アヤメとリョウは、午前中は城の図書館で勉強をするのが日課になっていた。
勉強と言うよりは自習で、適当に好きな本を読むだけだ。
(オランのお嫁さんになるんだから、頑張らなくちゃ…)
そういう意識も芽生え、魔界や他の世界の事など色々知りたいと、様々な本を手に取った。
読書用の机に二人並んで座ると、リョウは隣で黙々と難しそうな本を読み始めた。
天界にはない魔界の書物は、リョウにとっては興味津々なのだ。
だが、見た目は3〜4歳の子供。どこまで読めて、どこまで理解しているのかは不明だ。
アヤメが読んでいるのは、様々な世界と種族に関する解説書だった。
この世には、人間の他に悪魔や天使という種族がいる事は理解してきた。
「悪魔はオランの事よね。天使はリョウくん。あとは………しにがみ?」
アヤメは、その見慣れない文字と種族が気になって、ページをめくる手を止めた。
リョウが反応して、隣に座るアヤメに顔を向けた。
「ボク知ってるよ、死神!カマ持ってるの」
「え、鎌?なんで?草刈りするの?」
「分かんなーい!」
アヤメは再び本に視線を向ける。死神の図を見ると、確かに鎌を持った人のようだ。
解説を読むと、人間の魂を狩って喰う種族らしい。
(なんだか怖いなぁ…死神って……)
そう思うアヤメだが、オランだって人間の生命力を吸収して活動する悪魔である事を忘れている。
その時、図書館の壁に掛けられた大きな振り子時計が、正午を知らせる鐘を鳴らした。
「あっ!お昼の時間。リョウくん、食堂に行こう」
「うん!!」
昼食の時間は、昼間にオランと会える貴重な時間でもある。
アヤメはリョウと手を繋いで図書館を後にした。
魔王専用の食堂に行くと、すでにオランの姿があった。
アヤメはオランを見付けると、小走りで向かって行き抱きついた。
「オラン、お疲れ様。会いたかった…」
遠く離れていた訳でもないのに、アヤメはオランに会う度に再会を喜ぶ。
「ああ、いい子にしてたか?」
「してたもん〜」
オランは、まるで子供の相手をするような反応を返す。
アヤメは、まるで子供のように無邪気な笑顔を返す。
この『じゃれ合い』も日課だ。
だが……そんな和やかな昼のひとときを、オランの一言が一変させた。
「明日、出張に出かける。少しの間、一人でも大丈夫だな?」
「………え?」
アヤメの笑顔も一変して、目を見開いたまま言葉が出ない。
ようやく口を開くと同時に、言葉と感情が一気に溢れ出た。
「やだ、大丈夫じゃない…!」
「だと思って、日帰りにしたからな。1日くらい我慢できるだろ?」
「いや、無理、やだ、行かないで!!」
今生の別れでもないのに、アヤメは泣きそうになって懇願する。
オランは言い方を間違えた。疑問形で聞けば、答えは否定形になる。
この状況に相応しいのは、命令形だ。
「1日くらい、我慢しろ」
「…………」
アヤメが少しの時間でもオランと離れる事が出来ないのは、前回の事で分かっているはず。
そもそも、アヤメがここまで依存するのは、オランが愛情と称して行う『調教』の成果なのだ。
散々、離れられないように縛り付けておいて、今度は我慢しろだなんて……。
アヤメも必死で、今回ばかりは一歩も引かない。
「じゃあ、私も一緒に行く」
「ダメだ。行き先は異世界だ。人間が行き来するには危険が伴う」
「うぅ……ばか…オランのばかーー!!」
アヤメの口からは普段言わないような言葉が次々と飛び出してくる。
従順なアヤメは、普段はここまで聞き分けが悪い娘ではない。
どうやら、まだ反抗期は続いているようだ。
いや、反抗期の再来だろうか?
