョウくん」


そう言うアヤメは、例の『漆黒に染めた』ドレスだ。

……後ろ前ではない。正しく着ている。


「アヤメ、来い」


楽しそうに褒め合ってるのが面白くないオランが、意味もなくアヤメを呼び寄せた。


「うん」


アヤメはもちろん、呼ばれて嬉しそうにオランの側に歩み寄る。


「オラン、どう?このドレス、オラン色なのよ」


そう言ってアヤメは、オランの前でくるっと一回転してドレスをふわっとさせた。

どうと言われても、先日見た通りのドレス姿なので、新たな驚きはない。

何度でも綺麗だと言われたい、そんな乙女心なのだろう。

だからオランは、何度でも同じ答えを返してやる。

オランも、アヤメの期待を決して裏切らないのだ。


「あぁ、今日も綺麗だぜ」

「ふふっ、嬉しい」


だが、先ほどのアヤメの言葉に気になるものがあった。

アヤメの言う『オラン色』とは一体?


「さっき、何色だって言った?」

「オランが染めてくれた色だから、オラン色」

「…………」

「なんだか、オランに包まれているみたい……」


そう言って、アヤメは目を閉じて自分自身をぎゅっと抱きしめた。

純粋に思った事を口にする、これが魔王をも魅了するアヤメの可愛さだった。

今後、黒という色はアヤメの中で『オラン色』になりそうだ。


(……やべえ……今すぐ包みてぇ………)


要は、『今すぐにでも肌で抱きたい』。

もはやドレスだけではなく、アヤメの身も心も自分色に染め尽くしてやりたい。

……どうも、ドレス姿のアヤメには心を乱されてしまうオランであった。

これで、もし『後ろ前』の姿であったら、自制心はとっくに崩壊している。

そんなオランの下心も知らず、アヤメは真直ぐにオランを見つめている。


「オランはいつもの服なの?」

「これが正装なんだよ」


そう言うオランの服は、いつもの黒衣に黒いマントの、黒ずくめの服だ。

普段から礼服を着ているようなものなので、服を新調する必要はない。

面倒くさがりなオランは、自身の服に感心はなかった。

その時、控え室の扉が開いて、ディアが入ってきた。


「ご準備はよろしいですか?そろそろお時間です」


そう言うディアの姿を、アヤメが無言でじっと見つめている。


「え?な、なんでしょうか?」


いつも冷静なディアだが、アヤメの熱い視線を受けて珍しく動揺を見せる。


「ディアさんも、いつもの服なのね」


ディアの服は、いつもと同じくスーツと軍服を合わせたようなグレーの服。

服に注目されているのだと気付いて、ディアは冷静さを取り戻した。


「これが正装ですので」


澄ました顏で、オランと同じ回答をするディアであった。





パーティーの開始は、夜空に月が浮かぶ時刻。まさに夜会だ。

パーティー会場は、城の一角にある大広間。

オラン達がそこに入った途端に、待ち構えていた女性達が群がるようにして押し寄せてきた。


「魔王様、お久しぶりです。ご機嫌麗しゅう」

「あぁ、久しぶりだな」

「魔王様、わたくしの事、覚えていらっしゃいますか?」

「あぁ、覚えてるぜ」

「魔王様、ダンスのお時間では、是非お相手を…」

「あぁ、後でな」


口々に魔王のご機嫌取りと自己アピールを始めた。

全ての女性を把握しているらしいオランは、手慣れた様子で短く返事を返していく。

どの女性も魔界の貴族だろう。煌びやかな黒のドレスを纏っている。

彼女達は、オランのすぐ近くに居たアヤメの姿など視界に入っていない。


(えっ……どうしよう……)


圧倒されたアヤメは、後退るようにしてオランから少し離れてしまった。

女性に取り囲まれる形になったオランを遠目で見て、自分だけが取り残されてしまったようだ。


(仕方……ないよね)


オランは魔王だし大人だ。社交辞令だってあるし、女性との関わりだって……


(王妃になるんだから、このくらい…しっかりしなきゃ…)


