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第12話『開かれる宴』

それは、ある日の午後、お昼休憩のひととき。

オランの自室の居間で、くつろいでいた時だった。


「パーティー?なにそれ?」


オランから告げられた聞き慣れない言葉に、アヤメは首を傾げた。

アヤメの立つすぐ横には、リョウがいる。


「ディア、説明しろ」


オランは椅子に深々と身を沈めたまま、前に立つディアに命じた。


「はい。パーティーとは、お祝い事などの宴です。各国の要人や貴族などをご招待致します」


「お祝い事の宴…?偉い人達…?」


イメージの浮かばないアヤメには、さらに疑問が増したようだ。


「何のお祝いなの?」

「魔王サマの生誕…つまりお誕生日です」

「えっ!?オランの誕生日?」


アヤメはオランの方を見ると、今さらの疑問を口にした。


「オランって何歳なの?」

「さぁな、何千…だったか?忘れちまったぜ」


そう言うオランの見た目は、20代前半くらい。

悪魔の寿命は数万年というから、嘘でも冗談でもない。

リョウは目を輝かせながらオランに近寄る。


「お兄ちゃん、すごい〜!」


そう言うリョウの見た目は、3〜4歳くらい。

リョウは『パーティー』という言葉は理解している。

……実年齢17歳のアヤメが負けている。


「ねぇ、ボクの誕生日は?ボク何歳?」

「あぁ?知らねえよ、ガキはガキだろ」


オランはリョウに対しては無愛想だが、突き放すような冷たさではない。

オランなりに子供に構ってやろうとすると、自然とこうなる。

アヤメは、オランの適当な答えを素直に受け止めていた。


「じゃあ、それってオランをお祝いする宴なのね」

「あぁ。ちゃんと準備しとけよ」

「え?私も、それに出るの…?」


オランの座る椅子のすぐ横で、アヤメは不安そうに声の調子を下げた。

するとオランはアヤメの片腕を掴み、体を自分の方へと向けさせた。

アヤメは自然と腰を屈め、オランの目線と同じ位置に顏を合わせる。

その至近距離で、オランは魅惑の赤い瞳で言い聞かせる。


「当然だろ。アヤメは、オレ様の……何だ?」


甘く囁くようにして、答えを誘導される。


「お嫁さん……です……」


魔法にかかったように、アヤメは自然と答えさせられてしまう。


「そうだ。分かったろ」

「うん。分かった、好き……」


一体、この流れで何が分かったのかは、愛し合う二人にしか分からない。

ここで『好き』という言葉を付け加える意味も分からない。

アヤメは目の前のオランに口付けようと、さらに顏を近付ける。

アヤメの横には、リョウもいるというのに。

人目も憚らずキスしようとする二人の前に、冷淡な表情のディアが立つ。


「それで!!パーティーの!!準備について、ですが!!」


わざとらしく張り上げたディアの声が、夢見心地の二人を現実に戻す。

オランはディアを睨んだが、アヤメはオランを見つめたままだ。


「アヤメ様は初参加ですから、ドレスを新調しませんと」

「ドレス?なにそれ?」

「綺麗な服って事だよ」


何でも聞き返すアヤメに、オランがまたしても適当に教える。

そしてアヤメにつられたリョウも期待の眼差しをディアに向ける。


「ボクも、キレイな服着るの?」

「そうですね。リョウ様の服も新調しましょうね」


まるでリョウの保護者のようになっているディアだった。

その時、アヤメが胸の前でポンッ!と両手を叩いた。


「綺麗な服…あっ!なら、この前買ってもらった、あの服は?」


アヤメが思い出したのは、ディアと城下町に出掛けた時に買ってもらったドレスだ。

……後ろ前に着てしまった、あの禁断のドレスの事である。

だが、ディアがその案に難色を示した。


「アヤメ様。魔界でのお祝い事の礼服は黒が常識なのですよ」


アヤメの買った、あのドレスは淡いピンク色。

魔界の洋服店で一際目立っていたドレスなのに、まさか…。

オランも気に入ってくれただけに、アヤメはガッカリして肩を落とす。

そんなアヤメを横目で見たオランが、微かに口元を緩ませた。


「どうだろうな?アヤメ、あのドレスを着てみろ」

「え?今、ここで?」

「そうだ。パーティーに相応しいかどうか、オレ様が見てやるよ」


アヤメは言われた通りに、クローゼットのある寝室に向かう。

だが部屋を出る直前に、アヤメの背中に向かってオランが念を押す。


「後ろ前に着るなよ」


幼いリョウの前で危機感を感じたディアも念を押す。


「正しく、お願いしますよ」


そして二人を真似してリョウまで念を押す。


「きるなよ〜しますよ〜〜」


オランとディアの言葉を混ぜて真似たので、変な言葉が生まれた。




アヤメが着替えに行ってから、約10分後。


ふいに、オランは椅子から立ち上がった。

そのまま真直ぐ、寝室へと繋がる扉の方へと向かう。

そんなオランの背中から、ディアの突き刺さるような一言が放たれる。


「魔王サマ、まさか、お着替え中の部屋を覗かれるのですか?」

「お兄ちゃん、のぞく〜?」


ディアを真似て、リョウまでトドメの一言を放った。


「うるせぇっ!すぐに戻る!!」


捨て台詞のような言葉を吐きながら、オランは居間を後にした。


確かに、アヤメには『後ろ前に着るな』と言った。

だが、アヤメにとっての『後ろ前』とは何だろうか?


