目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
第7話『反抗期到来?』

全てが上手く行っていると思った。

アヤメは、その身に教え込まれた法則に従い、ひたすらにオランを求め、触れ合い、尽くしていく。

今や、オランの理想を具現化したアヤメの姿は、彼を満足させるのに充分な程であった。

だがそれは、満たされる事のない器と、満たしてもらえない器に過ぎない。

オランの『願望』を満たす代わりに、アヤメに植え付けられたものは『渇望』。

オランは気付いていなかった。

『調教』にも『恋愛』にも、『完璧』はあり得ない………という事に。







いつもの朝……のはずだった。

オランが目を覚ますと、胸元に抱きつくようにして眠るアヤメの顔が視界に映った。

ぼんやりとしていた視界にピントが合うと、アヤメがしっかりと目を開けてオランを見上げている。

アヤメが先に目覚める事は珍しくない。

いつもと違うのは、オランの目覚めに気付いたというのに、アヤメが全く動かないからだ。

『朝のキス』という、日課の行為に移ろうとしないのだ。

オランが、アヤメの白く柔らかい頬に、そっと片手で触れた。それが催促なのだ。

すると、いつものように、キスの前に照れながら囁く『あの言葉』をようやく口にした。


「おはよう、オラン…………好き?」


「………んぁ?」


寝起きという事もあり、オランの口から気の抜けた声だけが漏れた。

アヤメの言葉の最後が、終止形ではなく疑問形であった。

アヤメは瞬きもせずに、オランの深紅の瞳から一切目を逸らさずに、同じ言葉を囁く。


「好き?」


やはり、疑問形だ。これは、完全に問われている。

オランが答えずにいると、アヤメは自ら、その言葉の続きと真意を話し始めた。


「私は毎日言ってるけど、言ってもらった事は、一度もないから……」


ここでオランは、アヤメの心を汲むべきだった。

無欲であるはずのアヤメが、この言葉を口にした意味を。

答えを間違えば、純粋なアヤメの心は簡単に傷付いてしまう事を。


「んだよ………当然だろ」


それが、オランの答えだった。

寝起きだからか素っ気なく、気遣いの欠片もない。


…………そうじゃない。


嬉しくない。期待していた答えとは違う。

そう思ったとしても、アヤメは当然ながら、口答えはしない。

唯一できる反論は、やはり疑問形にして返す事だけだった。


「じゃあ、私がオランを好きなのも、当然なの?」

「………何が言いてえ?」


(私、『好き』って言わされてるだけ…なの?)