自分も、もっと大人にならなくては。

モヤモヤする心を抑えて、さらにオランから離れて少し先にあるテーブルに向かう。

この会場にはテーブルがいくつも置かれていて、立食形式なのだ。

やはり気になるので、オランの姿が見える位置のテーブルの前に立った。

すると、そのテーブルの向かい側に立っていた女性がアヤメに話しかけてきた。


「あなた、どちらの国のお姫様?」

「えっ!?」


アヤメは驚いて、大げさすぎる程の声で反応してしまった。

目の前の女性は見た所、褐色肌からして悪魔の貴族だと思われる。

長い銀髪に大胆な胸元。長身でグラマラスな大人の女性だ。


「……日本です…姫じゃないですけど……」


アヤメは正直に答えてしまった。


「聞いた事ない国ね。こういうパーティーは初めて?」

「…あ、はい」

「食事はビュッフェ形式なのよ。あっちのテーブルから自分で持ってくるの」


笑顔で話しかけてくる女性に悪意はなく善意なのだろう。

挙動不審な異種族の少女を気にかけてくれたのだ。

だがアヤメは食事よりも、オランの方ばかりを気にしてチラチラ見ている。

まだ、次から次へとオランに寄って行く女性達…終わりが見えない。


「……もしかして、あなたも魔王様お目当てかしら?」

「え!?」


アヤメは無意識にオランの方ばかりを見ていたので、驚いて急に我に返った。


「魔王様って男らしくて逞しくて女性に優しいじゃない?」

「え、はい……そうかも……」

「それでいて一度も妃を取らないんだから、誰もが惚れて狙う訳よねぇ」

「誰もが?」


アヤメには衝撃だった。

オランは、女性の誰もが惚れる……『モテる』という事を知ったのだ。

一緒に暮らしていて、毎日一緒に寝て、起きて……口付けを交わして。

オランと過ごしていた時間の中には、他の女性の存在など考えられなかった。

確かにオランが魅力的なのは、アヤメが一番よく知っている。


筋肉質で逞しい褐色の体……

宝石のように赤く美しい瞳……

紫に銀を足したような輝きの髪……

そして、甘く優しい唇……


オランの事を考えていたら、アヤメの顏は急に熱を帯びて火照ってしまった。


(私も…気付いたらオランの事……)


いつからオランの事を好きになったのだろう?

今までの事を思い返してみて、時期的な境界線が思い浮かばない。


生贄として魔界に連れてこられて、毎日キスするのが習慣だと教わって…。

オランの手にかかれば、女性を落とす事など容易いのだろう。

だがオランは女性に寄られる事はあっても、あえて自ら近付こうとはしない。

アヤメに近付いたのも、最初は『契約者』として利用する為であった。

アヤメを魔界に連れ帰ったのも、何かの気まぐれでしかなかった。

それが、オランの一目惚れであったのかは分からない。


魔王を本気にさせた、初めての女。

そして、本気で落としにかかったのだ。

……恋すら知らない、純粋無垢な『アヤメ』という少女を。

そして、アヤメは完璧に落とされたのだ。

オランが『モテる』のは、魔王という地位だけではないという確かな証拠だった。


「あら、ごめんなさい。すでにお相手がいるのね」


女性のその言葉に、アヤメはハッとして再び意識を現実に引き戻した。

何の事か分からずに女性の視線の先に目を向けると、それはアヤメの左手だった。

薬指の婚約指輪だ。


「あっ…!」


アヤメは反射的に指輪を隠すようにして右手を乗せた。

さすがに魔王の婚約者だとは気付かれないが、照れ隠しだと思われたのだろう。

女性はニコニコしてアヤメを見ている。

だが…アヤメは自分の無意識の行動に戸惑った。


なぜ指輪を隠す必要があるのか?

なぜオランの婚約者だと堂々と言えないのか?


この指輪をくれて、永遠の愛を誓ってくれたオランの事は信じている。

間違いなく愛している。

なのに……これ以上、何を望んで、何を不安に思うのだろうか。

僅かに視線を動かして、少し遠くにいるオランに目を向ける。

人に埋もれて、オランの姿は見えない。


魔界には魅力的な女性が沢山いる。例えば、目の前の……。


悪魔の特徴なのだろうか、どの女性も長身でスタイルが良い。

人間のアヤメは長身と言える程でもなく、髪と瞳は栗色で、金や銀の髪よりは見劣ってしまう。

……比べても意味はない。自分には他にないオランの愛があるのだから。


でも………


(なんでオランは、私を選んでくれたんだろう…?)


