オランはアヤメを抱いたまま、堂々とパーティー会場の真ん中を歩いていく。
その姿に、何事かと会場内は騒然となる。
……なぜ、魔王様が少女を抱いているのか?
……あの異種族の少女は一体、誰なのか?
特にオランに好意を寄せる女性達の妬みが含まれた言葉は、耳に入れば気持ちの良いものではない。
驚きと、疑問と、妬み…決して歓迎はされていない空気の中を無言で突き進む。
周囲の声など、まるで耳に入っていないかのようにオランは歩き続けた。
やがて、会場の最奥に位置する壇上に上がる。そこは、パーティーの主役が立つ場所だ。
オランとアヤメの姿はまさに、舞台に上がった王様とお姫様。
そこは会場内の誰もが注目する場所であり、逆にそこからの眺めは会場を全て見渡せる。
オランは、あえてそれを狙って、この場所に立ったのだ。
「皆の衆ーー!!よぉーーく聞きやがれ!!」
会場内に響き渡る、オランの声。
マイクも魔法も使わずに全ての人の耳に届かせる声量は、さすが『自称』魔界一の悪魔だ。
その声に、接客と案内役を勤めていたディアも驚いて壇上を見上げる。
そしてオランに抱かれているアヤメも、その声に驚いて一瞬にして酔いが醒めた。
「愛するこの女、アヤメをオレ様の妃にする!これをもって婚約披露とする、いいな!?」
これまで浮いた話のなかった魔王の突然の発表に、今度は会場内が静まり返る。
誰もが、この状況を理解していない。
魔王の生誕パーティーのはずが、魔王の婚約披露パーティーに変わってしまった。
アヤメは困惑と驚きと恥ずかしさで、オランの顏を見上げて口をパクパクさせている。
(オラン……?え、ど、どうしよう……恥ずか…しい……)
大勢の人の前でのカミングアウト。
しかも時が止まったような静寂の中で、アヤメはどうする事もできない。
すると、人々の間から抜け出るように、ヒョコッと小さな天使が前に出た。
「コンヤクってなーにーー!?」
リョウはいつもの明るい調子で、純粋な疑問をオランに投げかける。
幼いリョウの高く透き通った声は、しんとした会場の壇上のオランに余裕で届いた。
オランは、ニヤリと笑ってリョウに返す。
「結婚するんだよ!魔界一のオレ様が決めたんだ、文句は言わせねぇ!」
それはリョウではなく、会場内の全ての者に言い聞かせているような口ぶりだ。
オランとリョウは、事前に口裏を合わせていたのか?と思うほどの連携を見せる。
「お兄ちゃんとお姉ちゃん、いつケッコンするの〜!?」
「あぁ!?なんなら、今だ!!今から夫婦だ!!」
二人だけの会話で、トントン拍子に話が進む。
ついには、このパーティーは結婚披露宴になってしまった。
花嫁のアヤメは、その展開スピードに追い付けずに、ただオランの腕の中で狼狽えていた。
今から夫婦だなんて言われても、心の準備も何もできていない。
嬉しさよりも、驚きと戸惑いの方が勝ってしまっている。
「え、え、ちょっ…?オラン、待っ…」
「待てねえな。愛してるぜ、アヤメ」
「え?え…わ、私も……んっ?」
問答無用で、オランは自らの唇を重ねてアヤメの口を塞いだ。
大衆の面前で『誓いのキス』を交わしたのだ。
……今も、『姫だっこ』の状態で。
ようやく唇を解放されたアヤメだが、余韻に浸る余裕もない。
オランはアヤメの耳元で、そっと囁く。
「アヤメも言ってやれ。これは誓いの言葉だ」
「そんな…恥ずかしい…」
「これだけは『命令』だと言わせるな」
オランのその言葉に強い決意を感じたアヤメは、自らも意を決した。
大きく息を吸い込んで、眼下の人々に向かって力一杯叫んだ。
「私は、オランを愛してる!!だから、結婚しまーーすぅーーー!!!」
アヤメが息を切らし、人々の反応を恐る恐る見た。
一番最初に反応したのは、やはりリョウだった。
「お兄ちゃん、お姉ちゃん、おめでとう〜〜!!」
リョウの明るい声が会場に響いた、その瞬間。
緊張から解き放たれたように、人々から一斉に拍手が沸き起こった。
魔王が、何も恐れずに叫んだ愛。
少女が、勇気を振り絞って叫んだ愛。
あんなに堂々と見せつけられては、意義を唱える者など誰一人いない。
オランとアヤメとリョウは、見事に人々を引き込む場の空気を作り上げたのだ。
「もちろん歓迎してくれるよなぁ!?オレ様の誇り高き魔界の民共よ!!」
その、オランの堂々たる掛け声が決め手となった。
人々の声が、疑問から歓迎の声に変わっていた。
「魔王様!!おめでとうございます!!」
「魔王様、王妃様、万歳!!」
そんな拍手喝采の中に立つディアは、何が起こったのかと唖然としている。
だが、すぐに自身も拍手喝采に加わる。
自由気侭で突拍子もない主人に頬を緩ませ、軽く溜め息をついた。
(これから、忙しくなりますね……)
アヤメは、ずっとオランに抱かれていて気付かなかった。
履いていた靴を片方、落としていた事に。
ワインに酔ってオランに抱き上げられた時に、脱げてしまったのだ。
