「おはようございます。あら……」
いつものように研究開発部に出勤したトレーシーは、違和感を感じてキョロキョロと部屋を見回した。
いつものように縮尺がおかしい変な空間ではあるが、彼女が感じた違和感はそれではない。
アルバスの席が、妙にスッキリとしている。
「今朝はアルバス先輩が居ないのですね」
「おはよう、トレーシーちゃん。そうなのよ。今日はアルバス、いないのよ。珍しいでしょ? 実家から呼び出しがかかったらしくて……」
「あら。そうなんですか」
(アルバス先輩のお家で、何かあったのかしら?)
首を傾げながらも思わず体に力が入って、トレーシーの体が強張る。急に強くなった不安感を解消したくて、彼女はトラントに聞く。
「トラント部長。アルバス先輩のご実家で、何か大変なことでも起きてしまったのでしょうか?」
「どうかしらね? 特別な情報は何は入っていないけれど……心配いらないわ。多分、怒られてるのよ。あまりにも実家へ帰らないから」
「ふふ。アルバス先輩ならありそうですね」
おどけたように言うトラントに、トレーシーは肩の力をふっと抜いて笑った。
(良かった。……ん? 怒られるなら、良くないかしら? でも。会いたいと思われる方が、私のように追い出されるよりは、いいわよね)
家族というものと縁の薄いトレーシーは、帰らないことを怒られるくらい家族と仲良しなアルバスが少し羨ましいと思う。羨ましい、妬ましいという気持ちがあっても、自覚出来れば気分は落ち着いていくものだ。しかし、今のトレーシーはむしろ逆。アルバスがいない、と、いう事実が化けた不安が心の底を叩き、舞い上がってくるモヤモヤとした感情にトレーシーは戸惑う。
(何かしら? この落ち着かない気持ちは……)
困惑するトレーシーに気付かず、トラントは話しを進めていく。
「と、いう事で。今日はアルバスの代わりに別の人と組んで作業して貰うわ。マーク君っ」
「はい、トラント部長」
トラントはマッチ棒に金髪のクシャクシャ天パのカツラをかぶせたような男を呼んだ。
「今日はマーク君と作業してね、トレーシーちゃん」
「はい、分かりました。よろしくお願い致します、マーク先輩」
「よろしく~」
軽くカーテシーをするトレーシーに、マークは左腕を胸にあてて軽いお辞儀をした。
(マーク先輩とお仕事をするのは初めてだわ)
よくよく考えてみれば、トレーシーが仕事を始めてから一緒に魔法を使う相手は、いつもアルバスであった。
(なぜかしら?)
疑問に答えが出る前に、マークは興味津々でトレーシーに問う。
「で、ボクは何を手伝えばいいの?」
「えっと……魔法薬作りをお願いします。……んっ、アルバス先輩のメモによると……コレかな?」
トレーシーはアルバスの指示通りに薬草を机の上に並べていった。
「ふーん。こんな感じなんだ。コレは乾燥させたモノの方でいいの? 成分を抽出した方のでなく?」
「はい。液状のモノは昨日試したのですが、分離しちゃったので」
「ふーん。乾燥した薬草の方がいい場合もあるのか」
「試してみないと分かりませんけどね。アルバス先輩によると、抽出時に使っている添加物が良くなかったのではないか、というお話でした」
「そんな事もあるんだね。じゃ、試してみようか」
「はい」
いつものようにトレーシーは、大きな鍋の中へと薬草をポイポイと放り込んでいく。
「魔力流すよ」
「はい、私も流します」
「あ、ソレだとちょっと強いかも」
「えっ? すみません、マーク先輩。このくらいでどうですか?」
「あー、それだと弱すぎかも」
「じゃ、このくらいで」
「ん、それだと強い」
魔力を調節しながら流しているのだが、マークとトレーシーのバランスがなかなか整わない。
(アルバス先輩とは、こんな風になった事ないのに……)
首を傾げながらも、トレーシーは相手に合わせて魔力を調整していく。
「このくらいで大丈夫ですか?」
「んー……ちょっと違うみたいけど。まぁとりあえず、このくらいでやってみるかい?」
「はい」
(マーク先輩相手だと調子が出ないわ……)
トレーシーの感覚と合わせるように鍋の中は、薬草たちが混ざり合いそうでいて混ざらない、中途半端な状態になっていた。
「あー、ダメっぽいねぇ」
「そうですね」
鍋の表面には乾燥した薬草が元のままプカプカと浮かんでいる。
抽出液も混ざり合わずにマーブル模様を描き、その間に腐りかけたような生の薬草が踊っているような状態だ。
とても魔法薬には見えない。
(なんだかおかしいわ。昨日までは、こんなことなかったのに……)
「んー、やっぱりアルバス相手でないとダメかぁ」「えっ?」
「キミとアルバスの魔力って相性いいよね?」
「はい?」
「あ、気付いてないのか。うん、魔力の相性ってあるから、誰とでも一緒に作業できるわけじゃないよ? 知らなかった?」
「知り……いえ、知ってはいますけど……え……」
(魔力の相性……)
知識としては知っている。
魔力というものに相性があることは、学校で教えられたからだ。
だが、実感はない。
トレーシーにはピンと来なくて、その理由を考えてみる。
そして、気付く。
アルバス以外と組んで魔力を使った実験をしてこなかったことに。
(……アレ? 私はなぜ気付かなかったのかしら?)
魔力の相性に関してアルバスが特に何かを言ってくることはなかった。
合わせてやっていると恩着せがましく言われることもなかったし、相性の良さを殊更に騒ぎ立てるということもない。
とても自然に作業を進めていく、それだけだ。
だからトレーシーは、大人の優秀な研究者というものは相手に合わせて魔力を調整できるものだ、と、勝手に思っていた。
(……アレ?)
マークが優秀でない、という訳ではない。
研究開発部に優秀でない者などいないからだ。
魔力の相性が悪くても一緒に仕事をすることはできる。
研究開発部の仕事は、魔法薬を作るだけではない。
だが――――。
(いま一瞬、一瞬だけですけど。マーク先輩と一緒に仕事をするのは嫌だと思ってしまいましたわ)
仕事を一緒にするだけならば、相手は誰でも構わないはずだ。
ここは変人ばかりだが、優秀な人材しかない場所。
その中でトレーシーは一番の下っ端で、相手を選べるような立場ではない。
(何か……アレ?)
「ダメなもんに固執しててもしょーがないよねぇ。別のことしようか。魔道具の方なら手伝えるかも。……って、ねぇキミ? 聞いてる?」
「……あ、はい。すみません。でしたら魔道具のほうを……」
トレーシーは、考えがごちゃごちゃとしてまとまらず今日は仕事になりそうにないわ、と、思いつつも、魔道具を開発している場所にマークを案内する。
アルバス発案『ロマンチック魔道具』を見て渋い顔をしているマークを眺めながらトレーシーは、自分のなかに沸いた不思議な感情に首をかしげた。