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第5話

「こんにちは」

「ご苦労さまです。行ってらっしゃい」

 トレーシーは通行パスである手首の魔法紋を衛兵に見せて形だけの挨拶を済ませると、振り返ることもなく王城内へと進んでいく。

 荷物は魔法収納庫に詰めたから手ぶらだ。

 今日は勤務日ではないから、魔法省の制服であるローブの着用義務もない。

 応接室から着替えることなく来てしまったが、それを咎める者もいなかった。

 今日は紺色のカジュアルなドレス姿だが、他のどんな格好をしていても突っ込まれない自信がトレーシーにはある。

 魔法省、特に研究開発部に所属している者たちは変わり者が多くて有名だからだ。

 トレーシーは研究開発部にとって初の女性職員であるため、城内ではちょっとした有名人である。

 最初の頃は、それなりにザワザワされた。

 しかし二年も経てば人は慣れる。

 女性ではあるが他の研究開発部員と同じ変わり者、と、いう括りに入れられたことで人々の興味は薄れてしまった。

 現在では、いちいち反応していたらこちらの身が持たない、とばかりに、ちょっとやそっとの事では周囲も動じないようになっている。

 よって、紺色のカジュアルなドレス姿で登城したトレーシーの姿を見ても特に何かを言う者もなく、人々はスルーした。

 この状態は、トレーシーにとっても快適だ。

 王城内で働く女性も沢山いるが、職場は限られている。

 侍女や乳母、メイドや下働きの女性は珍しくはない。

 だが、文官で女性は珍しいのだ。

 魔導士団や近衛隊であれば女性の需要がある。

 王妃など身分の高い女性を護る時には同性の方が受け入れられやすいからだ。

 しかし文官には女性を求める必要性がない。

 ましてや、魔法の研究開発に女性など必要がないのだ。

 そこを乗り越えて採用されたトレーシーは、興味本位でジロジロと見られても仕方ない存在である。

 だが魔法省研究開発部は先輩方が濃すぎて、優秀なだけの貴族令嬢など霞んでしまうのだ。 

 結果『スルーした方が面倒な事にならない女性枠』に入れた事はトレーシーにとって幸いだった。

 細かいことを気にしなくても生きていられる、しかも安全な職場を彼女は気に入っている。

 婚約ではなく仕事を辞めろと言われていたら、間違いなく暴れていただろう。

 『仕事を辞めて結婚しろ』ではなく『婚約を破棄する』だったことは、トレーシーにとって幸いだった。

 そんな事をつらつらと考えながら何事もなくスムーズに移動していたトレーシーだったが、知り合いに合わずに部屋へと入るのは無理だったようだ。

「あれ? 今日って、お休みの日じゃなかったっけ?」

 王城内の職員が行き交うエリアに差し掛かった途端、聞き覚えのある声に呼び止められてしまった。

「目ざといわね、セイデス。こんなに早く見つかってしまうとは思わなかったわ」

 立ち止まり振り返ったトレーシーを、セイデス・ダウトン子爵令息は青い瞳を細めて凝視した。

「あっ……もしかして、ダウジャン伯爵家から出て来ちゃったの?」

「そのもしかしてよ。ん、でも……出て来たというか……追い出されちゃったのよ」

「……はぁ?」

 セイデスは間の抜けた声を出し、トレーシーと良く似た顔をしかめた。

「なんでトレーシーが追い出されるのさ?」

 肌の色は白く、輝く金髪に青い瞳と色合いは違っていたが、セイデスは曾祖母似なので二人の顔立ちは良く似ている。

「私もよくわからないわ。……でも、あの人たちを相手にするのは疲れるから」

「ああ、分かる。バカは相手にするだけ損だよね」

 182センチの身長に引き締まった筋肉をまとわせているのに女性のように美しい顔をしたこの男は、ダウジャン伯爵家の親戚筋にあたる家の息子だ。

「ダウジャン伯爵家の正統な跡取りはトレーシーしかいないのに。なぜ追い出せるのか分からないな」

 トレーシーの祖父とセイデスの祖父は兄弟で、ダウジャン伯爵家をトレーシーの祖父が、傍系のダウトン子爵家をセイデスの祖父が引き継いで今日に至る。

「ついでに言うと、私、婚約破棄されたから」

「はぁ? だってあの坊や、次男だろ?」

 セイデスも同じく次男である。

 そのため継げる爵位がない。

 自分の身を自分で立てるために魔法省で働いているのだ。

 次男以下の貴族男性が受ける扱いや苦労は知っている。

 だからこそ、ユリウスの考えが分からず戸惑いが増した。

「そうなのよね。ユリウスはイグナコス子爵家の次男だから、爵位を継承することはないわ」

「あれか? 他の爵位も抱えている家なのか?」

「違うわ。私の知る限り、あの家に他の爵位なんてものは存在しないのよ」

「なんだよ。あいつら、平民になりたいのか?」

 魔法省勤めとはいえ、彼はトレーシーとは違って事務方なので思考が現実的だ。

「あの人たちの考えていることなんて分からないわよ」

 吐き捨てるように言うトレーシーを眺めながら、彼はしばし考えた。

「ふーん……」

 そして、ニヤリと笑う。

「これは、オレが乗り出すべき場面だな」

「そうね。私としても、そうしてもらえるとありがたいわ」

「トレーシーが許可してくれるなら、安心して暴れられるな」

「ええ。存分にどうぞ。でも、ちょっとだけ放っておいた方が面白いかもよ?」