それは、決して口に出してはいけない言葉だと、アヤメは分かっている。

決して思ってはいけない、持ってはいけない疑問なのだという事も。

そう思ってしまえば、自分の全てが否定されてしまうから。


「なんだ…オレ様が信用できねえのか」


オランは、添えた片手でアヤメの頬を優しく撫でる。大切な物を扱うように。

嬉しい行為のはずなのに、アヤメは否定を伝えたくて僅かに顔を横に振った。


「ちがう…好きだし、信じてる……でも……」

「でも何だよ?何を望むのか言ってみろ」


オランは、アヤメを厳しく問い詰めている訳ではない。純粋に望みを叶えてやろうという優しさのつもりだ。

その残酷な優しさが、アヤメを追い詰めていく事に気付かない。


「……そうやって、言わせようと……しないでよ……」


次の瞬間、アヤメが突然、布団を掴んで勢いよく起き上がった。

布団が一気に足元までめくり上げられて、オランとは反対側のアヤメの隣で寝ていたリョウが目を覚ました。

そして、怒るというよりは泣きそうな顔でオランに言い放った。


「もういい、知らない!!オランのバカー!!鬼ーー!!あくまーーー!!!」


アヤメの精一杯の反抗と思いつく限りの罵倒が、これだった。

悪魔を悪魔と言った単なる正論でしかないそれは、子供の口ゲンカのようで全く迫力がない。

オランとリョウは、寝た体勢のままで呆気に取られていた。

だが、すぐにいつもの余裕を含んだ顔に戻る。


「……それで?悪魔のオレ様に何を望む?」


何故オランは、ここで揚げ足を取ってしまうのか。

アヤメは起き上がると、ベッドから降りて立ち上がった。オランはベッド上で上半身を起こす。

涙をこらえて、精一杯の虚勢を張った。その口元が微かに震えている。


「………もう、一緒に寝ない」


アヤメにとっては思い切った、最大級の反抗を見せたつもりだった。

だが、オランは落ち着いている。むしろ面白いモノを見た時の顔をしていた。正真正銘の悪魔だ。


「へえ?出来るのか?」


アヤメが一人では眠れないという事は、オランが誰よりも熟知している。

心で抵抗しようが、身体が求めてくるだろう。その逆もまた然り。

オランが注いで来た『調教』という名の愛情はアヤメの心と身体を縛り付け、決して逃れられない鎖となった。

だから、引き止めはしない。そもそも、アヤメの自由を奪おうなんて一度も思わない。

そうしたいのならば、させてやる。結果は見えているのだから。


「一人でも寝れるもん……」


アヤメにも自信がないのか、やはり子供のような捨て台詞だ。

だが、アヤメはベッド上で身を起こしているオランの正面に立つと、身を屈めて顔を近付ける。


「おはよう……」


そう呟くと、いつもより口を尖らせながらも、オランに口付ける。

こんな修羅場でも結局、アヤメは『朝のキス』を欠かさない。哀れなほどに従順だ。

意地悪なオランは、アヤメの後頭部を片手で押さえて、強く引き寄せた。

驚いたアヤメは一瞬、身体を強張らせた。


(足りなかったのか?………なら、教えてやる)


決して逃がさないとばかりに、いつもよりも深く長く、アヤメの唇を縛り付けた。


「……?………ふ…ぅ………」


塞がれたアヤメの口から、甘い吐息が漏れ始める。

控えめに閉じた唇を強引にほどかれて、同時に身体の緊張もほぐされていく。

だが、今度は全身に力が入らない。思考能力も働かない。


(本物の…………快楽ってヤツを)


ようやく長い束縛から解放されると、アヤメは頬を紅潮させて小さく息を吐いた。

焦点が合わず、甘い余韻から意識が抜け出せないでいる。

オランは意地悪そうに笑いながら、いつでも再び口付けられそうな至近距離で囁く。


「どうだ…………良かったか?」


もはや言葉攻めだ。

残る感触、深紅の瞳、甘い囁き、快楽の味。5感全てを支配され、身動きすら出来ない。

そんなアヤメが答えられるはずもない。口を開いてしまえば、彼の思惑通りの答えしか出ない。


「……知ら…ない……もん……」


やっとの思いで名残惜しさを振り切ると、アヤメは裸足のまま走り出して、逃げるように寝室から出て行った。

それに続くように、リョウが急いでベッドから飛び降りると、アヤメの後を追った。


「お兄ちゃんの、ばかー!おにーあくまー!!!」


完全にアヤメの真似をしながら、パタパタと走り去って行った。

オランは何も言わずに、余裕の構えで見送った。

二人とも寝間着のままなので、またすぐに戻って来る事になるだろう。

オランは再びベッドの上に寝転がり、仰向けになった。


……これが『反抗期』なのだろうか。


所詮は17歳の少女。この程度は想定内だ。

意地を張る姿も、少し怒った顔も、拗ねた顔も。まだ見た事のないアヤメを知る度に快感を覚える。

全てを知り尽くして、全てを支配したいという欲望は尽きない。


「………可愛いな」


本当に、この悪魔は、救いようがない。





どうせ夜になれば、アヤメは自分の元へと戻って来る。

何故ならば、アヤメは知ってしまった『快楽』を忘れる事など出来ないのだから。

この続きは、今夜だ。

今日は特別な夜になりそうだ。どのようにして可愛がってやろうか?

