先頭を争うのは赤と緑。手綱を握る騎手はどちらも同世代でまだ若い。お互いにお互いを意識しながら、それでも一心不乱に前だけを見据え、駆竜たちに発破をかける。
「いけっ! いけぇ! させぇええ!!!」
手に汗握る熾烈なデッドヒートに会場も大盛り上がりだ。戦車が砂を散らしながら前を駆け抜けるたびに客席から歓声が上がる。うだる熱気が風をはらみ、場内を駆け巡る。
「そこだっ! いけっ! うおおおおおおおっ!」
赤が前に出る。次の角に差し掛かった瞬間、緑が速度を上げる。一進一退、抜きつ抜かれつの攻防だ。車輪同士が擦れ合うほどの接戦で、青と黄はもはや割り込むことすらできないでいた。
一瞬、赤戦車の駆竜が速度を落とす。あまりにも激しすぎる走りに体力が切れていた。
「うぎゃああああっ!? トリクス様、やばいです! これやばい!」
「ええい落ち着かんかキュオラ! 戦車競走は七周目からが勝負だ!」
「でもやばいですよこれ! やばすぎます! やば!」
「うぎぎぎぎっ! お、お前、主人の首を絞めるんじゃない!」
この日最後、第五試合はものすごい接戦だった。トリクスは贔屓にしている赤組が勝てばもちろん咆哮を上げて喜び、負けてもその健闘を讃えていた。そして、意外なことに彼女の側近であるキュオラが、試合が進むほどに前のめりになって語彙力を失った大声で声援を送っていた。
「こいつ、こんなやつだったか?」
あまりにも隣でうるさい狐獣人を見て、ウルザは困惑している。トリクスも複雑な面持ちで肩をすくめた。
「普段は賢く優秀なのだがなぁ。こと勝負事となると、我より気合が入ってしまうのだ」
「アンタが出禁になったのってこいつのせいだろ」
「……ないとは言えぬなぁ」
実際、トリクスの楽しみ方は思ったより穏やかなものだった。試合中も基本的には椅子に座っているし、大声も周りの観客たちがドン引くほどのものではない。
「うおおおおっ!? 巻き返せ巻き返せ巻き返せ!!! いけいけいけいけっ!」
……少なくとも、キュオラほど我を忘れて熱中しているわけではないだろう。
「いけええええええええええっ!」
第五試合の決着がつく。競技場が沸き上がり、喝采が騎手と駆竜に捧げられる。
「
贔屓のチームが優勝し、キュオラは女泣きに泣いた。
「うわーーっ!? おま、ちょ、我のトーガで鼻水を拭くな!」
「トリクスも案外苦労してるのかもなぁ」
「貴族って大変なんだなぁ」
悲鳴をあげるトリクスと彼女の腹に鼻先を押し付けるキュオラを見て、俺とウルザは少しだけ印象を変えるのだった。
競技場を出ると、すでに夕方だ。買い出しも頼まれていることだし、そろそろ帰らねばならない。そんなことをトリクスに伝えると、なんと買い物にまで付き合ってくれることになった。
「どうせ我は暇だからな。荷物持ちは淑女の務め、ぜひ任せてくれ」
「すまん。正直助かるよ」
市場で足りないものを買い集め、ウルザとトリクスがそれを両腕で抱えてくれる。二人とも体格に見合っただけの大きな腕だから、大量の食材を抱えても十分余裕がありそうだ。たぶん、俺はトリクスの半分も持てない。
「トリクス様は屋敷に戻りたくないだけでしょう」
「うるさい。お前が戦車競技で大勝ちしたことを報告してやろうか?」
「くっ、卑怯な!」
「あんたら仲良いなぁ」
帰路は戦車競走のあれこれを話していれば、すぐだった。俺たちが宿舎に戻ると、ちょうど裏庭での鍛錬を終えたカウダたちが水を頭から浴びて汗を流していた。鍛え上げた肉体を惜しげもなく晒し、艶かしいことこの上ない。
とはいえ、あれに違和感を覚えるのは俺くらいで、初めて剣闘士団の宿舎を訪れたというトリクスたちは特段取り乱しもしなかったが。
「おお、ウィリウス。おかえり!」
「ただいま。カウダたちも鍛錬お疲れ」
俺たちに気付いたカウダがぴこんと狼の耳を立てて振り向く。布を頭に載せて乱暴に水気をとりながら、にこやかに手を振って出迎えてくれた。
しかし、俺の隣には見知らぬ獅子獣人と狐獣人がついている。カウダたちはすぐに怪訝な顔をして、二人の素性を尋ねた。
「トリクスとキュオラだ。前にテルマエで出会った仲で、今日は戦車競走に連れて行って貰ってたんだ」
「何ぃ!?」
軽く二人のことを説明すると、カウダは頓狂な声をあげる。彼女はウルザをぐいと掴むとそのまま建物の陰へと連れていく。
「おい、なんなんだよアイツは」
「詳しくは知らねえよ。なんでもそれなりに偉い貴族らしいが」
「ばっか、お前。貴族がこんなトコまで来るわけないだろう」
どうやら、トリクスたちの素性を疑っているらしい。まあ、実際カウダの言うことはもっともだ。貴族というのは基本的に貴族同士でつるむものだしな。俺とウルザを戦車競走に誘ったのも、いかにパトロヌスとクリエンテスという慣習を盾にしても少し苦しい。
「どう考えてもウィリウス目的だろ。さっさと追っ払えよ」
「そう言われてもな……。そこまで悪い奴には思えん」
「かーっ! 何を悠長なこと言ってるんだ!」
多少は知っているウルザとは違い、初対面であるカウダたちにとってトリクスは胡散臭い人物に写る。そのせいもあって、カウダは不満を露わにしていた。
「――まあ良いじゃないか。せっかくここまで来てくれたんだ。お礼の一つくらいしないとねぇ」
「げっ、ドミナ!?」
そんなカウダを止めたのは、騒ぎを聞きつけて宿舎から出てきたドミナだった。彼女はトリクスたちをチラリと一瞥して、二人を招き入れる。
「ちょうど今日は宴なんだし。人は多い方がいいでしょう?」
団長からそう言われてしまえば、カウダも強く反論はできない。彼女は尻尾を垂らし、不満げなまま頷いた。