海から帰って来た日の夕方、アヤメは寝室のベッドで横になっていた。
熱も引いて、だいぶ体調は良くなっていた。
だが、オランとの初デートでもある新婚旅行が中断されてしまい、悲しみに暮れていた。
その時、寝室の扉が開いて、オランとリョウが入ってきた。
「アヤメ、具合はどうだ?」
「お姉ちゃん、ぐあいはどうー?」
二人ともアヤメを心配しているが、リョウの言葉はオランの真似にも聞こえる。
アヤメは上半身を起こして座ると微笑んだ。
「うん、もう大丈夫だよ。ごめんね」
どこか元気がないのは体調ではなく、申し訳なさから来るのだろう。
オランはベッドの前で膝を折り、アヤメと同じ目線で話しかける。
「アヤメ、いい知らせだ」
アヤメを元気づけるように、オランは笑いかけた。
そして『あの事実』を伝えた。
「えっ!?私に……赤ちゃんが!?」
アヤメは驚いて、服の上から両手で自分の腹部に触れてみた。
当然、まだ何の変化もないので実感はなく、信じられない様子でいる。
だが、すぐに顏を綻ばせた。
「私とオランの子供……嬉しい……」
アヤメにとっては、自身がどういう経緯で子供を授かったのかは問題ではない。
ただ、オランと愛し合った結果だと、それだけで充分だった。
悪魔が相手での人間の懐妊は前例がない為に、以前は混乱を招いた。
だが結果的に、人間どうしのそれと変わらない経緯であった。
それを聞いたリョウが瞳を輝かせてアヤメに問いかける。
「お姉ちゃん、ボク、お兄ちゃんになるの?」
「うん、そうよ。弟か妹か、どっちだろうね?」
「わ〜〜たのしみ!!」
「ふふっ、楽しみだね」
「オイ、テメエはアヤメの子供じゃねえだろうが」
大人気ないオランが、本気でリョウにツッコミを入れる。
アヤメの笑顔を見て、オランもようやく安堵した。
「悪かったな、アヤメ」
「え?なにが?」
「また海に連れていってやるよ」
アヤメは懐妊の喜びで、その事をすっかり忘れていた。
「うん!今度はリョウくんと、この子も一緒に皆で行こうね!」
そう言って、アヤメは自分のお腹を大事そうに撫でた。
「これは海に行った記念だ」
オランは、手の平に乗せた小さな何かをアヤメに手渡した。
それは、ラメのように光る二枚貝で作られた小物入れだった。
アヤメがそれを受け取って開けると、中は宝石入れになっている。
「すごく綺麗…この貝、海辺で一緒に拾った…」
「あぁ。持ち帰って加工した。中に指輪が入るぜ」
「ありがとう!これでもう、絶対に指輪をなくさない…!」
以前、風呂場で指輪を落として紛失して以来、アヤメは入浴時に指輪を外すようにした。
この指輪ケースに入れておけば安心だ。
「お兄ちゃん、ボクには?」
海に行けなかったリョウは、物欲しそうにしてオランを見ている。
「ガキはこれで我慢しろ」
そう言って、オランは小さく平べったい貝殻をリョウに手渡した。
それもラメのように光る貝殻で、小さな穴を開けて紐が通してある。
本を読むのが大好きなリョウへのお土産は、この『
「わ〜キレイ!お兄ちゃん、ありがとう〜!!」
「良かったね、リョウくん。オラン優しいね!」
「あぁ!?ついでだ!!」
分かりやすい照れ隠しをするオランであった。
そんな話で盛り上がっていると、寝室の扉からノックの音が聞こえた。
寝室に入る時にノックをするのはディアだ。
「失礼致します」
ディアはノックはするものの、返事を待たずに部屋に入ってくるので、あまり意味がない。
「アヤメ様。お体の具合は、いかがでしょうか」
「うん、大丈夫。ディアさんも今日はありがとう。また一緒に海に行こうね」
「……はい」
今度は人の姿で海に行けたらなぁ…と、淡い期待を抱くディアであった。
「魔王サマ、アヤメ様。この度は、おめでとうございます」