初めて目にした煌びやかな会場、煌びやかな女性。

そして誰もが認めるオランの魅力に気付いてしまった時。

アヤメの中で生じてしまった疑問が、年頃の乙女心の不安を加速させていった。


アヤメは突然、思い立ったようにテーブルから離れた。

孤独から逃れるように、誰かを求めて会場を歩き回る。


オランの方は見ない。まだ知らない女性達に囲まれているのだろうから。

ディアを見かけるが、客人の案内や対応で忙しく動いている。

その現実からも逃れようと、アヤメは無意識にリョウを探した。


広い会場内で、オランの居る場所の他に、もう1つの人だかりを見付けた。

アヤメは足を止めて、遠巻きにそれを見た。

そこには、悪魔の女性達に囲まれたリョウの姿があった。

見た目3〜4歳の小さなリョウは、長身の女性達に囲まれて埋もれてしまいそうだ。


「可愛い〜!!ボク、お名前は?」

「ボク、リョウだよ。天使なの」

「天使のボクが、なんでここにいるの〜?」

「わかんな〜い!」

「羽根、フワフワで可愛い〜!!」

「えへへ、ありがとう、お姉さんもキレイ〜!」

「きゃ〜カワイイ!!ねえ、お姉さんと一緒にジュース飲もう?」


天使が魔界に居るというだけでも珍しいのに、幼い子供だ。

その愛嬌と物珍しさから、女性達が次々と寄っては可愛がっている。

アヤメは立ち尽くしたまま、唇をギュッと噛んだ。


……どうしたんだろう私、泣きそう……


アヤメはその場からも離れて、料理が置かれたテーブルから飲み物のグラスを取った。

それを一気に飲み干すが、味など分からない。

高級な料理なのだろうが、何を取って食べても美味しいとも思わない。


一人だから、だろうか……。


一刻も早くこの空気から逃れたい、そんな衝動が自然と足を動かした。

アヤメは人目を盗みながら、中庭へと繋がる扉をそっと開いて外へ出た。

熱気に溢れた会場内とは打って変わって、外のひんやりとした空気は肌を痛いほどに刺激した。

その温度差を実感したアヤメは溜め息をついた。

控えめな照明で照らされた中庭は薄暗い。

空を見上げると、少し欠けた満月に満たない月が輝いていた。


漆黒の空で存在感を放つ月の輝きと、周りで控えめに瞬く星々。

それはまさに、オランと…その他の女性達のようだ。


賑やかなパーティーの最中、中庭に出ている人など他に誰もいない。

厚い扉で隔たれた中庭は、とても静かだ。

虫の音も聞こえず、風も吹いていない。


本当に今、一人なんだ……


見上げていた顏を伏せると、堪えていた涙がポロポロと落ちて足元の土を湿らす。


あの時、オランから離れなければ良かったのに。

私はオランの妃になるのだと、堂々と言えれば良かったのに。



「アヤメ、なんで泣いてんだよ?」



静寂の中に、誰かの声が響いた。

少し高めの少年の声。

アヤメが驚いて、声のする方……前方に立つ木を見上げた。

少し低めの木の太い枝の上に立っていたのは、10歳ほどの少年。

欠けた大きな月を背後に、逆光で銀髪を輝かせながらアヤメを見下ろしている。

月光の明るさとは対照的な漆黒のコートを身に纏っている。

その印象的な姿を、アヤメは忘れるはずもない。


「グリアくん…!?」


その少年は、アヤメが人間界の森で出会った、死神の少年だ。

今は鎌を持っていないので、人から恐れられる死神らしさは感じない。


「よっと」


グリアは木の上から飛び降りると、トン、と軽い音を立てて地面へと着地した。

アヤメは驚いて涙も止まってしまった。急いでグリアの方へと駆け寄る。


「グリアくん、ここ魔界のお城だけど、大丈夫…!?」


アヤメがグリアに最初にかけた言葉は、彼の身を案ずるものだった。

ここは魔界の王宮内だ。今日はパーティーで、魔界の貴族も多く集まっている。

警備も強化されているはずで、見付かれば確実に侵入者として排除される。

そもそも、どうやって警備の目を擦り抜けて来たのか…?

