「ねぇ見て、綺麗」
「本当だ。あれ、なんか着陸しないで旋回してない?」
「機長のサービスじゃない? この景色を堪能しなきゃ」
そう言いながらカシャカシャ写真を撮っているのは、後ろの席に座っているカップルだ。
私も窓から覗くと、雲一つない青空にくっきりとそびえる利尻富士が見えた。
飛行機が着陸すると宿の人がお迎えに来てくれていた。
「雫さん?」
「はい、恵さんですね、はじめまして」
「よくいらしてくださいました。美佐さんの驚く顔が楽しみだわ」
ふふふと、いたずらっ子のように笑った。
「本当に、みーちゃ、美佐さんに内緒で?」
夏季休暇を九月にまとめて取り、みーちゃんの旅館に正規で泊まろうと予約の電話をしたところ、恵さんが対応してくれた。そして名前だけで私がみーちゃんの彼女だとわかってしまい、どうせならサプライズにしましょって言って、みーちゃんには知らせないことになったのだ。
恵さんの作戦、喜んでくれるだろうか、もしかしたら迷惑がるかもしれないが。でも、今回はちゃんと料金を払ったいち観光客として来たのだから、文句言われる筋合いはないよね、みーちゃんの女将姿、楽しみだな。
車に揺られ十数分、宿に到着した。
音を聞きつけて奥からやってくるその人は、私の姿を認識して固まった。
「な……」
「来ちゃった」
へへっと、恵さんと顔を見合わせる。
「さぁ、お客さまを案内してくださいね」
恵さんの言葉で、ようやく動き出したみーちゃんは、ぎこちなく「こちらへどうぞ」と言った。
スリッパを履いて、少し後ろをついて歩く。部屋に着いてお茶を入れてもらう。一口飲んで息を吐く。はぁ、美味し。
湯呑みを置いたところで、みーちゃんが言った。
「なんで?」
「会いたくて」
上目遣いで返したら絶句した。あざとかったかな?
「なんてね……夏休み取ったから遊びに来たの、驚いた?」
「昨日は何も言ってなかったし、そりゃ驚くでしょ。恵さんは知ってたみたいだし」
まだ少し不服そうな表情だったので、近づいて頬に触れながら「黙ってたのはごめん、でも会いたかったのは本当だよ、みーちゃんは嬉しくない?」
迷惑だったかな? と溢す。
「それはもちろん……嬉しい……雫っ」
「ストップ! 仕事中でしょ?」
キスしようとしたみーちゃんを制す。
「うぐっ」
「お仕事の邪魔はしないから安心して。一人でも楽しめるようにちゃんと下調べもしてきたんだから。今日はこれからドライブしながら海に沈む夕陽を眺める予定なの、へへ、ロマンチックでしょ」
「あぁ、それでレンタカー借りてあったのか、スピード出しすぎないように気をつけてよ……待ってるから」
「はぁい」
「うわぁ、きれい」
一人だけど、声に出してしまった。
それほど美しいーー世界で一番の夕陽だと思った。
みーちゃんが、夕陽を見るならここがいいよ教えてくれた穴場スポット。
高台にあって、港を見下ろす形だ。
ここに来るまで、海沿いのドライブを楽しみながら、観光スポットをまわってきた。お土産やさんというより地元のお魚屋さん、八百屋さん、雑貨屋さんといった感じ。「どこから来たの?」「これ食べてみ?」いろいろ声もかけてくれる。お店の人以外でも、歩いていると地元の人が「これからどこ行くの? あそこはもう行った?」などなど。
大好きな人が生まれて育った町。
生かしてくれた育ててくれた、そう思うと、この石ころひとつも海岸の砂つぶひとつさえも愛おしい。なんでもないのにニヤニヤし、ありがとうと呟く観光客って怪しすぎるな。通報される前に車へ戻り夕陽の絶景ポイントへと急いだ。
穴場といえど、同じように夕陽を見に来たと思われる観光客もちらほら。同じように上がっていた歓声も静まり、ただ沈みゆく太陽を眺める。
ほぉぉっと息を吐いた。
僅か数分間の自然現象だったけど、何時間もの大作を観終わった気分だった。
ぽつりぽつりと、観光客は帰路につき、辺りも少しずつ暗くなっていく。
私はもう少しだけ余韻に浸る。
「あの……」
後ろから小さな声がかかる。
振り向くと小さな犬を連れた女の人が「すぐに暗くなりますけど大丈夫ですか?」と心配そうに言う。
「はい、灯りは持ってますので」
「そうですか、ごめんなさいね」
「いえいえ、ありがとうございます」
そろそろ行かなきゃ、と呟いて立ち上がった。
「それ、心配されちゃったんだね」
「観光客が一人だとね」
宿に帰った私の話に、恵さんとみーちゃんは頷き合っていた。
「えっ、どういうこと?」
「女の子の一人旅はいろいろと心配されるのよ」
「それって自殺とかの?」
「そう、うちは受け入れてるけど断る宿も多いのよ」
そうなの? もしかしてそれで、いろんな人に声をかけられていたの?
