何度も何度も念を押され、ようやくトリクスから解放された俺とウルザは、すっかり精魂尽き果てていた。ぐったりとしながら更衣室に向かって歩いていると、向こうのほうから心配顔のフェレスが気付いて駆け寄ってきた。
「二人ともどこに行ってたの!? 探したんだよ」
ひとりマッサージを受けていた彼女も、俺たちがどこにも見当たらないので焦っていたようだ。申し訳なくなって事情を説明するが、彼女の表情はだんだんと曇っていく。
「それでそのトリクスって奴を闘技場にだな……。フェレス?」
「二人ともわたしのこと舐めてるのかな? まあ、二人がどういう関係でも別にいいし、別に団内での恋愛もいいと思うけどさ。下手な言い訳は見苦しいよ」
「はぁっ!?」
とんでもない勘違いをしているフェレスに、俺とウルザは揃って否定する。
「違うんだ、フェレス!」
「そ、そそそ、そうだぞ! アタシみたいな奴がウィリウスに選ばれるはずもないだろ! ていうか、そんなことになったらカウダたちに殺される!」
「はいはい。そうだねー」
なんだか逆に俺が自信を無くしてしまうほどの否定っぷりだが、フェレスはナマモノを見るような目つきで聞き流している。
まあ、男子更衣室を覗こうとしていた貴族から闘技場に入れてほしいと頼まれていた、などと言っても信じてもらえるとは思えないが。事実がそうなのだからしかたがない。
ウルザはなおも誤解を解こうと言葉を尽くそうとしたが、それを遮るように鐘の音が広く鳴り響く。それを聞いた途端、フェレスが猫耳をピコンと立てて慌てた様子でこちらへ振り向いた。
「そうだ、もう集合時間ギリギリだよ。早く着替えて宿舎に行かないと!」
「ああっ!?」
すっかり時間のことを忘れていた俺たちは、慌てて走る。更衣室に飛び込んで、乱暴に服を着て、多少の乱れも気にせず飛び出す。
「うわぁっ!? ウィリウスお前、なんて格好してるんだ!」
「ああもうそうだった。面倒臭いな!」
男が露出の多い格好をしていたら周囲の視線を集めてしまう。顔を真っ赤にさせたウルザに指摘され、肩に掛けていた上着を羽織る。上裸なんて女なら珍しくもない世界だというのに。
ウルザとフェレスは俺よりもはるかに質素で露出の多い格好で、簡単に腰紐で布を絞めただけだ。二人はそんな扇情的な格好で人目も憚らずにテルマエから続く大通りを駆け抜ける。全力で走る獣人族を追いかけるのは骨が折れる。
「ウルザ、フェレス、ちょ、ちょっと待ってくれ……」
「もう、人間の男は体力ないなぁ」
「しかたない。ウィリウス、背負ってやる」
ウルザが広い背中をこちらに向ける。俺がそこに寄りかかると、たくましい腕ががっちりと体を固定して、そのまま彼女は走り出した。
「おお、速いな」
「これくらいなんてことない。馬獣人ならもっと速いぞ!」
ウルザはそういうが、彼女の走りもなかなかのものだ。何より体幹がしっかりと通っているからか、ほとんど揺れも感じない。俺はいつもより高い視点で、いつもより早く後方へと流れていく景色に、思わず歓声を上げた。
帝都の街並みは過密の一言。背の高い木造の
畑も点々と混じるようになってきて空が広く見える所で、〈ソルオリエンス〉が借り上げた宿舎はその一角にあるようだった。
「到着!」
「間に合ったぁ」
柵で囲まれた敷地の中に飛び込み、ウルザとフェレスが胸を撫で下ろす。俺がウルザの背中から降りたその時、一瞬で周囲を取り囲まれたことに気が付いた。
「ずいぶん遅かったじゃないか、ウルザよ」
「ウィリウスをどこに連れ回してたんだ? おぉん?」
ポキポキと骨を鳴らして睨むのは剣闘士団の先輩たち。集合時刻間際になってもなかなか現れない俺たちを心配してくれていたらしい。
「あ、いや……。そのちょっと、テルマエに……」
「ほーう? 風呂か。いいじゃないの」
「ちょっと向こうで詳しい話聞かせてくれや」
「ちょっ。いやだってアンタらさっさと出掛けてたじゃないか!」
「先輩に口ごたえするなんていい度胸だねぇ」
そのままズルズルと引き摺られるようにして、ウルザとフェレスはどこかへ連れ去られてしまう。一人ぽつねんと取り残された俺の元へとやって来たのは、建物の中で作業をしていたらしいドミナだった。
「早速帝都を楽しんだみたいだねぇ、ウィリウス」
「遅くなってすまん。ちょっと色々あったんだ」
煙管片手にゆるりと髪を撫でる雇い主に、俺は公衆浴場であったことを包み隠さず打ち明ける。そもそもトリクスから頼まれたことは、俺やウルザだけでなんとかできることではない。話が拗れないうちに相談して情報を共有しておくべきだろう。
実際、話を聞いたドミナも驚いた様子でくるりと煙管を回した。
「全く……。どこで何をしてるかと思ったら、面白いことに巻き込まれて」
「面白いのかね。貴族と関わっても厄介なことにしかならないと思うが」
特にあのトリクスという獅子獣人は見るからに厄介そうだ。遠くから見ている分には面白いが、近づいてきたら面倒くさい。
そんなことを溢すと、ドミナは何かおかしそうにくつくつと笑った。
「まあ、そっちは私に任せなさい。そういう折衝は私の仕事だからね」
結局ドミナが頼もしいことを言ってくれて、心配事がひとつ減る。とはいえ、もともと抱える予定のなかった事だ。俺にはそれよりも取り組まなければならないものもある。
「ウィリウスは次の試合に集中することね。帝都での暮らしに体を慣らして、旅の疲れを取って、鈍った体を動かしなさいな」
「そうだな。ありがとう、ドミナ」
商売上手な団長は、商品を何よりも大事にしている。彼女の計らいに甘えることにして俺は早速鍛錬を始めているウルザたちの元へと向かうのだった。