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第42話 サマードリーム・1

「ねぇ見て、綺麗」

「本当だ。あれ、なんか着陸しないで旋回してない?」

「機長のサービスじゃない? この景色を堪能しなきゃ」

 そう言いながらカシャカシャ写真を撮っているのは、後ろの席に座っているカップルだ。

 私も窓から覗くと、雲一つない青空にくっきりとそびえる利尻富士が見えた。


 飛行機が着陸すると宿の人がお迎えに来てくれていた。

「雫さん?」

「はい、恵さんですね、はじめまして」

「よくいらしてくださいました。美佐さんの驚く顔が楽しみだわ」

 ふふふと、いたずらっ子のように笑った。

「本当に、みーちゃ、美佐さんに内緒で?」

 夏季休暇を九月にまとめて取り、みーちゃんの旅館に正規で泊まろうと予約の電話をしたところ、恵さんが対応してくれた。そして名前だけで私がみーちゃんの彼女だとわかってしまい、どうせならサプライズにしましょって言って、みーちゃんには知らせないことになったのだ。

 恵さんの作戦、喜んでくれるだろうか、もしかしたら迷惑がるかもしれないが。でも、今回はちゃんと料金を払ったいち観光客として来たのだから、文句言われる筋合いはないよね、みーちゃんの女将姿、楽しみだな。


 車に揺られ十数分、宿に到着した。

 音を聞きつけて奥からやってくるその人は、私の姿を認識して固まった。

「な……」


「来ちゃった」

 へへっと、恵さんと顔を見合わせる。

「さぁ、お客さまを案内してくださいね」

 恵さんの言葉で、ようやく動き出したみーちゃんは、ぎこちなく「こちらへどうぞ」と言った。

 スリッパを履いて、少し後ろをついて歩く。部屋に着いてお茶を入れてもらう。一口飲んで息を吐く。はぁ、美味し。

 湯呑みを置いたところで、みーちゃんが言った。

「なんで?」

「会いたくて」

 上目遣いで返したら絶句した。あざとかったかな?

「なんてね……夏休み取ったから遊びに来たの、驚いた?」

「昨日は何も言ってなかったし、そりゃ驚くでしょ。恵さんは知ってたみたいだし」

 まだ少し不服そうな表情だったので、近づいて頬に触れながら「黙ってたのはごめん、でも会いたかったのは本当だよ、みーちゃんは嬉しくない?」

 迷惑だったかな? と溢す。

「それはもちろん……嬉しい……雫っ」

「ストップ! 仕事中でしょ?」

 キスしようとしたみーちゃんを制す。

「うぐっ」

「お仕事の邪魔はしないから安心して。一人でも楽しめるようにちゃんと下調べもしてきたんだから。今日はこれからドライブしながら海に沈む夕陽を眺める予定なの、へへ、ロマンチックでしょ」

「あぁ、それでレンタカー借りてあったのか、スピード出しすぎないように気をつけてよ……待ってるから」

「はぁい」





「うわぁ、きれい」

 一人だけど、声に出してしまった。

 それほど美しいーー世界で一番の夕陽だと思った。


 みーちゃんが、夕陽を見るならここがいいよ教えてくれた穴場スポット。

 高台にあって、港を見下ろす形だ。


 ここに来るまで、海沿いのドライブを楽しみながら、観光スポットをまわってきた。お土産やさんというより地元のお魚屋さん、八百屋さん、雑貨屋さんといった感じ。「どこから来たの?」「これ食べてみ?」いろいろ声もかけてくれる。お店の人以外でも、歩いていると地元の人が「これからどこ行くの? あそこはもう行った?」などなど。

 大好きな人が生まれて育った町。

 生かしてくれた育ててくれた、そう思うと、この石ころひとつも海岸の砂つぶひとつさえも愛おしい。なんでもないのにニヤニヤし、ありがとうと呟く観光客って怪しすぎるな。通報される前に車へ戻り夕陽の絶景ポイントへと急いだ。



 穴場といえど、同じように夕陽を見に来たと思われる観光客もちらほら。同じように上がっていた歓声も静まり、ただ沈みゆく太陽を眺める。

 ほぉぉっと息を吐いた。

 僅か数分間の自然現象だったけど、何時間もの大作を観終わった気分だった。

 ぽつりぽつりと、観光客は帰路につき、辺りも少しずつ暗くなっていく。

 私はもう少しだけ余韻に浸る。


「あの……」

 後ろから小さな声がかかる。

 振り向くと小さな犬を連れた女の人が「すぐに暗くなりますけど大丈夫ですか?」と心配そうに言う。

「はい、灯りは持ってますので」

「そうですか、ごめんなさいね」

「いえいえ、ありがとうございます」

 そろそろ行かなきゃ、と呟いて立ち上がった。



「それ、心配されちゃったんだね」

「観光客が一人だとね」

 宿に帰った私の話に、恵さんとみーちゃんは頷き合っていた。

「えっ、どういうこと?」

「女の子の一人旅はいろいろと心配されるのよ」

「それって自殺とかの?」

「そう、うちは受け入れてるけど断る宿も多いのよ」

 そうなの? もしかしてそれで、いろんな人に声をかけられていたの?

