音楽が終わり、会場が一瞬だけ静かになった。
眼鏡越しでない青い瞳に見つめられて、それを赤茶の瞳で見つめ返すトレーシー。
(派手な貴族服を着ていても、レンズの厚いメガネをかけてなくても、アルバス先輩の側は落ち着くわ。なぜかしら?)
などと呑気に考えていた彼女の耳に、聞き慣れた声が響く。
「久しぶりだな、トレーシー」
驚いて振り返れば。
「……お父さま?」
そこには、騒めく人々の波を割るように近付いてくる父の姿があった。
(なぜ、お父さまがココに?)
「私たちが居る事にも気付かないなんて。良いご身分だこと」
動揺するトレーシーを嘲笑うかのような歪んだ笑みを浮かべた義母の姿もあった。
「実の親の動向も知らないだなんて。ホント、非常識ですわよ、お義姉さま。いえ、お姉さま」
義妹エリザベスの姿もある。
「婚約破棄した身で、すぐに男と踊っているとは。キミは思いのほか尻軽だな?」
ユリウス・イグナコス子爵令息の姿まであった。
「……」
(どういう事かしら? 皆してゾロゾロと……)
「驚いているね? トレーシー」
「私たちが平民だと思っているからよ、アナタ」
「まぁ! 実の娘だというのに、お父さまが男爵位を得てリトル男爵になった事も知らないのかしら? お姉さま」
「あー……」
(そう言えば、セイデスが何か言ってたわね? 興味が無さ過ぎて忘れてましたわ)
「その様子では、私とユリウスさまの婚約が整ったことも知らないのでしょう?」
「あぁ。キミのそういう冷たくて気の回らない所が大嫌いだったんだ、ボクは」
「……」
(まぁ、こちらとしても平気で妹に乗り換えるような男の好みになんて興味がありませんし。……それよりも、男爵位くらいで家族総出でゾロゾロと。婚約者まで一緒だなんて、お金が掛かったでしょうに。商売の方は本当に大丈夫なのかしら?)
「義姉妹ごっこは終わりにしたようね?」
「ええ、お姉さま」
「もうダウジャン伯爵家に義理立てする必要がないからな。愛する家族……ホンモノの家族に囲まれて、私は幸せにやってるよ」
「そうよ、そうよ。愛する夫のいる幸せな家庭を、ようやく築けたわ」
「平民落ちまでした甲斐があったというものですね」
「ああ、ユリウス・イグナコス子爵令息。我が娘の婚約者殿。私も苦労したが、キミにも心配をかけたね。伯爵位が男爵位まで下がってしまったが。なに、金なら稼げる。その辺の貧乏貴族よりは安泰な家だ。安心して婿に来てくれたまえ」
「はい。ありがとうございます」
「……」
(相変わらず白々しい芝居がお得意ですこと。まるで、劇団リトル男爵家ね)
「それにしても、どうした? トレーシー。今夜は少しばかり見られる状態じゃないか。着飾っても
「ええ、そうですわね、アナタ。いつもよりはマシですわね。オレンジ色のドレスは……どうかと思いますけれど」
「独身貴族令嬢のドレスはピンクが基本ですわよ、お姉さま。それにしても……お化粧されると、そんな顔だったのですね。初めて知りましたわ、お姉さま」
「そうだね、エリザベス。コイツは図々しくもスッピンに自信を持っているからね。でもまぁ……細い癖に筋肉質なヤツだと思っていたが。今夜は胸もあるな」
「……」
無遠慮にジロジロとトレーシーの上から下までを舐めるように見ながら嘲笑の表情を浮かべる父たちに、トレーシーは少々キレた。
「ええ。見た目なんて化粧とドレスで変わりますもの。今日の私は、セイデスのお母さまであるダウトン子爵夫人の作品なのです。ジロジロ見たいのなら、ご覧になって。私がこんなに美人だなんて思わなかったでしょう? 当然ですわ。ダウトン子爵夫人が私の魅力を引き出してくれましたもの。それに……守ってくれる人もいないのに、自分の魅力をダダ洩れさせるバカな女はそうはいません。今夜はセイデスがエスコートしてくれましたから、安心して魅力をふりまいておりますの。コルセットもしっかり使ってボンッキュッボンの魅惑的なラインもダウトン子爵夫人が作ってくれましたしね。今夜の私は無敵ですのよ」
トレーシーは冷たい声で一気にまくし立てると、父たち一人ひとりに鋭い視線を投げた。
「大丈夫……かな? トレーシー君」
「ええ、大丈夫ですわ。アルバス先輩」
「……アルバス? もしや……アルバス・メイデン侯爵令息さま……」
サッと顔色を変えたエリザベスは口の中で転がすようにつぶやくと、アルバスの姿を凝視した。
トレーシーの父であるマックスが、恐る恐る問う。
「メイデン侯爵家の? 先の宰相を務められた由緒正しき侯爵家である、メイデン侯爵家の方ですか?」
「はい。宰相を務めたメイデン侯爵は、祖父です」
「えっ。あの頭脳派で名高い名家の方、ですの? そんな方が、なぜトレーシーと……」
「お義母さま。アルバス・メイデン侯爵令息さまは、職場の先輩です」
トレーシーは冷たい視線を家族に向けた。
(職場すら把握してない、なんて……。本当に興味が無かったのね、私に)
「頭脳派で名高い名家であるメイデン侯爵家のご令息が、魔法省勤務であることは有名ではありませんか。そんな事すら知らないなんて、世間知らず過ぎです」
「いや、違う」
「そっちは知ってるけど、キミの勤め先を知らなかっただけだ」
「余計悪いのでは? 元婚約者さま」
「……っ!」
「何を言ったところで今更ですし。私に興味がないのは、どうでもよいことですけれど。いいのですか? こんな公の席で騒いで。アナタ方がもの知らずだったことを、皆に知られてしまいますよ」
(今さらですけどね)
絶対零度の視線でジィィィィと見つめられた父、マックスは冷や汗をダラダラと流す。
「こっ……今夜は、こんな所で失礼するよっ。さぁ皆、行くよ」
踵を返して歩き出したマックスの後ろを、義母たちはゾロゾロと着いて去っていった。
(何だったのかしら、あの人たち……)
首を傾げながら見送るトレーシーに、アルバスが背後から声を掛ける。
「大丈夫かい?」
振りかえれば、いつもと同じように穏やかな表情を浮かべている頼れる先輩の姿があった。
「アルバス先輩。お恥ずかしい所をお見せしまして、申し訳ありません」
「いやいや。それにしても……キミ、怒るとあんな感じになるんだね」
「え?」
「いつもと違ってピリピリしてて、ちょっと怖かった」
「うっ……お見苦しいモノを……」
「いや」
「え?」
「いつもと違う面が見られて、新鮮だったよ。得した気分だ」
アルバスは淑女たちがウットリと見惚れるような笑みをトレーシーに向けた。
「うっ……」
(顔が熱いわ……)
赤面して俯くトレーシーを、にこやかに見ているアルバス。
嫉妬の炎を燃やしてキッと睨んでいる令嬢たち。
「いい雰囲気と見せかけて……」
「なんか違うんじゃないかなぁ~? って感じですよね」
トラントとセイデスは複雑な表情を浮かべて溜息を吐いた。