そんな心配も疑問も、グリアは全く気にする素振りがない。


「大丈夫だって。オレ様は死神だぜ」


得意げに言う、その言葉と口調。

『オレ様は魔界一の悪魔だぜ』と、いつも言っているオランに似ていて、アヤメは思わず笑ってしまった。


死神とは人間の魂を狩って喰らう種族であり、悪魔は標的にされない。

だからこそ、悪魔は死神に対する警戒が弱い。

しかも、まだ子供であるグリアの魔力は弱く、気配も感知されにくい。

グリア自身も、まるで近所から遊びに来たような警戒心の無さだ。

年相応の子供らしい無邪気な笑顔を向ける。


「アヤメの気配を追ってきたら、ここに着いたんだ」

「私の気配?分かるの?」

「生命力だよ。『口移し』しただろ?」

「あっ…!!」


アヤメは、あの時の事を思い出して、思わず口を片手で覆った。

グリアに生命力を与える時に、口移し…キスされてしまった事を。

その時にグリアが吸収したアヤメの生命力と同じ気配を辿って、グリアはここに辿り着いたのだと言う。

……至難の業にも思えるが、なんとも器用だ。


「それにしても驚いたぜ。アヤメは姫だったのか?」

「……え?」


唐突なグリアの質問の意味が分からなくて、アヤメは聞き返した。


「だって城のパーティーに来たんだろ?」


王宮のパーティーには、貴族しか招待されないからだ。

グリアに言われて、アヤメは自分がドレス姿である事を思い出した。

グリアは、アヤメが魔王の婚約者であるという事実は知らない。

だがアヤメは、あえてそれを教えようとは思わなかった。


「私は姫じゃないよ。偉くないし、綺麗でもないし…」


先ほどまでの孤独を思い出して卑屈になったアヤメは、再び瞳を潤ませた。


「こんなんじゃ私、お嫁さんになんて……」


「アーヤーメ!」


グリアが、ズイっと顔面を近付けてきた。

間近で見るグリアの瞳は、紫水晶のような色の深みと透明感が美しくて……

オランの深紅の瞳とは、また違った魅惑の瞳だ。


「なら、オレ様とケッコンするか?」

「ええっ!?」


アヤメは結婚という言葉に即座に反応して声を上げた。まるで拒絶反応だ。


「だって、アヤメを泣かせるヤツなんかより……」


グリアのその言葉の続きを遮るかのように、アヤメが声を上げた。


「それはダメ!もう決めてるの!大好きで結婚するって約束して、それで私、もうすぐお嫁さんになるんだから!!」


そこまで一気に言い終えて、息継ぎを忘れていたアヤメは息を切らした。

グリアはアヤメの勢いに目を丸くしたが、すぐに笑い出した。


「それは前に聞いた。だから、今すぐじゃねえ」

「……え?」

「オレが大人になったら、来世のアヤメを守ってやる」

「えぇ?また来世の話なの?」


この死神は、アヤメの来世の姿…アヤメの『生まれ変わり』と結ばれる気らしい。

死神は悪魔と同様に寿命が長い。現実的には可能だ。

グリアは自分がまだ子供だと認めた上で、婚約者のいる現世のアヤメには見切りを付けている。

潔く、前向きで、執念深い…とでも言うのだろうか。

だが、アヤメの心は決まっていた。


来世でも、何度生まれ変わっても、永遠にオランと結ばれたいと。

この魂は、永遠にオランと共に在りたいと。


そう思ったら急にオランが恋しくなって、今すぐに会いに行きたい衝動に駆られた。

いつの間にか、寂しさよりも愛しさが勝っていた。


「グリアくん、来てくれてありがとう。元気出てきたよ」

「なら、何度でも会いに来てやるよ」


向かい合う二人が同時に笑顔を交わした。





その頃のオランは女性に限らず、魔界の貴族や要人の対応に追われていた。

立場上、こういった交流は社交辞令とは言え疎かにできない。


オランは、アヤメが側から離れてしまった事には気付いている。

ほんの一瞬、少し離れた場所に立つディアに視線を向けた。

一瞬の目配せだが、ディアはオランからの合図を確かに受け取った。