そんな事ばかりが、オランの脳内を巡っていた。





修羅場を繰り広げた日の昼。

アヤメはリョウと一緒に、城の中にある図書館に来ていた。

向こう側の壁が見えない程の広い部屋の中に、大人の身長よりも高い本棚が無数に並んでいる。

いつもなら、この時間はオランの昼休憩の時間であり、必ずアヤメと一緒に過ごす時間であった。

だが意地を張っているアヤメは、今日に限っては、オランの所へは行かなかった。


「リョウくん、絵本読んであげるね。好きな本、持って来て」

「うん!!」


リョウは背伸びをしながら本棚の本を手に取っては、あれこれ物色していた。

アヤメの『寂しい』という感情は、リョウと一緒に居る事で少しは解消する事が出来た。

だが突然スイッチが入ったかのように、激しい虚無感に襲われた。


(オランの所に行きたい……会いたい……)


朝、同じベッドで寝ていたのに。今も同じ城の中に居るのに。行こうと思えば簡単に会えるのに。

少しの時間、少しの距離を離れただけで、どうして、こんなに寂しいのだろうか。

今すぐに抱きしめて欲しい。朝みたいに、もう一度この唇に重ねて欲しい。

………そう。これこそが、無意識に『心と身体が欲している』状態であった。


(好き……会いたい……)


ハッと意識を取り戻すと、リョウが本を持って自分を見上げている事に気が付いた。

アヤメは少し無理をして笑顔を作った。


「あ、絵本持ってきたの?」

「ボク、これがいい!!」


そう言って、リョウは笑顔と共に、数冊の本をアヤメに差し出した。

それらは妙に分厚くて大きな本だったので、アヤメは驚いた。

明らかに絵本ではない。文学書か辞書のようだった。


「リョウくん、こんな難しいの読むの!?」

「うん!」


リョウは当然の事を答えるようにニコニコしている。

優秀な天使であるらしいが、見た目は3〜4歳の子供である。

勉強させるどころか、逆にリョウから勉強を教えてもらった方が良さそうだ。

アヤメはリョウを驚きの目で見た後、その難しそうな本を開いてみた。

やはり、内容は良く分からない。だが、それ以前に不思議に思った。


(あれ……?なんで私、文字が読めるんだろう?)


その本は、当然ながら人間界の文字で書かれてはいない。きっと魔界の文字だろう。

パタン、と本を閉じた時に表紙に乗せられた自分の左手を見て、アヤメは気が付いた。

左手の薬指に嵌められた、その『婚約指輪』に。


(もしかして、これも指輪の効果なの?)


アヤメの為にオランが魔力を込めてくれた、婚約指輪。

この指輪には様々な効果があり、人間が魔界で暮らす為の補助をしてくれる。

魔界での体力の消耗を防いだり、危険から身を守ったり、寿命を延ばしたりするらしい。

寿命に関してはオランが教えた『嘘』なのだが、その事をアヤメは知らない。

オランの深紅の瞳と同じ色をした宝石の指輪を見ていると、彼と見つめ合っているようで愛しさが増していく。

離れていても、いつも一緒なのだと全身で感じる事ができる。


(ありがとう………好き……)


