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第10話

 王城の一室で目覚めたアルバス・メイデン侯爵令息は、朝から落ち着かなかった。

「トレーシー君も王城に居る……」

 なんだかドキドキわくわくする。

 その理由に、アルバスは心当たりがあった。

「いつでもトレーシー君と魔法談義が出来るっ」

 ハズレである。

 ドキドキわくわくの理由に気付けていないのは、本人とトレーシーくらいのものだろう。

 周りはとうに気付いていて、事の成り行きを見守っている。

 アルバスは賢い男であったが感情、特に恋愛については疎い所があった。

 また、トレーシーが住む高位貴族女性向けの王城居室は、男性向けのソレとは離れている。

 王城を挟んで両端にある、と、言っていいほど離れていた。

 当然、いつでも魔法談義できる距離ではない。

 アルバスは賢い男なので、その点についてはキチンと理解していた。

「気持ちの問題だっ。なんだか距離が近くなって嬉しいなぁ」

 アルバスは朝からご機嫌だ。

 スキップしたい気分だったが、部屋にそんな余裕はなかった。

 上位貴族男性向けの部屋も、広さは女性向けの部屋と変わらない。

 トレーシーの部屋との大きな違いは、その荷物の多さだ。

「本も貸し放題だから。読んで貰ったら感想大会開けるから」

 アルバスの部屋には本に限らず、様々なものが所狭しと並んでいる。

 いや、うずたかく積み上げられている。

 高く積み上げられた本の隙間で暮らしていると言っていいほどだ。

 魔法研究において、それなりに実績を持つ彼は魔法収納庫も使うことができる。 

 邪魔なら、そこに仕舞っておけば良いのだが、そうはしない。

 この状態こそがアルバスの求めているモノだからだ。

 仕方ない。

 彼は魔法収納庫に物を仕舞う道ではなく、物が崩れて来ないように魔道具を使う道を選んだ。

 動けるスペースは狭いが安全だけは確保している。

 全くもって魔力と魔道具の無駄遣いだが、本人は楽しいので全く気にしていなかった。

 そもそもアルバス・メイデン侯爵令息には帰ることができる立派な屋敷があるのだが、忙しさを理由に王城に住み着いている。

 彼は正真正銘の変わり者だった。

 メイデン侯爵家は宰相なども排出する由緒正しき頭脳派の家柄だ。

 もっとも宰相補佐を務める兄がいるので、アルバスは割と自由に動くことができる。

 結果として家の事は兄に任せ、自身は気楽な研究開発三昧の日々を送るという彼にとって理想的な暮らしを手に入れていた。

 魔法オタクの彼にとっては道楽に近い仕事であったが、幸いにして魔法省はエリートが在籍する職場なので対外的にも問題はない。

 外から見れば、優秀な頭脳を活かして国に尽くしているように見えるのだ。

 それはアルバスにとって、都合の良いことである。

 彼はメイデン侯爵家の恥にならない地位に居ながらにして、自分の好きな事だけしていれば良いという気楽な身分を手にしていた。

 その上、トレーシーとも研究開発し放題、魔法談義し放題になるのだ。

 浮かれるな、という方が無理である。

「これから楽しくなりそうだな」

 アルバスは鼻歌混じりに洗浄魔法を使いつつ身支度を整え始めた。

 見た目にさしてこだわりのないアルバスは、いつも長い銀髪を適当に編んで後ろに流す。

 貴族らしさを保つ最低限の身だしなみすら整える気は無い。

 そして、少しでも手間を省きたいと思っている。

 鬱陶しい髪なんて短く切ってしまいたいのだが、以前それで失敗した。

 短いと跳ねまくるし、お手入れやらセットやらで結局は手間がかかる。

 かえって面倒な事になる事に気付いて以降、鬱陶しいと思いつつも仕方なく髪を伸ばしっぱなしにしていた。

 何時も何処か跳ねている銀髪が思いのほか綺麗なのは、お手入れをこまめにしているからではない。

 洗浄魔法で済ませることが多くて傷みが少ないだけだ。

 普段、必要以上に手を入れてはいない髪や肌は、手を入れ過ぎているソレよりも健康で美しい。

 どのくらい健康で美しいかというと、少し気合を入れて整えるだけで熱狂的信奉者ストーカーが増える程度である。

 貴族たちは男性であっても普段から美しく外見を整える者が多い。

 結果的に肌や髪に負担がかかり、ダメージを受けている場合が少なくないのだ。

 だから、アルバスのように普段は必要最低限だけは清潔にしています、といったタイプのほうが、いざという時には美しくなってしまう場合もある。

 結果として、侍女たちの渾身のお手入れによって身だしなみを整えさせられて出席している夜会では、より注目を浴びることになってしまう。

 残念な事にアルバス自身は、その事に気付いていなかった。

 屋敷の侍女たちにとって、普段は触れることができない令息を思い切り綺麗に整えることが出来る貴重な機会なのだ。

 気合が入ってしまっても仕方ない。

 その結果、不本意ながら令嬢たちの目を惹いてしまう。

 本人にとっては不幸な事だった。

 結果として夜会に出るたび、熱狂的信奉者は増える。

 もっともアルバス自身は、自分の事を魅力的な容姿を持つ男性であるとは思っていない。

 彼にとっての美男子は、研究開発部の部長であるレイシル・トラント伯爵のような男だ。

 色黒でガチムチかつ力強い顎のラインや太い眉、高くてしっかりした鼻を持つ男らしい顔立ちの方がハンサムだ、と、思っている。

 よって、色白でひょろ長く女顔の自分がモテるタイプの男だとは全く思っていないのだ。

 そのため、キャーキャー言われる度に、

(なんでだろー?)

 くらいの薄い感情しか湧かなかった。

 自分にまとわりついてくる令嬢についても、全く興味がない。

 彼の興味は魔法の研究開発に向いている。

 彼の興味を引く令嬢は、同じ話題で盛り上がることが出来るトレーシーのみ。

 だが、その事について彼を責めるのは間違いだ。

 いつものようにパジャマからシャツとスラックスに着替えて白衣を羽織り、美しい青い目を分厚いレンズのはまったメガネで隠せば朝の準備は終了する。

 この状態のアルバスとすれ違っても、熱狂的信奉者たちが彼に気付くことはない。

 社交の場に居る時も、メガネに白衣の時も、アルバスはアルバスである。

 普段のアルバスに気付かないような熱狂的信奉者など、彼にとっては存在しないに等しい。

(さて、王城住まいになったお気に入りの後輩令嬢殿は、どのくらい私を楽しませてくれるだろうか?)

 そんな事を思いながら、ドアノブに手をかける。

 しかし残念なことに、アルバスは自分が楽しく過ごすことについては興味があったが、自分の感情がどのようなモノであるのか分析したり把握したりする事については全く興味が無かった。

 だから『自分が恋に落ちている』なんて事は、てんでわかっちゃいない。

 ただ無邪気にウキウキワクワクと浮かれながらアルバスは自室を後にしたのだった。

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