承知の合図として、ディアが僅かに頭を下げた。

ディアはすぐにその場から離れて、アヤメを探しに会場内を歩き回る。


魔獣であるディアが人並み以上の視覚で隅々まで見て回るが、アヤメの姿はない。

会場内にはいないと確信すると、次に思い付いたのは中庭だった。

今夜は満月ではないので、ディアは迷わずに中庭へと通じる扉を開けた。

……満月の夜だと、ディアは魔獣の姿に戻ってしまう危険性があるからだ。


そして、中庭に出てすぐにディアが見た者。

魔獣の鋭い眼はアヤメを越えて、その奥に立つ死神の姿を真っ先に捉えた。

それは、敵を認識する為の本能だ。

ディアは咄嗟の判断で、懐から小型の銃を取り出した。


「アヤメ様っ!!離れて下さい!!」


突然の叫び声に驚いたアヤメが振り返ると、ディアが拳銃を構えている。


「ディアさん!?」


ちがう、グリアくんは敵じゃない……

そう言いたいアヤメだったが、その気迫にたじろいで声が出ない。

アヤメがグリアから離れないと、ディアは撃つ事ができない。

それを知ってか、グリアはわざとアヤメの前に歩み出た。

ディアと正面から向かい合う形になる。


「へぇ……魔界の犬が、オレ様に勝てるか?」


ディアが向ける銃口を恐れもせずに、グリアは皮肉をこめた笑みの口元を見せて返した。

グリアは一瞬で、人の姿をしているディアを犬の魔獣だと見抜いた。

少年とは言え、ただの死神ではなさそうだ。

だが死神と言えば、人間の魂を狩る者。

魔界で人間と言えば、アヤメしかいない。

……アヤメが狙われたと思われて当然だ。



死神の少年と、魔獣の青年が対峙する。



「死神…!主に危害を及ぼす者として、排除する!!」


その言葉と同時に引き金を引き、ディアが銃弾を放った。

……いや、それは銃弾ではない。

発砲音もなく、鋭く真直ぐに放たれた青白い光線。

それは、ディアの『魔力』そのもの。

ディアは弾丸の代わりに、自らの魔力を銃に込めて放つのだ。

本来の魔獣の姿を封印されているディアだが、その魔力は岩石を貫くほどの威力を持つ。

この時代の日本では鉄砲が伝来したばかりで、アヤメにとっては驚くべき光景だった。


「……甘いぜっ!!」


グリアは一瞬にして『死神の鎌』を手元に出現させると、横に斬るようにして振って光線を弾き返した。

その拍子に、今度は高く飛び上がった。

子供が持つにはアンバランスな大きな鎌を持ちながら、軽い身のこなし。

グリアの姿が背後の大きな月と重なると、銀色の髪と鎌の刃先が煌めく。

狙ってこい…と、まるでディアを挑発するようだ。

ディアは、グリアが地面に着地する前に仕留めるべく、再び照準を合わせる。

だが引き金を引く前に、アヤメがディアの前に立ちはだかった。

まるで、グリアを庇うような形で。


「ディアさん、待って!!あの子を撃たないで!!」

「アヤメ様…!?」


アヤメの制止に、ディアは戸惑った。

事情や状況を把握するよりも、アヤメを守る事を最優先として動いたのだ。

ディアとしても『急所』は外して狙っている。

だが、主人であるアヤメの『お願い』を拒む事は出来ない。

その隙に、アヤメは体を反対側に向けてグリアの方へと駆け寄った。

地面に着地したグリアは、アヤメの思惑を読み取った。


「ほら、アヤメ!!」


アヤメに向けて、右手を真直ぐに伸ばした。


「うん、グリアくん…!!」


アヤメも、グリアに向けて左手を真直ぐ伸ばした。

グリアの手が、アヤメの手に重ねられた瞬間。

アヤメの左手の薬指の指輪が、赤い光を放った。

同時に、グリアも同色の光に包まれた。

『空間移動』の魔法が発動したのだ。

グリアの魔力と、アヤメの指輪の魔力が合わさる事で使える魔法。

……アヤメが人間界の森でグリアと出会った、あの日。

アヤメが魔界に帰る方法として使った、あの時と同じ魔法であった。