アヤメは薬指で光る小さな宝石に、そっとキスをした。





その頃、オランは自室の豪華な椅子に、もたれ掛かっていた。

そのすぐ側にはディアが立っている。

いつもの風景だが……何かが、いつもと違った。


「あの、魔王サマ。お昼休憩の時間ですが」

「あぁ?知ってるよ」


平然とした様子のオランだが、ディアは、この状況を不思議に思った。


「アヤメ様とご一緒しないのですか?」

「たまには、いいんじゃねぇ?夜になれば戻ってくんだろ」


自信満々に言うオランだったが、ディアは察した。

これは、何かあったな……と。


「よろしくないと思います。アヤメ様の元へ向かわれてはどうでしょうか」


ディアは、普段からオランに反論や口答えをする、怖いもの知らずな男だ。


「必要ねえ。必ず戻って来る。そう育てたんだからな」


だからこそ、アヤメはオランと離れる事が、どれだけの苦痛となるのか。

普段から二人を間近で見て来たディアには、それが痛いほどに分かる。

ディアはオランの椅子の正面に立ち、反抗的かつ冷たく見下した。


「失礼を承知で申し上げますが」


ディアが、そう前置きをした。彼がオランに失礼な発言をするのは日常だし、オランも気に留めていない。


「アヤメ様は、貴方様の『玩具』でも『奴隷』でもありません」


オランは顔を上げて、ディアの瞳を見返した。

生意気にも、今朝のアヤメと似た瞳をしている……そう感じ取った。

スっと、オランから笑みが消えた。反抗的な瞳に、威圧的な瞳で返した。


「テメエこそ、履き違えるんじゃねえよ」


遊びだと思った事も、服従させようとした事も、一度もない。

こうしている今も、アヤメは苦しがってなどいない。

常にお互いが『愛しい』と思い続けている。それが絶対的な自信なのだ。

この、少し距離を置いた時間すらも、二人が愛を育む為の行為でしかない。

ディアはオランの言葉を汲み取り、表情を少し緩めた。


「はい。申し訳ありません」


続けて、オランも口元を緩ませた。


「いいぜ。それに、奴隷は一人で充分だからな」


少しの沈黙の後、ディアが再び冷たい眼で睨み返して来た。


「それは誰の事でしょうか?」

「さあな?」


いつもの二人らしい会話が戻って来た。





そして、その日の夜がやってきた。

アヤメとリョウは、オランの部屋から何部屋か離れた部屋に居た。

オランの寝室よりは狭いがベッドがあり、自由に使ってもいいと与えられた部屋だった。

二人とも寝間着に着替えて、寝る準備は万端だ。

だが、それは見た目だけ。アヤメには眠気など全くない。

いつもと部屋が違うから、ではない。オランが隣に居ないからだ。


(一緒に寝ないって言っちゃったし……怒ってるかなぁ……)


そう思っているアヤメは怖気づいて、オランの部屋に戻れないでいた。

本当は一緒に寝たい。温もりに包まれて眠りたい。朝まで一緒にいたい。

寝る前のキスだって、欠かしたくないのに……。

そう思っていると、先にベッドの布団に潜り込んでいたリョウが顔を出して、こちらを見ていた。


「お姉ちゃん、寝ないの?お兄ちゃんは、どこにいるの?来る?」


すでにリョウも、オランと一緒に寝るのが当たり前だと思っているのだ。

そんなリョウを見て、アヤメは胸が少し締め付けられるような気がした。

アヤメは自分の心の内を明かすように、幼いリョウに問いかけた。


「オランお兄ちゃんはどうして、私に『好き』って言ってくれないんだろうね?」


思えば習慣のキスも、いつも自分の方からしている気がする。

……もしかして私の事、好きじゃないの?

そう思ってしまうのは、まだ拗ねているからだ。本当は答えなど分かっているのに。

リョウは水色の瞳を大きく開いた。


「お姉ちゃんは、お兄ちゃんが好き?」

「うん。好き」

「じゃあ、お兄ちゃんも、お姉ちゃんが好きだよ」


リョウが当然の事のように言うので、アヤメは思わず吹き出して笑った。


「え?何それ、なんで分かるのー?」


リョウも笑顔になって、アヤメに小さな片手を開いて差し出した。


「ハイ、お姉ちゃん」


手を出して、と催促しているようだった。


「え?なぁに?」


アヤメは、差し出されたリョウの手の平に、自分の手の平を重ねた。


「いってらっしゃーい」


リョウがそう言うと、アヤメの体が光に包まれた。

アヤメが驚く間もなく次の瞬間には、その場からアヤメの姿は消えていた。

それは『空間移動』の魔法だった。





その頃のオランはベッドの上で、布団も被らずに仰向けに寝転がっていた。

何を考えているのかと言えば、もちろん、アヤメの事しかない。

夜になれば戻ってくると思っていたが、なかなかアヤメも辛抱強い。

来れば、優しく抱きしめてやるのに。

今朝の事など全て忘れるくらいに可愛がってやるというのに。

待ちきれなくて一人で眠れないでいるのは、オランの方だった。

すると、突然。


ドサッ!!


「きゃあっ!」

「うぉっ!?」


アヤメが空中から現れて落ちたのは、仰向けになったオランの体の上だった。

オランに覆い被さる形で、その胸の上に倒れ込んだ。

アヤメが顔を上げると、間近にオランの顔があり、目が合った。

胸と胸が重なり合い、お互いの心臓の鼓動も重なる。



ただ何も言わずに……深紅の瞳と、栗色の瞳の視線が重なる。



オランが驚いた顔をしたのは一瞬の事。

どうせまた、あのガキの『悪ふざけ』だろうと予測は出来た。

真顔のオランに見つめられて、アヤメが感じたのは、驚きでも気まずさでもなかった。

やっと……待ち望んでいた『彼』が、すぐ目の前に居る。

それは喜びと期待で胸が躍るような感覚に近かった。

アヤメは、オランの瞳から唇へと視線を移す。


(キス………したい……)