気ままな一人旅って憧れるけど、実際にしようと思ったらなかなか難しいのかも知れない。
「さぁ、どうぞ召し上がって! 私はフロントにいますね」
「ありがとうございます」
食事の準備をしてくれた恵さんが出て行ったと思ったら、今後はみーちゃんがやってきた。
「雫、一緒にご飯食べよ」
「みーちゃん、いいの? お仕事中じゃーー」
「休憩中だから、いいのっ。賄いをどこで食べようが私の勝手……ほら、特別にデザート作ってもらったよ、要らない?」
「要る!」
みーちゃんは、してやったりというような顔して、デザートのわらび餅と葛もちをお盆に乗せてやってきて、私の隣に座った。
「ん〜おいひっ、はれもほれもっ、むぐっ」
「ちょ雫、もっとゆっくり食べなよ、口に入れすぎ」
「だってみんな美味しいんだもん。あ、みーちゃんの賄いも美味しそうだね」
「食べる?」
「うん」
「はい、あ〜ん」
「あ〜……」
みーちゃんと目が合って、視線を逸らせなくなった。口の中に入れられた海鮮丼を咀嚼中もずっと、視線は絡んだまま。
「どうした、顔真っ赤だよ? 食前酒、強かったかな」
「そ、そうかも」
嘘だ、舐める程度しか飲んでいない。
ふっと笑いながら、二口目を差し出してくるから、また口を開ける。
かわいい……声を出さずに口パクで伝えてくるの、ズルい。
熱を持った顔を手で覆った。
「暑いね、換気しよっか」
窓を開けてくれたので、外からの風が心地よく、気持ちも落ち着けることが出来た。
「大丈夫?」
「うん大丈夫、ちょっと幸せすぎて自分を見失っていただけ」
大したことはない。みーちゃんの女将姿とかアップにしたうなじにクラッときたなんて、そんなこと絶対言わないもんね、せっかくのご馳走だ、しっかり味わおう。もう、それに集中しよう。
「ご馳走さまでした」
「お粗末さまでした」
片付けを始めるみーちゃんを手伝おうとすると「雫はいいよ、お客さんなんだから。お風呂まだでしょ? 入っておいで」と言う。
「まだ仕事あるから一緒には行けないけど、大丈夫だよね?」
「もちろん! 一人で大丈夫」
「ん、のぼせない程度にね」
手際よく食器を片付けてテーブルを拭いている。みーちゃんの仕事っぷりを眺め終わると、大浴場へと向かった。
「う〜〜ん」
部屋に戻ったら布団が敷いてあったので、思わず大の字に寝転がった。
はぁ、気持ちいいお湯だった。やっぱり温泉最高! 日本に生まれて良かったぁ。
「はぁぁ、さいこー」
思ったことを声に出して、もう一度伸びをして起き上がる。
テレビをつけて、冷蔵庫を開ける。何か飲もうかなぁ。酎ハイを手に座椅子に座れば、テレビでは野球中継をやっていた。見たことのない球団だと思う。
「みーちゃん何してるかなぁ」
独り言が増えた自覚はある。つい口から出てしまうのだ。
大浴場の帰り、フロント近くにいた恵さんと会って少し話をした。この後みーちゃんは家の仕事ーーお母さんのお世話をするらしい。
そうだった。いつも、みーちゃんからの電話が来るのは、もう少し遅い時間だもん、まだ忙しいんだろうなぁ。
「みーちゃん」いつものように愛しい名前を呼ぶ。いつもは届かない声も、今日はすぐ近くにいるんだと思ったら心が温かくなる。体もぽかぽかする。あぁ少し酔ったかな。
ピロン♪ という音がした。
いつのまにかうたた寝していたようだ。野球中継は終わり、ニュースが始まっていた。
「みーちゃんからだ」
雫、まだ起きてる? というメッセージ。「起きてるよ」と返事を打つ。いつものやり取り。
しばらくしたら、部屋の襖が開いた。
「みーちゃん」
「業務終了! 終わったからいいよね」
みーちゃんは、ぎゅっと抱きしめてくれた。本物だ! いつもの電話しながらの抱き枕とは、やっぱり違う。キュッと腕に力を込めそして息を吸った。みーちゃんの匂いに酔いそうだ……なんて思っていたら、体を離された。
「飲んでたの?」
「ちょっとだけ。みーちゃんも飲む?」
缶の中身は半分以上残ってる。
新しい飲み物を出すために冷蔵庫を開ける。
「私はいいや、明日も朝早いから」
「最近は飲んでないの?」
「そうだね、特別な日に飲むくらい」
「例えば?」
「雫に初めて会った日とか、雫が初めてうちに来た日とか、雫が初めてーー」
「私の事、大好き過ぎん?」
「うん、大好き」
そう言って、両手を広げて笑うみーちゃん。
私はヨロヨロと近づいて、すっぽりと腕の中に収まる。みーちゃんの愛に、酔うどころか泥酔間違いなしだ。