改まって懐妊に対しての祝辞を述べるディアであったが、オランが軽く笑い飛ばした。
「それはいいから、さっさと本題を言えよ」
「……はい、それでは失礼して……」
何の事だろう?と、アヤメはディアの言葉を待った。
「近々、『婚礼の儀式』を執り行います」
『婚礼の儀式』とは、つまり正式な結婚式の事だ。
すでに夫婦となった二人だが、魔界の王族としての形式上、必要な儀式である。
結婚パーティー、新婚旅行、懐妊、そして……結婚式。
それは魔王の妃となったアヤメに訪れた、数々の『幸せ』であった。
「それって『結婚式』の事…?」
アヤメが呆然としてディアを見つめながら聞き返す。
「はい。アヤメ様のご体調を考えまして、早急に執り行います」
アヤメは、その言葉が意味する事を理解していなかった。
懐妊によって急激に身の回りが動き始めるんだと、それだけは確かな実感となった。
アヤメの心は不安よりも、王妃として、そして母として生きる喜びと期待で満ち溢れていた。
オランも真意を読み取れずに、ディアの提案に対して意見する。
「急ぎ過ぎじゃねえか?少し休ませろよ」
オランは海での件、そして懐妊で、アヤメの体調を気遣っている。
だがディアも、それを気遣った上で提案をしている。
「安定期まで待つよりも、アヤメ様に『つわり』が出始める前の方が、よろしいかと」
淡々と答えるディアであったが、当のアヤメは全く理解していない。
純粋な瞳で首を傾げて問いかける。
「安定期?つわり?なにそれ?」
「…………」
さすがに、ディアの口から全てを説明させるのは酷に思われる。
そもそも、悪魔が相手での人間の懐妊は前例がない。
『つわり』がどの程度か、『安定期』が本当に安定するのか。
人間であるアヤメの身体にかかる負担など、全てが未知で予測ができない。
アヤメの質問には答えないまま、ディアは質問を返した。
「失礼ながら、アヤメ様は毎日、図書館で何のお勉強を…?」
「えっとね、魔界の歴史とか、生物とか、植物とか……」
アヤメは午前中、リョウと一緒に城の図書館で本を読むのが日課だ。
魔界を知る事は、王妃として必要な教養である。
だが、アヤメは『母』としての教養が足りていなかった。
その勉強をする暇もなく、結婚してすぐにアヤメが懐妊したからだ。
ディアは溜め息をつくと、オランの方に目線を向けた。
……急ぎ過ぎなのは、どっちの方ですか。
視線と脳内だけで、ツッコミを入れるディアであった。
なかなか話が進まない現状、やはりここは大人のオランの出番だ。
「つまり、早急に簡略化して結婚式を行うって事だろ?」
理解が遅い割に、飲み込みは早いオランであった。
「最初からそう言えよ」
「最初からそう言ってますが」
「リョウくん、結婚式だって〜!またパーティーだよ!」
「わぁ〜楽しみだね、お姉ちゃん〜!」
理解はともかく、気楽に構えて楽しんでいるアヤメとリョウであった。
そして数日後から『婚礼の儀式』に向けての準備が始まった。
アヤメは結婚式用に、ドレスを新調する事になった。
パーティーの時のドレスとは別の『ウエディングドレス』である。
デザイン等には口出ししないアヤメが、ドレスの発注時に『ある希望』を口にした。
それを聞いたオランは驚いたが、自身の思う所と一致した為に了承した。
服に関して言えば、アヤメは懐妊が分かってから、常にワンピースを着ている。
着物は帯でお腹を締めるからだ。
だが……それからまた数日後、ちょっとした騒動が起きた。
それは、ある朝の寝室で起こった。
「きゃああぁぁ〜!!?」
寝間着からワンピースに着替えようとしたアヤメが突然、叫び声を上げた。
「なんだ、どうした、アヤメ!?」
「なに、どうしたの、お姉ちゃん!?」
オランとリョウが、鏡の前で立ち尽くすアヤメの背中に駆け寄る。
着替えの途中だったアヤメは、肩から胸元まで肌を露出させている。