抑えられない衝動と本能に導かれるまま、アヤメはオランに自らの唇を近付けていく。

だが触れる直前になって、オランがそれを避けて上半身を起こした。

それによって、オランに覆い被さって倒れていたアヤメも一緒に起こされ、ベッド上に座った体勢で正面から抱き合う形になった。

キスの『おあずけ』をされたアヤメは、物欲しそうにオランを上目遣いで見上げた。

だがオランは静かな瞳のまま、アヤメの唇ではなく左手に触れて、そっと持ち上げた。

婚約指輪の嵌められている、アヤメの左手の薬指を見つめた。


「………力が弱まっているな」

「え?」


何の事だか分からないアヤメはオランの顔を見るが、彼の視線の先は指輪だ。


「大人しくしてろよ」


今朝の素っ気なかったオランとは違い、優しい口調だった。

オランはアヤメの左手を自分の口元にまで持ち上げると、指輪の宝石に口付けた。


「あっ………」


アヤメは思わず小さな声を出してしまい、恥ずかしくなって口を噤んだ。

昼に図書館で寂しくなった時に、自分も指輪の宝石にキスをした事を思い出したのだ。

指先が、温かい……熱を帯びて熱くなっていく気がする。

キスをされているのは、指ではなく指輪なのに……唇の熱が指に伝わるはずはないのに。

それなのに……熱を感じる。

オランは今、『口付け』という方法で、指輪に自身の魔力を注ぎ込んでいるのだ。

指輪の魔力は、オランから離れると効果が薄れてしまう。

今日は朝からずっとアヤメと離れた場所に居た為に、指輪の魔力が弱まってしまっていた。

魔力を込める方法なんて他にもあるのに、何故ここで『キス』という方法を選んだのか。

オランが指輪に口付けたまま、目線だけをアヤメに向けた。どこか意地悪く……楽しそうな眼で。


(ちがう、オラン…そこじゃない……)


思った通りだった。

アヤメは指ではなく、オランの眼を必死に見つめ返し、目で何かを訴えている。

唇を少し動かして『早く早く』と、せがむようだった。


(……お願い……キス……させて……)


