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第15話『小悪魔な天使』

オランとアヤメが夫婦となっても、日常生活は変わらない。

朝が来れば、いつも通り起きて、いつも通りキスを交わす。


そんな、いつもの朝。

アヤメは着物に着替え終わると、寝間着を丁寧に畳んでベッドの上に置いた。

リョウも真似をして寝間着を畳んで、アヤメの寝間着の横に置いた。

その時、先に着替え終わっていたオランが唐突に話を切り出した。


「アヤメ。今度の休日に出掛けるぞ」


突然の事にアヤメは、なんで?どこへ?と疑問を口に出そうとしたが、その前に思い出した。

この前、オランが『今度の休みに魔界の名所に連れて行ってやる』と約束してくれた事を。

オランとの初めての『デート』の約束だ。

結婚の後になったので、日帰りの新婚旅行とも言える。

アヤメは、パッと明るい笑顔になってオランの言葉の続きを待った。


「どこへ行きたいか?」

「どこでもいい、オランと一緒なら、どこでも嬉しい…!」

「海と山だったら、どっちがいいか?」

「海!!」


その二択に、アヤメは即答した。

人間界で森の近くの村に住んでいたアヤメは、海を見た事がないからだ。


「いいぜ。なら水着が必要だな。海に入るだろ?」

「うん、入る!!入ってみたい!!」


アヤメは嬉しさのあまり、前のめりのハイテンションだ。

そんなアヤメの着物の袖を、下からチョイチョイと引っ張る小さな手があった。


「ボクも行きたい」


リョウは、期待の眼差しでアヤメを見上げる。

アヤメはリョウを見下ろし、喜びの勢いのまま言葉を続ける。


「うん!リョウくんも一緒に……」


「それはダメだ」


オランの力強い一言に、室内が一瞬にして静まり返る。

何故?と言わんばかりに、アヤメとリョウは疑問の目でオランを見返す。

オランにしてみれば、今度の外出は『新婚旅行』の意味合いだ。

当然、アヤメと二人きりで行きたい。ここは譲れないのだ。

……だが相手は、まだ未熟な17歳と幼児。その意味を理解していない。


「なんで?オランの、いじわる〜!!」

「なんで?お兄ちゃんの、いじわる〜!!」


頬を膨らませて、まるで二人とも子供のようだ。

これでもアヤメは、オランの嫁……であるはず。

二人同時に同じ調子で迫られたオランだが、怯まずに返す。


「あぁ〜!!うるせえ、うるせえ!!命令だ、ダメと言ったらダメだ!!」


これではまるで、子供を叱る頑固オヤジのようだ。

アヤメはオランの『命令』を拒めない。


「ダメだって。ごめんね、リョウくん」

「……うん」


リョウは聞き分けの悪い子ではない。しょんぼりしつつも頷いた。


「後で部屋にメイドを呼んでやる。水着を発注してもらえ」


オランはそう言うと、黒いマントを羽織って部屋から出て行った。

寝室に残された、アヤメとリョウ。

先ほどのハイテンションは見る影もない。

アヤメは、ハッと気を取り直してリョウに笑顔で話しかける。


「また別の日に一緒にお出かけしよう、ね?」

「…………」


リョウは顏を俯かせて、何も返さない。

素直で明るいリョウらしくない。どうしたのだろうか?