それに気付いたオランは振り返ると、リョウに向かって叫んだ。
「待て、ガキは来るな!!寝ろ、もう一度寝てろ!!」
「え?ボク、また寝るの?」
「寝たフリでもしとけ!!」
「分かった〜!!」
ただならぬオランの気迫にリョウは応じて、言われた通りにベッドに戻る。
そして布団を被ると背中を向けて『寝たフリ』を始めた。
オランとしては、リョウにアヤメの肌を見せる訳にはいかないのだ。
3人は一緒に入浴もしているのだが、それ以外では許せないらしい。
こういう時、素直で聞き分けの良いリョウは『お利口さん』で助かる。
「アヤメ、どうした?」
オランは、鏡の前で微動だにしないアヤメの背後に近付くと、その肩に手を置いた。
オランの手が、アヤメの露出した肩に触れた瞬間。
「きゃんっ……!!」
アヤメが何とも言えない声を上げながら、ビクっと反応して身を縮こまらせた。
オランが驚いて手を離すと、アヤメが振り返った。
唇をキュッと結んで体を震わせて、その瞳には涙をいっぱい浮かべている。
「いや…触っちゃダメぇ……」
アヤメの挙動に、オランは驚きよりも疑問を感じた。
アヤメが甘えてくる事はあっても、触れる行為を拒否された事など今までにない。
だが、アヤメがすぐにその疑問の答えを口にした。
「全身が茶色くて、痛くて熱いの……私、どうしちゃったの……?」
「……よく見せてみろ」
「うん」
寝間着をはだけて、胸の上まで出しているアヤメの肌を見て確認する。
薄い小麦色の肌に、元々の白い肌の色がビキニの形の跡となってクッキリと見える。
これは、海に行った時に長時間、夏の太陽に照らされたからだ。
「あぁ、日焼けだな」
「ヒヤケ?病気なの?治るの?」
「太陽の日差しで肌が焼けただけだ。心配いらねぇ、自然に治る」
オランにとって問題なのは、アヤメに触れると痛がられてしまう事だ。
これは当分、アヤメに甘い調教をするのは難しいかもしれない。
それ以前に、アヤメが妊娠中でも調教しようと考えるのが問題である。
「オランは大丈夫なの?」
「あぁ、慣れてるからな」
「オラン、すごい、かっこいい……好き」
「当然だ、もっと言え」
事あるごとに惚れ直すアヤメに快感を覚えるオランであった。
オランは元々、悪魔特有の褐色肌である。夏の日差しの影響も受けない。
アヤメは元々、色白であり日焼けをしたとは言え、オランと並ぶと肌の白さが際立つ。
「う〜ん、でも、ちょっと残念……」
アヤメが、オランと自分の肌を見比べて、ため息をついた。
「もう少しで、私もオラン色になれたのに……」
肌の色すら、オランと同じ色に染まりたい。
そんな意地らしい想いが可愛くて、オランはアヤメを抱きしめようと手を伸ばしたが…思い止まった。
確実に痛がられてしまうからだ。
「そのままでいい。アヤメ色も可愛いぜ」
「ほんと?なら、このままでいい……」
「それよりも、何か忘れてねえか?」
「あ……おはよう、オラン」
思い出したように付け加えられた挨拶に、オランは少し不満そうにした。
「それだけか?」
「……好き。愛してる」
そんなオランの不満すらも、付け加えられた言葉で全てが払拭される。
それはまるで、愛という名の魔法の言葉。
少し遅くなったが、ようやく習慣の『朝の口付け』を交わす。
「お兄ちゃん、お姉ちゃん、もういいー?」
ベッドの布団の中で『寝たフリ』をして背中を向けているリョウが、問いかけた。
……口が塞がっている二人が、答えられるはずもない。
熱い肌に、熱い唇……二人の季節は、常に真夏の太陽のように熱いのである。
そんな、ちょっとした騒動もありつつ……
薄い小麦色に日焼けしたアヤメの肌が、元の色に戻りかけた頃。
簡略化された『婚礼の儀式』が執り行われた。
オランとアヤメの正式な『結婚式』である。