それに気付いた瞬間、オランは居ても立っても居られなくなった。

早歩きで寝室の前に辿りつくと、勢いよく扉を開けた。

そこでオランが見たのは、すでにドレスを身に纏ったアヤメの姿だった。

アヤメは、突然に扉が開いてオランが部屋に来た事に驚いた。


「あっ、オラン…今、着替え終わったよ」


清々しい笑顔で答えるアヤメの胸元は、今日も色白で豊満で大胆であった。


……予想通り、『後ろ前』でドレスを着ていた。


オランは寝室に入ると、後ろ手で扉を閉めた。

さらに、そっと鍵をかけた。


「……アヤメ。後ろ前に着るなって言ったよな?」

「うん。だから、ちゃんと着たよ?」


悪びれる様子のないアヤメを見て、オランは確信した。

アヤメにとっての正解は『後ろ前』になっていたのだ。

そう思ってしまったのは、オランが原因だ。

オランが『後ろ前』の状態を褒めた為に、それがアヤメの中で正解になってしまった。

想定外ではあるが、これも『調教』の成果だったのだ。

常識などは関係ない。アヤメにとっては、オランが全て。

オランが喜んでさえくれれば、それでいい。

そんなアヤメの意地らしい想いが、愛しさと共にオランの衝動を加速させる。


「オラン、どう?この服」


アヤメの方から近付くと、長身のオランを見上げて微笑みかけてくる。

初めて見た訳でもないこの服を、『どう思うか』と問いかけてくる。

綺麗だと言われたい、そんな乙女心も可愛らしい。

そして、このドレスを纏ったアヤメも、それを目にしたオランも、同時に思い出した。

……『あの時の事』を。

だが、あの時とは違う。ここは寝室だ。

アヤメの後ろには、3人で寝れる程の大きなベッドがある。

部屋の鍵はかけた。邪魔なものは何もない。


「あぁ、綺麗だぜ」

「ふふっ…嬉しい」


オランはアヤメの両肩を掴んで口付けるかと見せかけて、背後のベッドに押し倒した。

背中から倒されたアヤメは驚いて、自分に覆い被さるオランの瞳を見つめた。

だが、初めてではない状況。すぐにそれの意味に気付いた。


「オラン…服が乱れちゃう…」

「いいんだよ」


乱れさせたいのは、服ではない。

どうせ、『後ろ前』の状態から着直させる必要がある。

その前に、自分だけの『後ろ前』を可愛がってやろう。

勢いに任せて、アヤメに口付けようとした瞬間……

アヤメが右手の人差し指を立てて、オランの唇にそっと触れた。

まるで、キスを『待った』と指先で制止するように。


「夜にしよう……ね?」


笑顔で囁いたアヤメの言葉に、オランはハッと理性を取り戻した。

……そうだ。ディアとリョウが、居間で待っている。

……昼休憩の時間も残り少ない。

そんな焦燥感が、余計にオランの衝動を加速させていた。

だが、アヤメの方は冷静だった。


「おあずけ。……ふふっ」


子供のように悪戯っぽく、それでいて妖艶な大人の微笑み。

子供と大人を併せ持つ不思議な年頃の乙女に、オランは何も言い返せない。

……キスをすれば、受け入れると思った。

……抱きしめれば、抱き返すと思っていた。

アヤメを調教していたつもりが、まさかアヤメから『おあずけ』を食らうとは……。


いつの間に、こんなにもアヤメは大人になったのだろう。


アヤメを成長させたのは、日々の『調教』であり『恋』、そして『オラン自身』。

だが、オランは気付いていない。

自らもアヤメに『調教』されているのだという事に。

オランは目を閉じて心を落ち着かせながら、呼吸を整えた。

そして目を開けると、何もせずに起き上がった。


「……命令だ。『後ろ前』に着直せよ」


『後ろ前』がアヤメにとって正しい着方なら、こう命令すれば良いのだ。

……これで、アヤメはドレスを正しく着る。

アヤメはベッドの上に座ったまま、部屋を出て行くオランの背中を見つめていた。


居間へと向かうオランの口元に、微かに笑みが浮かぶ。

『おあずけ』は食らったが、それは夜の『約束』を意味する。

今夜のお楽しみを得る事が出来ただけでも、良しとしよう。

待たされる分、たっぷりと時間をかけて可愛がってやるつもりだ。


……何なら、今夜は寝る前にコーヒーを飲ませてみようか。


眠らない夜を期待するオランは、悪魔らしい悪戯を脳内に巡らせていた。



そして文字通り『何事もなかった』ように、ディアとリョウの待つ居間へと戻った。



それから数分後、例のドレスに着替えたアヤメが居間に戻ってきた。

オランの命令通り、今度は前後を間違えずに着ている。

正しく着れば、背中は大きく開いているが胸元は際どくない。


「お姉ちゃん、キレイ〜!!お姫様みたい〜」

「えっ…、ありがとう、リョウくん」


お世辞は言わない子供のリョウだからこそ、その言葉の価値は何倍増しにも感じてしまう。