この前、アヤメとディアが一緒に城下町に出掛けた時も、リョウは城に置いていかれた。

アヤメと一緒に寝たいのに、何故かたまに別の部屋に連れて行かれる夜がある。

オランとアヤメが結婚してからは、さらにそんな日が増えた。


リョウは幼いながらに、自分が邪魔者なのではないか、という不安を感じていた。





食堂で朝食を終えると、アヤメとリョウは寝室に戻った。

しばらくすると、オランが言った通り、悪魔のメイドが部屋を訪れた。

アヤメを薄着に着替えさせると、体のサイズを測っていく。

巻き尺のような物でアヤメの胸のサイズを測っていたメイドが、思わず感嘆の声を漏らした。


「王妃様、素晴らしいスタイルでいらっしゃいますね」

「え?王妃って……あ、私?」


アヤメはまだ、王妃と呼ばれる事に慣れていなかった。

ついでに言うと『スタイル』という言葉の意味も理解していない。


「それでは、このサイズで水着を発注させて頂きます」


メイドは丁寧にお辞儀をして退室した。

アヤメのスリーサイズの情報は、後ほどオランの手にも行き渡るに違いない。


アヤメは着物に着替えると、ベッドに座った。その横にはリョウも座っている。


「ふふ、楽しみだなぁ〜、海」

「…………」


一緒に海に行けないリョウは、やっぱり落ち込んでいる。

先ほどから黙っていて、アヤメに合わせて笑う事もしない。

やはり、いつものリョウらしくなかった。





その日の夜に、それは起こった。

寝室のベッドの上には、アヤメ、オラン、リョウ。

いつものように、まずアヤメは、リョウを寝かし付ける。


「お休みなさい、リョウくん」

「…………」


リョウの返事が返ってこない。こんな事は初めてだ。

リョウは、朝の事をまだ引きずっているのだろう。

だが喜びに浮かれていたアヤメは、すっかりその事を忘れていた。


「どうしたの?リョウくん。元気がないね、どこか痛い?」


アヤメは悪気があった訳ではない。リョウを気遣っただけだ。

だがリョウは、的外れなアヤメの気遣いに、さらに気持ちを沈めていく。

悲しいような、思い詰めたような…リョウは水色の瞳を潤ませて俯いている。

そして顏を上げるのと同時に、リョウの口から衝撃の一言が放たれる。


「ボク、天界に帰りたい」


ぼそっと小声で呟いた一言だが、それはアヤメにとっては大きな衝撃だった。

一瞬の沈黙。

その空気を破ったのは、二人の後ろで聞き耳を立てていたオランだった。


「お〜いいぜ、いいぜ、さっさと帰れ」


本音なのか、からかっているのか、その軽い口調に反応したのはアヤメ。

オランの方を振り返ると、今までにない鋭い瞳で、キッと睨みつけた。


「もう、やめてよっ!!オランは黙ってて!!」


そのアヤメの叫びとも言える訴えに、オランは今までになく怯んだ。

今のは、アヤメだよな…?アヤメが言ったんだよな…?