会場は、以前のパーティー会場よりは小さめの、城の一角にある広間。
式の直前の控え室には、オランとアヤメの二人きり。
新郎新婦である二人は向かい合って、お互いの衣装に見入っていた。
「今日は格別に綺麗だぜ、アヤメ」
「ふふ。オランも、すごく素敵」
アヤメが身に纏っているのは、純白のウエディングドレスだ。
幾重にも重ねられたレースが、アヤメを取り囲む白い花のように、ふわっと大きく広がっている。
肩から胸元までの肌を露にして、首周りには光輝く銀のネックレス。
頭上には、ダイヤやパールなどの宝石が施された銀のティアラ。
オランは魔界の王らしく、黒のタキシードだ。
いつものワイルドさと王の威厳に加えて、紳士のような気品も感じさせる。
魔界の礼服は黒が常識であるが、アヤメのドレスは純白。
それはドレスの発注時に、アヤメ自身の意思で希望した色であった。
魔界の常識もルールも関係ない。二人の色は二人で決める、二人だけのもの。
「オラン、私…幸せ。すごく幸せ」
「あぁ、オレもだ」
アヤメが噛み締める『幸せ』とは、家族だ。
アヤメはすでに両親を亡くしており、家族はいない。
今、こうして愛する夫、そして……まだ名もない、愛する我が子。
もちろん、ディアやリョウも家族のように愛しい存在だ。
魔界に来て、愛する人達に恵まれて、これ以上に何を望むのだろうか。
アヤメは『もう一人の家族』が宿る自分のお腹に、そっと片手を添えた。
まだ、膨らみは感じられない。
だが、こうして触れていると、小さな命を感じられる気がする。
「オランのお嫁さんになれて、この子も一緒に式を迎えられ…て……あ、あれ…?」
アヤメの瞳には今にも零れ落ちそうなほどの涙が溢れていて、それに気付いたアヤメ自身が驚いた。
嬉しいのに、幸せなのに、なぜ泣いてしまうんだろう?
あの時と同じだ。オランが
嬉しさからくる涙もあるのだと、初めて知った瞬間と同じ感覚。
オランが言うべき言葉は、『幸せにしてやる』でも『幸せになろう』でもない。
アヤメは、すでに幸せにしてもらった。すでに幸せなのだから。
それならば、これから先の未来に向けての、オランの言葉は……
「もっと幸せにしてやるよ」
その力強い言葉に、アヤメは涙ぐんだ瞳に笑顔を加えて頷いた。
「うん。もっと、ずっと、幸せにしてね」
「あぁ。もっと、ずっと…永遠にだ」
それはオランが捧げる、永遠の愛の『誓い』であった。
見つめ合う二人は自然の成り行きで、お互いの唇を近付けていく。
だが、もう少しで触れそうな所で同時に止まり、寸止めとなった。
アヤメは薄く化粧をしているので、キスをしたら口紅が落ちてしまう。
それに気付いた瞬間、キス寸前の至近距離で何とか思い止まった。
……誓いのキスなど、後でいくらでもできる。
ここは厳粛な儀式を重んじるべきだと、理性がキスを押さえ付けた。
だが、この『寸止め状態』が何故かおかしくて、お互い顏を見合わせたまま笑った。
化粧も、ドレスも、タキシードも、いつもらしくない二人。
その非日常感が、特別な空気を作り出したのだろう。
笑いが収まると、オランはアヤメの正面から移動して右横に並ぶ。
そして、アヤメの方へと左手を伸ばした。
アヤメは右手でその手を握り、オランと手を繋ぐ。
「時間だ。行くぜ、アヤメ」
「うん」
アヤメは、もう片方の左手で自分の腹部に手を当てた。
右手でオランと手を繋ぎ、左手は我が子へと繋がっている。
今、確かに『家族』が繋がっている。
アヤメは目を閉じると、お腹に宿る小さな命に伝わるように、心の中で話しかける。
(お母さんと、お父さんの結婚式だよ。一緒に行こうね)
お腹に触れているアヤメの左手の結婚指輪が、照明の光を受けて小さく光り輝いた。
アヤメの手を握るオランの左手の薬指でも、お揃いのそれが同じ輝きを放っている。