 気ままな一人旅って憧れるけど、実際にしようと思ったらなかなか難しいのかも知れない。




「さぁ、どうぞ召し上がって! 私はフロントにいますね」

「ありがとうございます」

 食事の準備をしてくれた恵さんが出て行ったと思ったら、今後はみーちゃんがやってきた。

「雫、一緒にご飯食べよ」


「みーちゃん、いいの? お仕事中じゃーー」

「休憩中だから、いいのっ。賄いをどこで食べようが私の勝手……ほら、特別にデザート作ってもらったよ、要らない?」

「要る!」

 みーちゃんは、してやったりというような顔して、デザートのわらび餅と葛もちをお盆に乗せてやってきて、私の隣に座った。


「ん〜おいひっ、はれもほれもっ、むぐっ」

「ちょ雫、もっとゆっくり食べなよ、口に入れすぎ」

「だってみんな美味しいんだもん。あ、みーちゃんの賄いも美味しそうだね」

「食べる?」

「うん」

「はい、あ〜ん」

「あ〜……」

 みーちゃんと目が合って、視線を逸らせなくなった。口の中に入れられた海鮮丼を咀嚼中もずっと、視線は絡んだまま。

「どうした、顔真っ赤だよ? 食前酒、強かったかな」

「そ、そうかも」

 嘘だ、舐める程度しか飲んでいない。

 ふっと笑いながら、二口目を差し出してくるから、また口を開ける。

 かわいい……声を出さずに口パクで伝えてくるの、ズルい。

 熱を持った顔を手で覆った。

「暑いね、換気しよっか」

 窓を開けてくれたので、外からの風が心地よく、気持ちも落ち着けることが出来た。

「大丈夫?」

「うん大丈夫、ちょっと幸せすぎて自分を見失っていただけ」

 大したことはない。みーちゃんの女将姿とかアップにしたうなじにクラッときたなんて、そんなこと絶対言わないもんね、せっかくのご馳走だ、しっかり味わおう。もう、それに集中しよう。


「ご馳走さまでした」

「お粗末さまでした」


 片付けを始めるみーちゃんを手伝おうとすると「雫はいいよ、お客さんなんだから。お風呂まだでしょ? 入っておいで」と言う。

「まだ仕事あるから一緒には行けないけど、大丈夫だよね?」

「もちろん! 一人で大丈夫」

「ん、のぼせない程度にね」

 手際よく食器を片付けてテーブルを拭いている。みーちゃんの仕事っぷりを眺め終わると、大浴場へと向かった。



「う〜〜ん」


 部屋に戻ったら布団が敷いてあったので、思わず大の字に寝転がった。

 はぁ、気持ちいいお湯だった。やっぱり温泉最高! 日本に生まれて良かったぁ。

「はぁぁ、さいこー」

 思ったことを声に出して、もう一度伸びをして起き上がる。


 テレビをつけて、冷蔵庫を開ける。何か飲もうかなぁ。酎ハイを手に座椅子に座れば、テレビでは野球中継をやっていた。見たことのない球団だと思う。

「みーちゃん何してるかなぁ」

 独り言が増えた自覚はある。つい口から出てしまうのだ。


 大浴場の帰り、フロント近くにいた恵さんと会って少し話をした。この後みーちゃんは家の仕事ーーお母さんのお世話をするらしい。


 そうだった。いつも、みーちゃんからの電話が来るのは、もう少し遅い時間だもん、まだ忙しいんだろうなぁ。

「みーちゃん」いつものように愛しい名前を呼ぶ。いつもは届かない声も、今日はすぐ近くにいるんだと思ったら心が温かくなる。体もぽかぽかする。あぁ少し酔ったかな。


 ピロン♪ という音がした。

 いつのまにかうたた寝していたようだ。野球中継は終わり、ニュースが始まっていた。

「みーちゃんからだ」

 雫、まだ起きてる? というメッセージ。「起きてるよ」と返事を打つ。いつものやり取り。

 しばらくしたら、部屋の襖が開いた。


「みーちゃん」

「業務終了! 終わったからいいよね」

 みーちゃんは、ぎゅっと抱きしめてくれた。本物だ! いつもの電話しながらの抱き枕とは、やっぱり違う。キュッと腕に力を込めそして息を吸った。みーちゃんの匂いに酔いそうだ……なんて思っていたら、体を離された。

「飲んでたの?」

「ちょっとだけ。みーちゃんも飲む?」

 缶の中身は半分以上残ってる。

 新しい飲み物を出すために冷蔵庫を開ける。

「私はいいや、明日も朝早いから」

「最近は飲んでないの?」

「そうだね、特別な日に飲むくらい」

「例えば?」

「雫に初めて会った日とか、雫が初めてうちに来た日とか、雫が初めてーー」

「私の事、大好き過ぎん?」

「うん、大好き」

 そう言って、両手を広げて笑うみーちゃん。

 私はヨロヨロと近づいて、すっぽりと腕の中に収まる。みーちゃんの愛に、酔うどころか泥酔間違いなしだ。


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