戦車競走が行われる競技場は、細長い楕円形をしていた。ぐるりと階段状の観客席が取り囲む内側に、立派なトラックがある。そこを赤、青、黄、緑と組み分けされた戦車が並び、一斉に走って速度を競うのだ。
帝都の人々はそれぞれに贔屓の組というものが存在し、トリクス自身は赤組を応援している。――と、このようなことを彼女は教えてくれた。
実際、帝国の娯楽といえば剣闘よりも戦車競走の方が歴史が深い。元々は軍の練兵が由来のようだが、今では民衆に親しまれる代表的な興行になっていると考えると、帝国の強さも見えてくる。
「さあ、ここから入るのだ」
闘技場の背の高い外壁を前にして、トリクスが息巻く。試合開始が近いということもあり、点々と設けられた入り口に次々と人が吸い込まれている。だが、入り口の左右には槍を携えた兵士が立っており、何やら目を光らせているようだった。
「お前、この闘技場も出禁なんだろ? 大丈夫なのか?」
「うぬぅ……。大丈夫だ! 我は貴族の務めを果たしているだけだからな!」
ウルザの心配も頭を振って吹き飛ばし、トリクスは胸を張る。しかしその直後、彼女はどこからか取りだした布をすっと頭に被せた。
「おい」
「……我は少し恥ずかしがり屋なのでな。このような形で入るとしよう」
「奴隷市で男の趣味大声で言う奴が恥ずかしがり屋なわけがないだろ!」
「ええい、うるさい! 我が捕まったらお前たちも戦車競走が観られなくなるのだぞ! いいのか!?」
別にいいが、と言いそうになるのをなんとか堪える。ここでトリクスが兵士に見つかって、彼女の仲間だと思われた方が厄介なことになりそうだ。
結局俺たちは頬被りをしたトリクスと共に、いかにも庶民ですよといった表情で闘技場へ入ることになった。
「待て、そこの女! なぜ顔を隠している? 怪しいやつめ!」
「ぐぬっ!?」
そして、3秒で目をつけられた。
当然だ。他に顔を隠してこそこそしているような奴はいないし、トリクスは身長2メートルを超えていて獣人の中でも頭ひとつ抜けている。そりゃあ目立つに決まっている。
そのくせに何故目をつけられたのか分からないと焦燥するトリクス。これ以上の対策は何も考えていないようだった。
「申し訳ありません。主人は目が悪く、日差しが毒となるのです」
兵士がトリクスの覆面を剥ぎ取ろうと手を伸ばしたその時、咄嗟に口を開く。俺は彼女のゴツい手を取り、まるで道先を案内する奴隷のように。口先のでまかせではあったが、兵士たちは俺の身なりを見て勝手に察してくれたようだ。
「そうか。それは申し訳ないことをした」
「階段が急だからな。気をつけるんだぞ」
「ご配慮ありがとうございます」
恭しく頭を下げ、トリクスを連れて闘技場の中へと入る。
「すまぬ。助かった」
「もう少し考えてるのかと思ってたんだがな」
検問を抜け、頬被りを外したトリクスは少し落ち込んでいるようだった。
「お前は奴隷ではないのに……」
「もともとは奴隷身分だ。気にしなくていい。……それよりも、もう手は離していいんじゃないか?」
「ぬわっ!」
トリクスが仰け反るように手を離し、狭い階段通路の天井に頭をぶつける。
「何やってんだよ……」
そんな彼女を、ウルザとキュオラが冷たい目で見ていた。
「席はここですね」
「ぬぅ。随分と高いところだな」
人混みをかき分けて席を見つけ、ようやく腰を落ち着けることができた。庶民が二人居るということで、客席の二列目にある少し高いところだ。オペラグラスのようなものもないので、単純に距離が離れる後方の席は値段も安く身分の低い者向けとなる。
トリクスが普段観覧しているのは最前列の貴族席なのだろう。少し高い位置から見下ろす席に、首を傾げている。俺が普通に観戦しようと思えばもっと後方の男向けの席になるのだから、ここでもかなり良い体験ができるのだが。
「お、戦車が出てきたようだぞ」
客席も埋まり、楽団の鳴らす旋律も激しくなるなか、ついに戦車が現れる。
戦車競走で使われるのは、六頭の駆竜と呼ばれる二足歩行の蜥蜴と大きな二輪の車だ。駆竜は獣脚類と言われるような小型の恐竜のような外見だ。一般的な荷運びに使われる蜥蜴と違い、速度に秀でている。
「おおおっ、今日も赤組の蜥蜴はよい足の太さだ。あれはよく走るぞ!」
ゲートから現れた駆竜の体躯を見て、トリクスは早速歓声をあげている。赤い旗を掲げた戦車に乗るのは、若い精悍な犬獣人だった。
「彼女が言ってたエースか?」
「そうとも。弱冠26歳にして、連戦連勝の名騎手なのだ」
どうやら初戦からトリクスのお気に入りが出てきたらしい。赤組の騎手は実際に人気があるらしく、彼女が手を振ると会場中から喝采が湧き上がっている。
広いトラックに赤組、青組、黄組、緑組と四台の戦車が並ぶ。総勢二十四頭の駆竜たちもやる気十分。鋭い爪のついた太い足で地面を掻いて、鼻息も荒い。
四人の騎手が手綱を握り、前傾姿勢で前を睨んでいる。
そして――。
「始めっ!」
競技場の中央に立つ金色の柱に、丸いボールのような飾りが掲げられる。それが出走の合図だった。
「いけえええええええっ!」
トリクスが轟くような大声を振り絞る。だが、彼女の声すら紛れるほどに、周囲のすべての人々が大声を上げていた。
四台の戦車は一斉に走り出す。その力強い足音は、遠く離れた俺たちの席にまで届くほどだった。大きな車と、いかめしい獣。それらが渾然一体となり疾駆する。互いにぶつかり合いながら、騎手が大声を上げながら。
その白熱した戦いは、剣闘に通じるものがある。俺もウルザも、気が付けば強く手を握りしめ、傾倒して見入っていた。