「おう、悪いな」
久しぶりに会った兄は、昔と同じ喋り方で、昔と同じく優しい目をしていた。
見た目は、げっそりしているわけでもなく、酸素マスクをしているわけでもなく、点滴はしているけれど、少し顔色が悪いくらいだった。
「元気そうじゃん」
「なんとかな。もう少し頑張れそうだよ」
「もう少しなんて言わないでよ」
そう言うと、口角を上げながら寂しそうに笑った。
病院へ来るまでの間に詳しいことを恵さんから聞いた。
二年前に健診で肺に影があるのを指摘され、検査をしたところ肺癌と診断されたこと。手術をして肺を切除したこと。半年前に骨と脳に転移が見つかり放射線治療を行ったこと。そして先日、余命3ヶ月と言われたこと。
「恵さん、可愛い人だね」
そして強い人だと思う。
「だろ?」
今度は照れたように笑って「美佐は? いい人いるのか?」と父親みたいな事を言う。
私は雫の顔を思い浮かべながら「いるよ」と言ったら。
「そうか」と言ったきり、目を閉じた。
「どうしたの? 疲れちゃった?」
「俺はさぁ、結婚した時にメグを守るって誓ったんだよ」
目を閉じたまま、静かに話す。
「うん」
「今でもそう思ってる」
「うん」
「だからさ、美佐。うちを継いでくれないか?」
しっかりと私の方を向いた。
「……えっ」
だからって? どこから繋がってるんだ?
「俺がいなくなった後、メグを自由にしてやって欲しいんだ。幸い、子供もいないし、メグはまだ若いから。俺が守ってやれないなら、自由に、幸せになって欲しいんだ」
「でも……」
「メグは、俺が死んでも旅館を続ける気でいる。でもそんな苦労、俺がいないところでさせられないよ。美佐が戻ってきて継ぐって言ってくれたら、納得してくれると思うんだ。美佐が、家を嫌ってるのは知ってる。もしも旅館が嫌なら、売ってもいい。その後の事はお前の好きにしていいからメグを……解放してやってくれ。急に呼び出して、こんな話で悪いけど、俺の最期の頼みだ。考えてくれないか」
「お兄ちゃん」
「悪いけど、結論が出るまでこの話はメグには黙ってて欲しい。病気が見つかった時、離婚しようという話もしたんだけど、めちゃくちゃ泣かれて怒られたからさ」
その時のことを思い出したのか、悲しそうな顔をした。
何も言えず、ぼんやりしていたらしい。
いつの間にか恵さんが戻って来ていて、ちょうど配膳された病院食を並べていた。
「美佐さん、そろそろ帰りましょうか」
「え、あぁ、はい」
恵さんと二人で実家へ戻った。