アヤメとオランは式場に繋がる扉の前へと進み、並んで立つ。
『婚礼の儀式』は『結婚パーティー』の時よりも招待される客は少ない。
魔界の要人や異世界の王などに限定される。
オランとアヤメが会場入りすると、客人の誰もが驚きに目を見張った。
オランの黒のタキシードに対しての、アヤメの純白のドレスに。
魔界の礼服は黒である、という常識を覆すという衝撃だけではない。
悪魔の王・オランと、人間の妃・アヤメ。
二人並んだ衣装の、黒と白のコントラスト。
まさに悪魔と人間を象徴した相反する色合いは、互いを引き立てる。
そして、アヤメが持つブーケはもちろん、
純白のドレスに映える、印象深い紫の花。
ちょうど腹部あたりで両手で持つその花は、お腹に宿る子を象徴するようだ。
「驚くのは早いぜ、よく見てろよ」
客人の反応に気を良くしたオランは、ニヤリと笑った。
オランはアヤメと向き合うと、アヤメをウエディングドレスごと抱きしめた。
突然の新郎新婦の抱擁に、誰もが口を閉ざし見守る。
すると…アヤメのウエディングドレスが、みるみるうちに黒に染まっていく。
純白の花のようなレースの上に重なるようにして、漆黒の色が花開いていく。
一瞬にして、アヤメのドレスは『漆黒』に染まっていた。
ウエディングドレスは、魔力を注ぐ事で色が変わる特殊繊維で作られていた。
以前に、後ろ前に着た『禁断のドレス』や、新婚旅行での水着と同じ仕様だ。
漆黒の花嫁となったアヤメは、客人達の方に体を向けて静かに口を開いた。
「私、王妃アヤメは魔王オランを生涯愛し、身も心も全てを捧げます」
これは、魔王に嫁いだアヤメの決意表明、『誓いの言葉』である。
この演出を考えたのは、アヤメなのだ。
白のウエディングドレスを纏い、それをオランが漆黒に染め尽くす。
人間の少女が悪魔を受け入れるという、種族を越えた愛の証と覚悟。
その身を魔界とオランに捧げるという『誓い』を視覚で見せるという演出なのだ。
これが本当の『お色直し』である。
一斉に沸き起こる拍手。
その粋な演出に、誰もが感動し二人を祝福した。
その後の二人は、長椅子に並んで座って客人の対応をした。
本来の形式とは異なるが、懐妊したアヤメの体への負担を減らす為の配慮である。
魔界の要人や異世界の王などが次々とお祝いに訪れ、二人に対して短い挨拶を交わす。
その中にはもちろん天界の王、天王ラフェルもいた。
久しぶりの再会に、リョウが天王に飛びついて喜んだのは言うまでもない。
「リョウ。元気でやっているか?」
「てんおうさまー!うん、ボクげんき!!」
ちなみにリョウの服装は、以前のパーティーの時と同じ、黒のベストに蝶ネクタイである。
そうして天王は、次にオランとアヤメの座る椅子の前に立ち、軽く会釈をする。
アクアブルーの長い髪と中性的な顔立ちの天王は、自然に流れる水のような美しい所作で言葉を述べる。
「魔王、そしてアヤメ妃。この度は、お祝い申し上げる」
「あぁ。これからはアヤメにも敬意を払えよ、王妃だからな」
天王は常に無表情なので素っ気ない態度に見えるが、オランは気にしない。
ディアと似たようなものだ。
対する天王も、上から目線の態度のオランの言葉を無反応で流す。
「すでに懐妊までとは、驚いた」
そうは言うが、やはり無表情の天王は驚いているようには見えない。
「やる事やってんだ、当然だろ」
「え…オ、オラン……」
アヤメは照れと緊張で、オランの横で引きつった笑顔で反応するだけであった。
それは天王に限らず、客人が挨拶に来る度に、ずっとであった。
その度にオランが、大人の対応でアヤメのフォローをする。
全てはアヤメの体を考えて簡略化された、最低限の行程での儀式であった。
純白のドレスから漆黒の花嫁となった、人間の少女・アヤメ。
