それから、400年近くの月日が経過した。
オランの見た目は変わらない。
そして朝、仕事の前に居間で優雅にくつろぐ、その姿も変わらない。
豪華な椅子に腰かけて、目覚めのコーヒーを口にしていると……
バァン!!
居間の扉が、勢いよく開いた。
乱暴に扉を開けて部屋に入って来たのは……
「兄ちゃん、オレ、人間界に行きたい〜!!」
褐色肌に、赤の瞳。紫と銀を足した髪の色。
オランをそのまま子供にしたような、見た目5〜6歳くらいの男の子。
純粋なその愛らしい瞳には、アヤメの面影がある。
オランの息子であり、魔界の王子。コランである。
「あぁ?何言ってんだよ」
「人間と契約して、オレも兄ちゃんみたいな一人前の悪魔になるんだ!」
「ガキにはまだ早え」
「オレ、ガキじゃない〜〜!!」
コランが、父親であるオランを『兄ちゃん』と呼ぶ理由。
オランは、コランを息子ではなく『弟』として育てた。
両親はコランが赤ん坊の頃に死んだと、そう聞かせて育てた。
コランはオランを兄だと思っており、父親だという真実は知らない。
人間の血も受け継ぐコランは、純血の悪魔のような魔力は持たない。
魔法も上手くは使えない。それは成長するにつれて、引け目を感じる事になる。
そんなコランが将来、魔王として王位を継ぐのは酷な事だろう。
いずれ王位を継ぐという重荷を心に背負わせない為に、息子ではなく『弟』としたのだ。
そうする事で、オランは息子が背負う『過酷な運命』を回避させた。
当然ながらディアも、王宮の者達も、その真実は知っている。
だが、オランがアヤメに『魂の輪廻』の儀式を行ったという真実を知る者は、ディアしかいない。
いずれ、全ての真実をコランに話すつもりだ。
いつか、転生したアヤメと再会を果たした、その時に。
コランが全開にした扉の外から、ディアが入ってきた。
ディアの見た目も昔から変わらず、19歳ほどの青年の姿。
ディアの姿を見た途端に、コランは駆け寄って腰に抱きつく。
「ディア〜!人間界に行きたいよ〜!人間と契約する!」
コランは、上目遣いで甘えながらディアに訴える。
甘え上手な所も、アヤメにそっくりだ。
ディアは、にっこりと笑顔でコランを見下ろす。
相変わらず、ディアが屈託のない笑顔を向けるのは、コランに対してだけだ。
「王子サマ。今は魔界でお勉強しましょうね」
「え〜〜」
「さぁ、ご一緒に図書館に行きましょう」
「う〜〜分かったぁ〜……」
ディアが差し出した手にコランが手を重ね、二人は手を繋いで居間を出て行った。
居間で一人となったオランは、椅子に深くもたれて、物思いにふけった。
コランが、あんなにも人間界に行きたがるようになったのは何故か。
もしかしたら、何かに引き寄せられているのかもしれない。
人間界の、何かに……
ふと、オランはアヤメの事を思い出した。
(アヤメが転生していれば、今は16歳か……)
『魂の輪廻』の儀式により、アヤメは365年後に転生しているはず。
アヤメの死から、すでに400年近く経っている。
オランは何度も人間界に足を運んだが、未だにアヤメの転生体を見付けられずにいる。
悪魔は、人間界では生命力を消費する為に、長くは活動できないのだ。
人間と『契約』すれば生命力を維持できるが、オランはアヤメと契約している。
アヤメとの契約は有効であり、アヤメ以外の人間と契約する気はない。
……悪魔との契約は、『口付け』によって成立するのだから。
オランは、人間界で活動する時は高校教師となり、数々の高校を巡った。
現在は高校生となっているはずの、アヤメの転生体を探す為だ。
転生体が、生涯17歳であったアヤメの年齢に達する前に、何としてでも見付けたい。
再び『指輪』の魔力によって、生涯17歳の姿に留めたい。
オランはアヤメを『永遠の17歳』として側に置くつもりなのだ。
その年齢が近付くにつれて日々、オランの焦りが募る。
いや、それは逆で、アヤメがオランを引き寄せていた。
アヤメの魂がオランを求めて、『早く私を見付けて』と、呼び寄せていたのだ。
そんな日々の中、その事件は起こった。
それは、ディアからの一報で始まった。
「魔王サマ!!王子サマが、人間界に行ってしまわれました…!!」
「なんだと!?……ったく、あのガキ…!!」
コランが、勝手に人間界に行ってしまったのだ。
コランの世話役も兼ねているディアも、さすがに困り顔であった。
「どうやら、王子サマを召喚した人間がいるようです」
「チッ!人間の方が呼び寄せたのかよ…!」
オランは、ディアを人間界に向かわせた。
コランの居場所は掴める。連れ戻すだけなら、ディアで充分だ。
ディアの外見は人間と変わらないので、難なく人間界に溶け込む事ができる。
そうして、ディアは人間界へと向かった。
……だが、ディアは一人で魔界に帰ってきた。
「王子サマは、人間の少女と『契約』を交わしていました」
「…ったく、面倒な…アイツに契約なんてまだ早えだろうが」
悪魔は人間と契約している間は、魔界に帰る事が出来ない。
そういう決まりであり、掟みたいなものだ。
それを破っていいのは、魔王オランくらいである。
実際、オランはアヤメと契約を交わしていても、魔界と人間界を行き来していた。
「オレ様が行く。その少女ってのも気になるしな」
今度はオランが、コランを連れ戻す為に人間界へと向かう事を告げた。
ディアの情報によると、コランの契約者となった少女は、16歳の高校生だという。
「その少女の名前は『
「あ…や……?」
その名前、その響き。一瞬にして、それはアヤメを連想させる名であった。
そして、年齢も一致する。
16歳の亜矢という少女は、もしかしたら……
いや、まだ分からない。この目で全てを確かめるまでは……。
ちょうどいい。その少女が通う高校の教師として、様子を見に行くか……
何かを期待して楽しむかのような笑みを浮かべて、オランは椅子から立ち上がった。
その一方で、もう1つの運命が動き出していた。
死神グリアである。
アヤメと出会った時は、見た目は10歳ほどの少年であった。
あれから400年以上経った今、グリアの見た目は、人間で言う高校生くらい。
グリアもまた、人間界でアヤメの『生まれ変わり』を探していた。
『来世ではアヤメを守ってやる』という、400年以上も前の約束を果たす為に。
アヤメの生命力を吸収した事があるグリアだが、それは遥か昔の事。
その僅かに残った記憶の欠片を辿って、あの時と同じ生命力を持つ人間を探す。
……そして、見付けたのだ。亜矢という少女を。
……いや、彼女がアヤメの転生体だという確信はない。
だが、そうだと思うしかない程に、一目でその少女に惹かれた。
だが、そこには過酷な運命が待ち構えていた。
死神は人間の魂が見える。
そして、もうすぐ死ぬ人間の魂を判別する事ができる。
亜矢を見付けた時、その魂を見たグリアに衝撃が走った。
亜矢の魂の色は、アヤメと同じ純白。
……そして亜矢は、もうすぐ事故死する運命だったのだ。
愛する少女と再び、巡り会うために。
遠い過去からの約束を、果たすために。
向かうべき世界、向かうべき未来へと。
過去から未来へと、少女の命を繋ぎ、永遠に輪廻させるために。
魔王オランと死神グリアは、同時に動き出す。