信じられないようなアヤメの気迫に、オランの脳内には疑問しか浮かばない。

かと思うとアヤメは、次にはポロポロと大粒の涙を零し始めた。


「なんでぇ?リョウくん、なんでそんな事言うの〜?うぇ……ひっく……」


突然の大泣きに、リョウも目を丸くしている。

もはや、アヤメの独壇場である。


「だってボク、ジャマだもん…」

「邪魔じゃないよ、リョウくん、帰るなんて言わないでぇ……」


これでは、どちらが子供か分からない。

結婚して王妃となって、最近は大人びてきたと思っていたのに…

まだまだ未熟で不安定な年頃のアヤメの急変に、オランも追い付けない。

だが、ここは唯一の大人であるオランの出番だ。


「アヤメ、冷静になれ」


オランがアヤメの両肩を掴んで引き寄せ、強く言い聞かせる。

その真剣な眼差しを受けて、アヤメは一瞬にして涙を止めた。


「あのガキを魔界で預かる期間は決められていねえ。その意味が分かるか?」

「え……分かん…ない……」

「アイツが自分で帰りたいと言った時。その時が期限だ」


リョウは魔界で、天界とは違った空気に触れながら様々な事を学んでいる。

天使には、父も母もいない。

天界の王、つまり天王から生み出される存在だからだ。

魔界の王宮で暮らす毎日はリョウの心を満たし、温かい感情を育てた。

アヤメとオランは、姉と兄のようで……親のような存在でもある。

リョウの心が成長し、自ら天界に帰りたいと思った時。

その時が、リョウの独り立ちの時なのだ。


「アイツは大人になった。アヤメも大人になれ」

「うぅ……うん……でも……」


オランはまるで、リョウの父親のような口ぶりになっていた。

……いつかは、こういう時がくる。

頭で理解しようと思っても、感情が追い付かない。

アヤメは涙をグッとこらえて、リョウの方を向いた。

すると、リョウはすでに、何事もなかったような顏をしていた。

それどころか、アヤメに手を伸ばして『おねだり』を始めた。


「お姉ちゃん、だっこー!」

「え、うん、いいよ」


アヤメはベッドの上で、リョウを抱っこした。

もうすぐ天界に帰るガキの事だ、このくらい許してやろう…と、オランは黙っていた。


「お姉ちゃん、ちゅーして」

「え、うん、いい……」


「オォイッ!!!」


エスカレートするリョウの要望に、オランが思いっきりツッコんだ。

さすがに、それは黙っていられない。


「調子に乗ってんじゃねえぞ、ガキが!!」

「だって、お姉ちゃんとお兄ちゃん、いつもちゅーしてて、ずるい!」

「そうよね。魔界では一緒に寝る人とキスするのが習慣なのよね」

「ぐっ…!!」


珍しく、オランが押された。

まさか、アヤメに言いくるめられてしまうとは……。

しかも、その習慣はアヤメを『調教』する為の、オランの嘘である。

3人は毎日、同じベッドで寝ている。

そうなると、アヤメとリョウだけでなく、オランとリョウも毎日、寝る前と寝起きにキスをしなくてはならない事に…。

……それは避けたい。だが、今さら嘘とも言えない。


「それは、悪魔と人間にのみ適用される習慣だ」


苦しい言い訳であった。


「オラン、いいじゃない。キスは減るものじゃないし」

「減るんだよ、色々!!何かが!!」


オランは自分でも、アヤメに何を言っているのか分からなくなってきた。

その時、アヤメと、アヤメに抱かれているリョウが、同時にオランを責め立てた。


「オランのけち〜!!」

「お兄ちゃんのけち〜!!」


二人とも、子供だ。目の前に、子供が二人いる……。

一人は、オランの嫁であるはずだが……。

その時オランは、ある事に気付いた。

リョウは、大人になったのではない。単に『拗ねていた』だけであったと。

17歳のアヤメですら、こんなにも未熟で不安定な心なのだ。

幼児のリョウなら、なおさらであった。

オランの読みは、甘かった。


「さっさと天界に帰れ、このガキ!!」

「やーーだーー!!帰らない!!!」

「オラン、だめ!!……めっ!」

「…………」

「ごめんね、オランお兄ちゃんヒドいよね、こわかったね〜…」

「…………」


アヤメに『ヒドい人』扱いされた事よりも、『めっ!』の可愛さに思考が停止するオランであった。

……だが、ここは、気を取り直して。

大人であるオランが、ビシっと言ってやらねば…と、気合いを入れる。


「よし、説明してやる。テメエら、そこに座れ」


オランはビシっと二人を指差した。

真面目な顏で座れと言われても、ここはベッド上である。

素直なアヤメとリョウは、言われた通りにベッドの上で並んで正座をした。

オランはあぐらをかいて腕を組んで、まさに頑固オヤジの風貌だ。


「結婚してから最初の旅行は、夫婦二人で行く特別なモンなんだよ」


少し照れながらオランは言う。本当は堂々と言葉で言いたくなかったのだろう。

その言葉を聞いたアヤメは、あっ!と思い出した。


「結婚したら、最初にする特別な事……あの時みたい……」


何を思い出したのか、アヤメは膝の上に両手を乗せてモジモジと身じろぎをしている。

オラン以上に照れながら、顏を朱に染めて口ごもっている。

アヤメにとって『結婚初夜』は、一生忘れられないほどの熱い夜であった。

同時に、今度の外出が特別な意味を持つ事を知って、アヤメの心は喜びに満ち溢れた。


「そう言ってくれればいいのに、もう、オランったら……好き」

「くっ…わざわざ言わせるな!」

「ふふ、嬉しい……オラン、大好きよ」

「当然だ、何度でも言え」


リョウはラブラブな二人を見て、素直に納得したようだ。

決して、自分が邪魔者扱いをされていた訳じゃない。

そして、二人に嫉妬をしていた訳でもない。

もっと二人がラブラブになれるように協力したいと、前向きな明るさを取り戻した。

誰かの役に立ちたい、それがリョウの行動理念なのだ。


「うん、分かった!ボク、お留守番してるね」

「リョウくん……!!」


アヤメは感極まって、リョウをぎゅ〜っと抱きしめた。

小さなリョウの頭は、アヤメの柔らかい胸の谷間に埋まってしまっている。


「リョウくん、ありがとう!また今度、一緒に海に行こうね〜!」

「うん!ボク待ってる!!」

「コラ、ガキ!!どこに顏埋めてんだ!!離れろ、代われ!!」

「え〜、オランだって、いつも埋めてるのに……」

「お兄ちゃんばっかり、ずるい〜!」


「あぁ〜!!うるせえ、うるせえ!!命令だ、代われと言ったら代われ!!」





魔王をも振り回し掻き乱す、人間の少女と天使の子供。

アヤメもリョウも、すっかり魔界に染まってしまったせいか……

二人は天使の姿を持つ悪魔、『小悪魔』に違いない。

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