オランは、このままずっとパーティーの終わりまでアヤメを抱き続けるつもりだ。
愛しいお姫サマを自分の腕の中で抱けるのは、12時までの一瞬の魔法。
だが12時を過ぎれば、それは永遠の魔法に変わる。
壊れやすいのに、決して壊したくない。
扱いが難しいのに、どうしても触れてみたくなる。
アヤメが落としたのは、片方だけのガラスの靴。
オランがその腕に抱いたのは、漆黒のシンデレラ。
(はぁ〜〜やっと、落ち着いたぁ……)
怒涛の結婚パーティーを終えた日の夜。
入浴を済ませたアヤメは、白の寝間着姿で寝室のベッドに倒れ込んだ。
時刻は深夜12時前。もうすぐ日付けが変わる時間だ。
リョウはパーティーが終わる頃には居眠りしてしまい、ディアが背負って別室に連れて行った。
それは今夜、オランとアヤメを二人きりにさせる配慮でもある。
少しして、オランが寝室に戻ってきた。黒の寝間着だ。
ベッドの上で仰向けに倒れているアヤメの横に腰を下ろした。
「オラン、今日は、その……お疲れさま……」
どこか歯切れの悪いアヤメの言葉。
しかも寝転がったままオランに顏を向けている。
疲れているとはいえ、アヤメにしては横着だ。
「別に疲れてねえよ」
「……でも、ずっと私を抱いて歩いてたし…」
「問題ねぇ、オレ様は魔界一の悪魔だぜ」
「…………」
何故か、会話が途切れる。
アヤメは緊張に似たような、全身を巡る不思議な感覚に戸惑っていた。
……私、結婚したんだ……。
……オランと夫婦になったんだ……。
オランとは毎日、一緒に起きて、一緒に寝て、キスをして…。
こんなにも近くに居るのに、夫婦になる事で何か変わるのだろうか?
アヤメには、まだ妻としての実感も自覚もなかった。
「アヤメ、今から大事な話をする」
「は、はいっ?」
突然にオランの声が真剣味を帯びたので、アヤメは慌てて起き上がる。
ベッドの上で丁寧に正座をすると、姿勢を正してオランの言葉を待つ。
全てを支配しそうな悪魔の赤い瞳が、真直ぐにアヤメの瞳を捉える。
「正式な婚礼は別に行う。だが、そんなモノは単なる儀式だ」
「……はい」
「今日から夫婦だ」
「……はい」
「オレ様が魔界のルールだ。誰にも文句は言わせねえ」
「はい。文句は……ありません」
アヤメの声が震えている。気付けば、その目に溢れんばかりの涙を溜めていた。
アヤメはベッドの上で正座をしたまま、膝の前で手をハの字に置いた。
そして、オランの正面から礼儀正しく深くお辞儀した。
「ふつつか者ですが、どうぞよろしくお願い致します」
その姿は、まさに日本の和の美しさを象徴する見事な振る舞いだった。
だが、オランは呆れたように笑っている。
「……ったく。最初の頃に言ったよな、敬語はやめろって」
「あっ、そっか……よろしくね、オラン」
言い直したら、今度は軽すぎて特別な空気が消え去ってしまった。
和やかな空気で笑い合っていると、ふとアヤメが気付いた。
「あっ…!オラン、その手…!?」
アヤメは思わず飛びつくようにして、オランの左手を両手で掴んだ。
オランは微笑しながら、アヤメの好きなようにさせる。
オランの左手の薬指には、金色の輪に赤い宝石の指輪。
アヤメが左手の薬指に嵌めている指輪と全く同じもの。
「これって…同じ指輪!?」
「あぁ、そうだ。結婚すると同じ指輪をするモンなんだぜ」
「そうなのね、お揃い…ふふっ……」
アヤメは自分の左手をオランの左手の横に置いて、並んだ指輪を嬉しそうに眺めた。
二つ揃った結婚指輪。
この日からアヤメの指輪は、『婚約』の証から『結婚』の証に変わった。
目に見える『結婚の証』は、アヤメに結婚の実感をもたらすには充分であった。
「私、本当にオランのお嫁さんになったのね」
「今さらかよ。アヤメ、結婚したら最初にする事があるんだぜ」
「え、なに?」
「結婚初夜ってヤツだ」
アヤメは一瞬、黙り込んで考えた。
表情を変えない所からして、その言葉の意味を知らないのは明白だ。
そして返したのは、いつも通りの言葉だった。
「なにそれ?」
「結婚してから初めて迎える夜の過ごし方だ」
「それって、何か特別なの?」
「あぁ。教えてやるよ」
何をするんだろうと思いながら、アヤメは寝る前の『習慣』を行う。
「お休みなさい、オラン」
「それだけか?」
「……お誕生日、おめでとう……」
12時を前に、ようやく言えたアヤメは、口付けと共に最高の微笑みをオランに贈った。
部屋の明かりを消すと、僅かな常夜灯のみが二人を照らす。
二人だけの夜、二人だけの世界で、夫婦となった二人は抱き合った。
いつもよりも深く長く熱い口付けに、ようやくアヤメは理解した。
「愛している、アヤメ」
「オラン……愛してる……」
初夜とは、こういう事だったのか……と。
夜の12時を過ぎた、その瞬間から。
二人の愛は、永遠の魔法に変わった。
魔王の生誕パーティーが開かれる日。
それは魔王の誕生日であり、結婚記念日でもある。