それは、まさしく『おねだり』という懇願だ。

それに気付いても、意地悪なオランは時間をかけて指輪に魔力を込める。

『おあずけ』を楽しみたいオランは、その快楽を簡単に手放す事はしない。

ようやく、オランは指輪から唇を離し、顔を上げた。

目の前では、アヤメが目を潤ませながら、何かを期待して待っている。


「なぁに欲しがってんだよ」


アヤメからは、今朝の反抗的な態度は微塵も感じられない。


「もう……キスしてもいい?」


迷う事なく即答したアヤメに、オランは少々驚いた。感心に近いかもしれない。

これは、調教による『禁断症状』なのだろうか。

今日の二人の『少し離れた時間』が、予想外の成果をもたらした。

今日は、今までにない何かをアヤメから引き出せるかもしれない。

オランの期待と願望は止まらなかった。


「その前に言う事があんだろ?」


それさえ言えば、キスを許される。そう教え込まれた日課だ。


「オラン、好き……キス、したい……お願い……キスさせて?」


必死で懇願するアヤメの言葉は、もう止まらなかった。

羞恥心も、反抗心も、全てが捨て去られていた。


「一緒に寝たい……寂しい……ごめん、な……さ……」

「オイ、泣くなよ」


オランが珍しく焦り出した。このままだとアヤメが大泣きしそうな勢いだ。


「それ命令?」

「あ〜〜そうだ、命令だ、泣くんじゃねえぞ」

「う……分かったぁ……」


従順なアヤメは、自分の涙すら抑え込んだ。そこだけは見事な感情コントロールだ。

いや、コントロールされているのはオランの方で、いつの間にかアヤメのペースだ。


「ったく……悪かったよ」


オランはアヤメを力強く抱きしめた。17歳の小さな身体は簡単に包み込む事が出来る。

気持ちを落ち着かせようと、頭を優しく撫でてやる。

ずっと求めていた温もりに包まれて、アヤメは彼の胸に顔を押し付けて微笑んだ。


アヤメは顔を上げて、先ほどよりも近くにあるオランの顔に問いかけた。


「怒ってる?」

「オレ様が、いつ怒った?」

「じゃあ、キス?」


いい加減キスしてやらないと、この可愛い『おねだり』は永遠に続きそうだった。

そんなアヤメを見続けたいとも思うが、今日のアヤメは上出来だ。

怒るどころか、ご褒美を与えて褒めてやるべきだろう。

オランは真剣な眼差しで、赤の瞳にアヤメの瞳を映した。


「好きだ。アヤメ」


その言葉に驚いたアヤメが何かを言おうと、唇を開いた瞬間。

その唇を塞ぐかのようにオランが深く重ね、口付けていた。

腰の後ろに回されていたオランの両腕が、アヤメの身体を強く引き寄せた。


「……んっ…………」


やっと、待ち望んでいた温もりと感触を与えられ、悦びと快感に身を任せる。

自分からのキスではない。オランから与えられたキスだ。

アヤメはその『ご褒美』を、酔い痴れるように目を閉じながら味わっている。

もう、ずっと離れたくない。

そう思わせる程に全てを受け入れるアヤメの姿は、オランをも満たしていく。

ようやく離されると、オランは今朝と同じように『言葉攻め』でアヤメの反応を試す。


「なんだよ、物足りねえような顔してんなぁ?」


まだ夢見心地で呆然としているアヤメは瞬きもせずに、まだ熱の残る唇を小さく動かした。


「うん……もっとして……」


明らかに今朝とは違う反応を示した。

恍惚としながらも妖艶な微笑みは、少女が女に変わる瞬間を垣間見た気がした。

キス1つするのに必死になっていたあの頃から見違えて、ここまでの仕上がりになるとは。

その出来映えには感嘆する。

そんなアヤメの姿は、自ら手掛けた芸術作品の完成を見るようで、オランに確かな満足感を与えた。

だが満足していないのは、アヤメの方だった。長い期間の渇望は、1回のキスでは満たされない。

だが、満足させないのが、オランの『調教』。ご褒美は一度に何度も与えてやらない。


「そうだなぁ……いい子にしてたら、またしてやるよ」


そう言ってオランは、アヤメの頭を優しく撫でた。


「いじわる……」


子供扱いされたようで、アヤメは頬を膨らませた。

女になったかと思えば、すぐに少女に戻る。

反抗期かと思えば、やはり従順で自分を求めてくる。

目紛しく表情を変える姿すら、オランを悦ばせる快楽の1つなのだ。

アヤメは、すぐにその顔を微笑みに変えると、改めて向かい合う。

ここからは、いつもの『習慣』を行うのだ。

それを理由に、もう1回『アヤメからのキス』が許される。


「おやすみ、オラン」


「それだけか?」


初めて『好き』と言ってくれた彼に返す言葉は、これしか見付からなくて……

彼の『好き』よりも、もっと沢山の『好き』を込めて返したい。

いつもの言葉だけでは、物足りないから……



「……好き」



そうして今度は二人で眠る為の、優しい『口付け』を交わす。

微笑みを交わした後に再び抱き合い、ようやく二人は同じベッドで眠りについた。

反抗期も悪くはない……オランは、そう思いながらアヤメを抱き寄せて、栗色の髪を撫でた。







「ディアお兄ちゃん、一緒に寝よう〜〜」


その頃のリョウは突然、ディアの部屋に押し掛けて、怖いもの知らずの彼を驚かせた。


「リョウ様……どうされたのですか?アヤメ様は?」


リョウはお構いなしにディアのベッドに上がり、布団の中に入り込んだ。

何かいい事でもあったのか、ご機嫌なリョウはニコニコして布団から顔を出した。


「お姉ちゃんとお兄ちゃん『らぶらぶ』なの〜」


ディアはその意味を想像して固まった。だがリョウは止まらない。


「だから、ジャマはダメなの〜〜」

「え、ええ……そうですね。ご立派です、リョウ様」


何かがあったかと思って散々、心配したのに今度は………

ディアは失礼を承知で今、二人に言いたい事がある。


………結局は、ノロケだったのか。


言える相手もなく、言えるはずもない言葉は、心の中での一人ツッコミで終わった。

コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?