「また会いに行くからな、アヤメ!!」


グリアは、やはり近所に遊びに行くような軽い口調で、そう告げた。

また会えるのが、いつなのか…どういう形なのか。そこまでは分からない。

だからアヤメは、また…こう返すしかなかった。


「またね、グリアくん」


次の瞬間、光に包まれたグリアの姿は一瞬にして、その場から消えた。

グリアの行き先が、どこかは分からない。

『空間移動』の魔法は、グリアが望んだ場所が行き先となる。


ようやく緊張感から解き放たれたアヤメは、力を抜いてフゥっと息を吐いた。

振り返ると、目の前には何とも言い難い表情のディアが立ち尽くしていた。

再び、この場に緊張感が走る。

アヤメはディアと向かい合うと、気まずそうに苦笑いした。

笑ってごまかそうとした訳ではない。困ると無意識に笑ってしまうらしい。


「アヤメ様…」


ディアが何かを言いかけた、その時。


「アヤメ!!」


ディアの声に重なるように、力強い声が聞こえてきた。

会場側に立つディアの後ろから、オランが駆け寄ってくる。

ディアは振り返らずとも、その声の主が誰であるかは分かる。


「……オラン!!」


アヤメが、ディアの背後まで届くような大きな声で、その名を叫んだ。

オランがディアの横を通り過ぎる時、ディアだけに聞こえるような小声で囁いた。


「結界を強化しておけ。……後は任せろ」


アヤメの気配を死神に感知されないように、城と魔界全体の結界の強化をディアに命じた。

グリアは、アヤメが城に住んでいるとは思っていない。パーティーに呼ばれた客だと思っている。

気配を感知できなくなれば、グリアはアヤメを追う事ができない。

ディアに目も合わせずに通り過ぎたオランに対し、彼もまた小声で返した。


「……承知致しました」


ディアは二人に背中を向けると、パーティー会場の扉へと歩いて向かった。


オランは息を切らしながら、アヤメの前に立つ。

ディアが放った魔力を感知して、急いで駆け付けたのだ。

アヤメは長身のオランを見上げて、喜びで心が満ちていくのを感じた。


「…ったく、オレ様から離れるなって言ってんだろ」


優しさも気遣いもないオランの言葉に、アヤメは落胆した。

子供を叱るような口調で言うものだから、アヤメは怒りを込めて返した。


「……なら、離さないでよぉ……」


女性に囲まれていたオランを見て、まるで自分の事など忘れてしまったかのようだった。

アヤメは嫉妬していたのだ。

悲しくて、寂しくて、自然とオランから離れてしまった。

……探して、追いかけて来てほしかったから。

いつもだったら、オランが来てくれたら嬉しくて抱きついてしまうのに。

でも今は悔しいから、不機嫌なふりをしたいとアヤメは思ってしまう。


「ほら、アヤメ」


オランが両手を広げて待ち構えている。この胸に飛び込んで来いと。

それで機嫌が直るとでも思っているのだろう。

やはり、悔しい。

グリアの事も、何があったのかも問い詰めてこない。

ただ、アヤメを抱きしめようと、真直ぐに手を伸ばしてくる。

いつもみたいに『命令だ』って言えば、何もかも話すのに。

素直に、その胸に飛び込んで行くのに。

何も言わない、その優しさが……ずるい。


「オランの……ばかぁ……」


泣き出しそうな瞳で言葉を吐くと、オランの方からアヤメを包み込んだ。

何度も包まれた温もりの心地良さに、アヤメは全てを忘れて身を任せてしまいそうになる。

これが、オランの『調教』なのだろう。

でも今は、その『調教』に必死に抗う。それで全てを収められてしまうのが悔しいから。


「ばかぁ……オラン、なんか……きらい……」


オランの方から確認はできないが、おそらくアヤメは泣いている。

声も身体も震わせて、それでも必死に言葉だけはオランに抵抗しようとしている。


「あぁ?…聞こえねえなぁ」

「……きらい、きらい……きらい……」