 トレーシーが悪戯な笑みを浮かべてセイデスを見る。

「なぜ?」

「扱っている商品の本当の値段を知らないからよ」

「……あっ。魔法薬とか、魔道具とか、か……」

「今までは家族割引があったけど。それが無くなるわけだから」

「あぁ……なら、ちょっと待つか」

 仕事柄、トレーシーの言う意味がよくわかるセイデスは少し考えたあと結論を出した。

「それがいいわ。使用人たちには少々気の毒だけど」

「確かに。それにしても、ココまでバカだったとは。曾祖母ひいおばあさまが心配していた通りになった」

「ええ。バカのパワーというのは底知れないわ」

 顔をしかめるセイデスに、トレーシーはウンウンとうなずいた。

「こんな事態を恐れて、一時はオレとお前の婚約を考えたくらいだもんな」

「そうだったわね。あの話は、本当に突飛でついて行けなかったわよ。あまりにも似ている私たちの顔を見て、ようやく曾祖母ひいおばあさまが諦めてくれた時には、心の底からホッとしたわ」

「確かに。オレたちは似すぎている。兄弟というか、双子みたいだもんな」

 いくら血縁として遠いといっても見た目が似すぎているのは近親婚による悪影響が取り沙汰される昨今では難しい。

「肌の色も身長も違いますけどね。本当に似てるのよね。同性でなくて良かったわ」

 心から安堵している様子のトレーシーに、セイデスは噴き出した。

「はは。血縁関係があるとはいえ、遠いんだけどな。こんなに似ちゃうなんて笑う。どうせ似るなら、魔力の方にして欲しかったよ」

「仕方ないじゃないの。私だって、こんなに沢山の魔力が欲しかったわけじゃないわ」

 少しだけむくれてみせるトレーシーに、セイデスは苦笑する。

「キミの家族は、その価値をイマイチ分かってなかったみたいだけど」

「んー。説明しても分からないだろうし。そもそも私に興味ないから、あの人たち」

「だね」

 魔法省にはエリートたちが揃い、恵まれた環境のなかで仕事をしていた。

 待遇も魅力的だ。

「私が幾ら稼いでいるのかも、把握してはいないのではないかしら?」

「んー、かもね。知ってたら手放さないよ」

「まぁ、手放してくれたおかげで私は好き勝手にできる身分を手に入れたわ」

「そうだね。……あぁ~。オレだって魔力がもうちょっと多かったら、研究開発部とか、魔導士団とか、進路も色々と選べて楽しかったのに」

 セイデスの言葉に、トレーシーは呆れたように目を大きく見開いてグルリと回した。

「もう、セイデスったら。それは欲張りよ? アナタは頭が良いのだもの。事務方といっても魔法省は別格よ。出世の道はあるわ。むしろ大きく出世したいのなら、事務方のほうが有利でしょ?」

「まぁ、そうだけどね」

「そんな優秀なアナタに、ダウジャン伯爵家の事はお願いするわ。使用人たちに迷惑をかけるわけにはいかないもの。だからセイデス、頼むわよ?」

「うん、分かった。で、トレーシー。キミはどうするの?」

「私は王城の居室に住むわ。どうせ一人だもの。十分でしょ」

 『恵まれた環境』のなかに、王城内の居住スペースも含まれている。

 魔法省勤め、しかも研究開発職であるトレーシーには、当然のように部屋が与えられていた。

「今までは休憩くらいにしか使っていなかったけど。ベッドもある一人部屋だし。自分の事は自分で出来るから困らないわよ」

「んん……それについては異論があるが」

「アナタもなの? セバスチャンに散々心配されてきたのよ……」

「男だったら問題ないかもしれないけど……トレーシーは一応、女だし?」

「一応ってナニよ、一応って」

 目を吊り上げて怒ったフリをするトレーシーにセイデスは溜息をついた。

「貴族女性なのだから、男性たちに狙われる心配くらいしてくれよ」

「あー、それは無いわ」

 笑って手を振り否定する彼女に、セイデスは脱力する。

「トレーシー狙いの変わった男がいないとは限らないじゃないか」

「ハハ。いない、いない。私を狙うなんていう奇特な人、いないわよ」

「自分じゃ分からないもんだよ、そーゆーのは」

「そう? だとしても、ココは安全でしょ?」

「確かに、安全と言えば安全だけど……守ってるモノは、あくまで秘密で。令嬢じゃないからね」

 トレーシーの務める開発部は秘密厳守であるため、王城内に作られた特別な研究棟で仕事をしている。

「あら、私は特別待遇だから。令嬢としても守られているわよ?」

 研究者一人一人についても、宿泊施設は用意されている。

 深夜ひとりで帰宅して襲われたり、疲労を溜め込んで倒れたりする危険を回避するためだ。

 その中でもトレーシーは珍しい女性の研究者なので特に厚い待遇を受けていて、高位貴族の侍女たちが使う区画に部屋を与えられていた。

「まぁ、そうだけど」

 確かにセキュリティは万全だ。

「身近に悪い虫がいたら、意味なくない?」

「悪い虫?」

「トレーシー君ッ!」

「あら、アルバス先輩。こんにちは」

「こんにちは、じゃないよ。えっ? どうしたの? 今日はお休みの日だよね? えっ? ついに家を出たらしいって聞いたけど? それって本当?」

「早耳ですね」

 セイデスはボソリと呟いた。

 彼の胡乱な視線の先には魔法省研究開発部に勤める白衣を着たヒョロ長い男、アルバスの姿があった。

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