だが、アヤメが照れている姿を見るのが面白くない大人がいた。


「お姫サマ、こっちへ来な」


オランはリョウからアヤメを奪い取るようにして近くへ呼び寄せた。


「え、……オランまで……」


オランに『お姫様』呼びされて、アヤメはさらに照れながら歩み寄る。

アヤメが正面に立つと、オランは椅子から立ち上がった。

オランを見下ろしていたアヤメの目線が、今度は長身のオランを見上げる。


「綺麗だぜ、アヤメ。パーティーに相応しい美しさだ」


リョウに対抗するかのように、最上級の褒め言葉を与える。

褒める事は『調教』の基本だが、今はオランの本音である。


「後は、仕上げだな」


そう言った後、オランはドレス姿のアヤメを正面から抱きしめた。


「……オラン……?」


ディアもリョウもいる前での突然の抱擁に、アヤメの思考は停止した。

ディアはハッと『ある事』に気付いて、何も言わずに静視する。

リョウは、ポカンとして抱き合う二人を見上げている。


(オラン……温かい……)


アヤメはオランの身体から伝わる温もりを全身で受け止める。

……まるで、眠りに落ちるかのように意識が沈んでいく。

すると、淡いピンク色のドレスが、みるみるうちに黒く染まっていく。

まるでオランの身体から滲み出たような漆黒の色は、抱きしめられた箇所から伝わり花が咲くように広がっていく。

オランが離れると、そのドレスは完全に『漆黒のドレス』に変わり果てていた。

放心していたアヤメもまた、驚きの色へと表情を変えた。


「あれ…?服が、黒くなってる!?」


不思議そうにして自分の全身を見回すアヤメの疑問に答えたのは、ディアだった。


「そのドレスは、魔力を注ぐ事で色が変わる特殊繊維で作られています。いい買い物をしましたね」


購入時に店で代金を払ったディアは、それが高価なドレスである事は認識していた。

だが、この時まで繊維の事には気付いていなかった。

魔界の礼服が黒である事から、どんな場所にも対応できるような仕掛けが組み込まれているのだ。

アヤメが抱擁で感じた温もりは、ドレスに注がれた魔力によるものだった。

だが、アヤメは元の淡いピンク色も好きなので、心配になってディアに確認する。


「元の色には戻るの?」

「お洗濯をすれば戻ります」


真面目に返したディアだが、まるで冗談みたいな答えにアヤメは笑い出した。


「えっ…ふふっ、なにそれ…面白〜い!」


洗濯をすると、ドレスに注がれた魔力も汚れと一緒に落ちるのだろうか?

アヤメは驚きと同時に、魔界の文化の面白さを肌で実感した。

すると、リョウが先程よりも目を輝かせてアヤメを見上げる。


「お姉ちゃん、黒もキレイ〜!」

「え、ほんと?嬉しい!」

「うん。お兄ちゃんとお揃い〜!!」


オランは常に黒い服に黒いマントを纏っているので、リョウにはお揃いに見えたのだ。


「そうかな?オランのお嫁さんっぽいかな……?」


近い内に漆黒のドレスで式を挙げる姿を想像して、アヤメは頬を赤らめつつオランを見た。

オランはまるで子供扱いするような呆れ顏で笑い返した。







そして、その日の就寝前。

……オランにとっては、待ちに待った夜である。


「ガキはどうした?」

「リョウくん、今日はディアさんと一緒に寝るんだって」


オランの様子で感付いたディアが、気を利かしたのだ。


「お休みなさい、オラン」

「……それだけか?」


ベッドの上での、いつもの言葉。だが、いつもと違う響き。

いつもよりもオランの声が重く感じたので、アヤメは驚いて瞬きを繰り返す。

まさか、アヤメは『約束』を忘れてしまったのか?

昼からずっと『おあずけ』されたオランの気もしらず、アヤメはいつもの調子だ。

……だが、そんな心配は思い過ごしだった。


「あのね、さっき、コーヒー飲んだの」

「あぁ?なんでだよ」


「カフェインの魔法で眠くならないように……ね?」


……そう。アヤメは決して、オランの期待を裏切らないのだ。


「ねぇ、明かり……消して?」


部屋の明かりを消し、僅かに手元が見える程度の常夜灯のみになる。

少し目が慣れてきた所で、オランはアヤメに覆い被さる形になる。

オランの褐色の手が、アヤメの白い頬を優しく包む。

そして、いつもの『じゃれ合い』を始めた。


「コーヒー飲んだのに怒らないの?」

「怒られたいのか?」

「ううん……愛されたい」

「あぁ、いいぜ」


昼に『おあずけ』をしてきたアヤメが、夜には『おねだり』をしてくる。

全く、この年頃の娘は難しい。


「オラン、好き」

「それだけか?」


「これから……でしょ……?」


そうして習慣の『寝る前のキス』から、二人の長い夜が始まる。

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