アヤメの口から一度も言われた事のない言葉が、オランに向けて延々と連なる。

またしても突如、反抗期のスイッチが入ってしまったかのように、それは続いた。

『きらい』と言いながら、アヤメはオランの背中に腕を回し、強く抱きしめ返してくる。

それは、今まで何度も聞いた『すき』という言葉以上の悦びとなって、オランの心の奥底を刺激した。

もはやアヤメの抵抗は、オランにとっての『快楽』でしかなかった。


「オレ様が、なんだ?もう一度言ってみろ」

「オランなんか、きらい……だもん…」

「それは本気で言ってねぇよな?」

「…………!」


アヤメは、ハッとして涙でいっぱいの目を見開いた。

顏を合わせなくても、オランには全てを見透かされている。

それは驚きというよりも、当然の事のような、嬉しいような…くすぐったいような。

そう……今までも…今も。オランも決してアヤメの期待を裏切らないのだ。

アヤメの本心など、最初から分かっている。

本心を『知りたい』のではない。その口から『言わせたい』のだ。


「本当の事を言え。命令だ」

「…………」


「……」


「…………好き」


……こんなに可愛い『反抗期』があるだろうか。

抗えない衝動がオランの全身を駆け巡り、アヤメの顏と向かい合う。

伝う涙もそのままに、紅潮したアヤメの頬。

その瞳に、さらに深いオランの赤の瞳が重なる。


「オレも好きだ。アヤメは最高の女だ。この世にアヤメ以外の女はいらねえ」


アヤメは、さらに目を見開く。

真直ぐな瞳で、そんな言葉を言われては……

本当は分かっていた。言葉なんてなくても、少しくらい離れてしまっても。

オランはいつだって、自分だけに最高の愛を与えてくれている。

それが『調教』という愛の形であっても、確かな愛情を注いでくれている。

そう、まるで……この指輪に魔力を注いでくれているのと同じように。


……何を不安に思っていたのだろう。

こんなにも、オランの愛を全身に感じられるのに。


「…それは言い過ぎだよぉ……」


アヤメは照れ隠しで、まだ拗ねているような返事を返した。

温もりと、言葉と、安心と…あともう1つ、欲しいものがある。

こんなに欲張りでいいのだろうか…と思いながらも、アヤメはその願望を口にする。


「キスして……」


その望みを叶えようと、オランはアヤメの唇へと近付いていく。

その時、オランの背中に回されたアヤメの腕の力がフッと弱まった。

突然、脱力したようにアヤメが膝を曲げたので、オランは抱き抱えてアヤメの体を支えた。


「アヤメ……どうした!?」


再びアヤメの顏を注意深く確認してみる。

頬が赤い。どこか目が虚ろだ。泣いたせいではない。


「う…ん…よくぅ、分かんない…目が、回ってぇ……」


アヤメが懸命に答えようとするが、呂律が回っていない。


「アヤメ……ワインを飲んだな」


冷静になって考えてみれば、簡単に分かる事だった。

パーティー会場に置いてあった飲み物の中から、アヤメは無造作に手に取って一気飲みをした。

それは、ワインだったのだ。


「わいん……?なにそれぇ……」

「ワインを飲むと、アルコールで酔うんだ」

「ん〜……アルコールの魔法ぉ……?」


オランに抱きしめられて安心したのか、今になって一気にアルコールが効いてきたのだ。

アヤメは酒を飲んだ事がないので、アルコールに耐性がない。


「……ったく」


オランは笑いながら溜め息をつくと、アヤメを抱いて軽々と立ち上がった。


「……可愛いお姫サマ、だな」


アヤメは突然の浮遊感に驚いて、オランの逞しい腕と胸に大人しく体を預けた。

『姫だっこ』のまま、オランは城に向かって歩き出した。

オランの両手は塞がっている。

中庭に面した扉を魔法で開くと、堂々とパーティー会場へと足を踏み入れた。

コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?