いつか、このような事態になると予測は出来た。己の願望を優先させた代償だろう。
オランも少々、目論みを誤っていた。
「アヤメ」
「……うん?」
「とりあえず飯食え」
「………それ命令?」
「あ〜〜…そうだ、命令だ」
「分かったぁ……食べる」
アヤメは素直にテーブルに着いた。
日々の『仕込み』で、アヤメは命令だと言われると無条件に従ってしまう。
すでにテーブルに着いて成り行きを見守っていたリョウは、オランをキッと睨んだ。
「お兄ちゃん、お姉ちゃんをいじめたら、だめ〜〜!!」
アヤメは微笑んで『大丈夫だよ』とリョウの頭を撫でる。
内心、『大丈夫ではない』アヤメの心を察したオランは、何も言い返さなかった。
だが、オランの内心は……
(…………可愛いな)
この悪魔は、どこまでも救いようがない。
次の日の朝。
『日帰り出張』の為、オランは朝早くに出発し、夜遅くに帰る予定らしい。
ほぼ丸一日、アヤメはオランと離れる事になる。
早朝にも関わらず、アヤメはしっかりと目を覚ました。
その後、熱い抱擁と口付けを交わしたのは、言うまでもない……。
午前中は、いつも通り、リョウと共に図書館で読書をしている。
だが、いつもと違う。今日は夜遅くまでオランに会えないのだ。
そう思うと、読書に身が入らない。
アヤメは本のページをめくるのも忘れて、溜め息だけをついた。
それに気付いたリョウが、隣に座るアヤメを心配そうにして見た。
「お姉ちゃん、どうしたの?」
「オランお兄ちゃんがね、お仕事で忙しくて会えないの」
「お兄ちゃんに会いたいの?」
「うん。会いたいよ……」
アヤメがそう本音を漏らすと、リョウはニッコリと笑った。
「ハイ、お姉ちゃん」
リョウは、片手をアヤメに差し出した。
小さな手を開いて、『手を乗せて』と催促している。
アヤメは、ハッとした。これは………少し前に見た事がある。
リョウの手に触れると、望んだ場所に一瞬で移動する『空間移動』の魔法が発動される。
きっとリョウは今回も、アヤメをオランの元へと行かせてあげようと思ったのだ。
だが、今回は冷静に考えてみる。
「リョウくん、オランが今どこに居るか、知ってる?」
「知らなーい」
アヤメは不安になった。オランの行き先も不明なのに、正確に辿り着く事が出来るのだろうか。
それに、『来るな』と言われたのに勝手に行ったら、オランは怒るだろう。
(でも、『行き来する』のが危険って言ってたし、一瞬で行けるなら問題ないのかも?)
アヤメは都合良く解釈した。
言われた通りに従えない『反抗期』が続いている事も、その考えを助長した。
オランに会いたい。その一心で……
アヤメは、リョウの手の平に自分の手の平を重ねた。
すると、アヤメの体が光に包まれた。
ドサッ!!
『空間移動』の魔法で移動すると、目的地の床よりも少し高い位置に繋がるらしい。
アヤメは上手く着地できず、地面に尻餅をついた。
足元を見ると、ここは室内の床ではなく、地面の土だった。
次に顔を上げて、辺りを見回す。周囲には木々しかない。
ここは、どうやら森の中。
アヤメはたった一人、森の静寂の中で座り込んでいた。
だが、この場所は見覚えがある。
木の形、配置、流れすらも、全てが幼い頃からの記憶の通りだった。
ここは人間界。アヤメが生まれ育った村の近くにある森だ。
そして……アヤメが、オランと出会った場所。
(え……なんで!?)
アヤメは立ち上がって愕然とする。
オランの元へ行きたいと思ったのに、何故ここに来てしまったのか?
リョウの『空間移動』の魔法は完璧ではない。
不明確な行き先を目的地にした為、その力は正しく発動されなかった。
結果、アヤメの記憶の中で『最も印象深い場所』に辿り着いたのだ。
その時、近くの木々の奥から、何か大きな物が倒れるような物音がした。
アヤメは驚いて、その音がした方の木に歩み寄る。
木々の隙間から、そっと奥の様子を覗いた。
そこに見えたのは……見慣れない子供、男の子の姿だった。
だが、何か様子がおかしい。
その子供は、地面にある何かに手を伸ばしているようだった。
その子供の視線と手の先を見ると、地面に誰かが倒れている。大人の男性だ。
アヤメは、その男性に見覚えがある。同じ村の住民だ。
子供は、仰向けに倒れた男性の胸に手を突き刺し、何か丸い物を取り出したように見えた。
(えっ……!?)
目の前の光景に、アヤメは恐怖のあまり息を呑んだ。
(人の心臓を……取り出した!?)
すると子供は、その手に収まるほどの小さな球体に……かじりついたのだ。
それは、まるでリンゴを丸かじりするような仕草だった。
(心臓を……食べてる!?)
アヤメの目に映る少年は、まさしく妖怪……いや、人の内蔵を食べる化け物だろう。
よく見ると、子供が手に持っている心臓のような球体は、発光している。
もう片方の手には、大きな鎌のような刃物を持っている。
人を斬って心臓を取り出したにしては、刃物も手も血で汚れていない。
アヤメは思い出した。図書館の本で知った、あの種族の事を。
(死神……!!)
子供が食べているのは心臓ではなく、人間の魂なのだろう。
人の魂を狩って喰らう『死神』に違いない。
目の前の子供は、見た目は10歳ほどの少年。
銀色の髪に、紫の瞳。誰も寄せ付けない程に冷たく鋭い眼光。
だが、その顔立ちは背筋が凍る程に美しく、大人でも魅入られてしまうだろう。
大人が持つような大きな鎌を持ったその姿は、小さな子供にはアンバランスだ。
少年は魂を一口かじっただけで、その手を止めた。
そして、眉をひそめ不満そうに呟いた。
「不味いな。こんなモン食えねぇ」
そして、少年はそのまま、アヤメの隠れる木々の方に視線を向けた。
アヤメは驚きと恐怖で、瞬時に息を止めた。
ここに居る事に、すでに気付かれている。
「なに見てんだよ、お前」
紫色の鋭い眼光に怯んだアヤメは何も出来ずに……その場に立ち尽くしていた。
人間界の森の奥深くで、少女と魔王は出会った。
そして、今また同じ場所で……少女と死神は出会った。