その姿は、魔界の人々の目を惹き付けた。
そして、式も終わりに近付いた頃。
長椅子でアヤメと並んで座っていたオランが突然、意気込んで立ち上がった。
「よし、そろそろ『誓いのキス』だな」
儀式に、そのようなプログラムはない。オランの独断と思い付きだ。
オランはアヤメを椅子から立たせると、向かい合った。
「皆の衆!!注目しなぁ!!」
その言葉がなくとも当然、二人は全客の注目を浴びる。
「これが、オレ様の『誓い』だ!よーく見とけ!!」
アヤメはオランが何を求めているのか、これまでの豊富な経験で察知する。
両肩を掴まれ、引き寄せられて、今まさに唇が触れようとしていた。
「オラン、お化粧が……」
「式の終わりだ、もういいだろ」
「……でも、恥ずかしいよ……」
「なら、やめるか?」
「ううん……したい……」
オランにキスを求められて、アヤメが拒むはずもない。
どんな時でも場所でも、オランの愛の調教は何にも勝るのだ。
「愛してるぜ、アヤメ」
「うん、オラン愛してる……」
二人の世界に存分に浸った後、結局は公衆の面前で熱いキスを交わす。
キスに関しては、決して簡略化しない二人であった。
「さてアヤメ、最後にコレを投げろ」
「え?投げるの?いいの?」
「いいんだよ。適当に放り投げろ」
「うん。えいっ!」
式が終わりに近付き、会場内を忙しく歩き回っていたディアが、何かを感知した。
(これは……殺気!?何者!?)
自分の頭上めがけて、何かが落ちてくる気配がした。
ディアは頭部を守ろうと片手を上げて、それを防ごうとした。
ぽすっ
そんな軽い音と共に、それを見事に片手でキャッチした。
ディアの頭上に落下してきた『何か』は、妙に軽く柔らかい。
それは、
「あっ!ディアさんが受け止めたよ!」
「やるじゃねーか、ディア」
ディアは、ポカンとして遠くの新郎新婦を見つめる。
それがブーケトスであったと気付くまで、少しの時間がかかりそうだ。
アヤメが式の最中、お腹の子の象徴のように持っていた、
今はディアの腕の中で、赤子を抱くようにして持たれている。
それが、何を意味するのか……?
いつか、ディアにも本当の幸せが訪れるに違いない。
こうして、正式な『結婚式』を終えた二人。
晴れて、魔界の誰からも認められる夫婦となった。
『婚礼の儀式』を終えた日の夜の寝室、就寝前。
「はぁ〜〜やっと、落ち着いたぁ……」
風呂上がりの寝間着姿で、アヤメはベッドに仰向けに倒れた。
結婚パーティーを終えた日の夜と全く同じ言葉・動作である。
リョウは興奮冷めやらぬ様子で、アヤメの顏を覗き込む。
「ボク、パーティー大好き!また行きたい!」
「えぇ?もう当分ないと思うよ〜…ねぇ、オラン?」
「当分ねぇだろ」
今後はしばらく、アヤメの出産に向けての日々になるからだ。
アヤメは仰向けになったまま、お腹にそっと両手を添えて撫でた。
お腹の子にも『今日はお疲れさま』と伝えているのだ。
確かにこの子も、アヤメに連れられて一緒に結婚式に参加したのだから。
(もしかしたら私の緊張が伝わって、一緒に緊張しちゃったかな?)
我が子と会話するように、そんな気遣いをも伝えていた。
そして起き上がると、残念そうにしているリョウに笑顔で話しかける。
「赤ちゃんが生まれてから、また色んな事しようね」
「うん!ボク、待ってる!」
「ふふ…じゃあ、お休みなさい、リョウくん」
「おやすみなさーい」
そう言ってリョウを寝かし付けた後、アヤメは反対側を向く。
「お休みなさい、オラン」
「それだけか?」
「……好き」
習慣の『寝る前のキス』を交わした後、アヤメは再びお腹に両手を添える。
「おやすみなさい」
それは、お腹の中の子に向けた言葉。
そうして、3人……いや、4人は同じベッドで眠りにつく。
寝る前の習慣に、もう1つの『おやすみ』が加わった。