「私ではなく、義妹を選ばれるのですね?」
トレーシー・ダウジャン伯爵令嬢は冷静な声で問いつつ、鋭い視線を婚約者に投げる。
「あっ……ああ」
たじろぐように半歩後ずさりしながらも婚約者であるユリウス・イグナコス子爵令息が意見を変える様子はない。
見た目に特別な魅力を持たない貴族女性であるトレーシーだが、彼女には妙な迫力があった。
すらっとした細身の体に貴族らしく整った顔立ち。肌は日焼けしたような淡い褐色。髪と瞳は赤寄りの茶色。
ダウジャン伯爵家の長女である彼女は曾祖母によく似ていて、20歳という年齢に見合わない気迫を持ち合わせている。
強い意思の宿る赤味の強い茶色の瞳を向けられた彼女の婚約者は細身の体をピクッと震わせた。
ゴクリとつばを飲み込んだユリウスは薄茶色の瞳でトレーシーをキッと睨み返して悪い物を断ち切るかのように宣言する。
「トレーシーっ! ボクは、お前なんかと結婚したくないっ! 婚約を破棄するっ!」
トレーシーの瞳は、婚約者であるユリウスの姿をしっかりと捉えていた。
微塵の動揺すら見せず、こちらを威圧するように睨んでいる令嬢の姿に、ユリウスの汗は止まらない。
震えあがるユリウスの背後で、息をのみながら成り行きを見守っていた家族が一斉に口を開いた。
「トレーシーっ! お前が、あまりに生意気だから婚約を破棄されたんだ!」
マックス・ダウジャン伯爵が冷や汗を流しながら叫べば、そのとなりでローラ・ダウジャン伯爵夫人も叫ぶ。
「そうですわ、アナタ。私は義理とはいえ母ですから、キチンと教えたのですよ? 事ある毎に細かく忠告していたのにも関わらず……私のことを義理の母だからとないがしろにして。何ひとつ聞き入れないからこんなことになったのですわ!」
エリザベス・ダウジャン伯爵令嬢はユリウスの隣で彼の手を握りながら叫んでいる。
「ええ、そうよ。お義姉さまが悪いのですわ。ユリウスさまという婚約者がありながら、自分の事ばかり優先するのですもの。頭が良いからって、学年一位を取り続けるとか。そんな事をしたら同じ学園に通うユリウスさまの面目は丸つぶれですわ。殿方は立てて差し上げないといけませんのに!」
義母ローラは得意げな笑みを浮かべ自信満々に言い放つ。
「私の娘はキチンとわきまえているわね。ソレに比べてトレーシーときたら……今日だって、あんな地味なドレスを着て。婚約者が訪問すると分かっている若い女性が、紺色の地味なカジュアルドレスを選ぶなんてありえないわ。元々持っている女性としての魅力が足りないなら、足りないなりに努力するのが普通でしょ?」
ローラの娘であるエリザベスが、母を擁護するかのように言う。
「そうよそうよ、お義姉さまは努力が足りないわ」
満足気な笑みを浮かべたローラがトレーシーを上から下まで舐めるように見ながら嫌味臭く言う。
「見た目だけでなく行動すら可愛げが無いなど、貴族女性としてあるまじきふるまい。トレーシーは貴族女性としての嗜みがなっていないわ。女性としての自覚が無さ過ぎます」
トレーシーの片眉がピッと上がったが、それに怯む事無くローラは叫ぶ。
「殿方を立ててこその令嬢ですわ。自分自身だけで価値があるなどと思ってはいけませんのよ。それなのにトレーシーときたら。学園在学中はもちろん、卒業後には魔法省へ就職を決めるなど自分の優秀さを隠しもしない。はしたない事この上ないわ。令嬢が美しさ以外で目立って何になるというの? 殿方から疎ましく思われるだけではありませんか。そうですわよね? アナタ」
「ああ、ローラ。お前の言う通りだ。自分よりも優秀な女を好む貴族男性などいない」
「トレーシー! この婚約破棄はお前の自業自得だ!」
父の言葉に我が意を得たりとばかりにユリウスが叫ぶ。
その回りでは、
ここはダウジャン伯爵家の応接室。
ダウジャン伯爵家の令嬢であるトレーシーの自宅であるにも関わらず、ココに彼女の味方はいなかった。
太い柱が使われた屋敷は、質の良さと歴史を感じさせる。
しかし室内には、所々に異彩を放つ成金趣味の花瓶やら彫刻やら絵画やらが飾られていた。
テーブルの上には金の装飾が施された豪華なティーセット。カップの底には冷めた紅茶。
豪華なケーキスタンドの上には色とりどりのマカロンや美味しそうな焼き色の付いた菓子が並んでいる。
婚約者を囲んで午後のお茶を楽しむハズだった場は、婚約破棄の会場となったのだ。
一同はテーブルを挟んで二手に分かれ、向かい合って立っている。
椅子の横に立つトレーシーと、テーブルを挟んだ向こう側には婚約者であるユリウス。
ユリウスの後ろには、父と義母。
そして、婚約者の隣には義妹であるエリザベスが立っていた。
父と義母、義妹は白い肌に金髪碧眼と、いかにも貴族といった風貌をしている。
婚約者であるユリウス・イグナコス子爵令息は22歳。
細身ではあるが身長は178センチほどと高くも低くもない。
薄茶色の髪と瞳も相まって、いたって普通の貴族令息である。
次男である彼はダウジャン伯爵家に婿入りすることを条件に、トレーシーの婚約者となった。
対するトレーシーは、優秀ではあるものの令嬢としての魅力にはイマイチ欠けていた。
家族との仲も上手くはいっていない。
トレーシーは生まれるのと同時に実母を亡くした。祖父母はそのあとを追うように亡くなった。
可愛がって育ててくれた曾祖母も既に亡く、父が再婚したことによって義母と義妹が出来た。
派手好みの義母、義妹とは合わず、家族の中では浮いた存在だ。
父も曾祖母とよく似たトレーシーを良くは思っていない。
そこに来て、この婚約破棄騒ぎである。
「ボクはエリザベスと結婚するっ!」
「ユリウスさま」
エリザベスが青い瞳をキラキラさせてユリウスに寄り添う。
「ああ、それがいい」
「まぁ、良かったわね。エリザベス」
「ありがとうございます、お義父さま。お母さま」
ニコニコして賛同するマックスとローラに向かってユリウスは機嫌よくお礼を言っている。
ごく普通の茶色っぽい令息と、仲良し金髪碧眼三人組が和気あいあいとキャッキャッしているのを、トレーシーは冷静な目で眺めていた。
ココにはトレーシーの味方は誰一人いないのだ。 彼女の家であるにも関わらず。
味方ひとり居ないような家を守る必要などあるだろうか?
自分の人生を台無しにしてまですべき事だとは、彼女にはとても思えない。
(今まではダウジャン伯爵家の事を思って我慢していたけれど……もう良いわよね。お母さまのことは可哀想だと思うし、
トレーシーは決断し、全身の力を抜いてホッと溜息を吐いた。