あの日、私はギリシャにいた。仕事も目処がつき、お土産を何にしようかと考えていた時だった。
着信の表示は兄の名前だったけれど、声は女の人で、それは名前しか知らない義姉だった。
「聡志さんが倒れたの。美佐さんに会いたいって言ってるの。呼んで欲しいって」
急に動悸がして治らなくなった。それほど切羽詰まった声だった。
会社に連絡して、すぐに帰国。そのまま実家へ飛んだ。雫への連絡をしようと思ったけれど、まだ状況がわからないので後回しにした。いつでも連絡することは出来るだろうと思っていたから。もしも大したことなければ、心配させるだけだろうし。
それが間違いだった--ほんとに言い訳だな。
少しくらい連絡が遅れても、雫は待っていてくれる。そう、思い上がっていたのだ。
何年ぶりだろう? この地に立ったのは。変わってないなぁという感想の中には懐かしさは微塵もなく、苦笑いするしかなかった。
実家の門をくぐる時には、一瞬だけ足が震えた。
「美佐さん?」
出迎えてくれたのは、義姉だった。
「恵さん? 遅くなってしまって」
はじめまして、は割愛した。
恵さんは、思ったよりも小柄な人で、タレた目がいつも笑っている印象を受けた。
「いえいえ、遠いところを、ありがとうございます。どうぞ、少し休んでください」
昔私が使っていた部屋に荷物を置き、リビングへ行くとお茶をいただいた。
「もう少ししたら、着替えを持って病院へ行くのでよかったら一緒にお願いできますか?」
「えぇ、もちろん。それで病状は?」
「今は小康状態を保っています」
数日前に、医師に覚悟はしておいて下さいと言われた峠は越えたという。
「そんな状態だったなんて……」
知らなかった、全く。病気を患っていたことさえ。
「聡志さんが知らせなくていいと言ってたんです。診断された時も二年前の手術の時も。でも、今回はさすがに気弱になったんですね」
そう言った顔は、微笑んでいたけれど疲れが見え隠れしていた。
「電話の一本もしなくて、ごめんなさい」
「直接言ってあげてください、話せるだけで喜びます。そろそろ行きましょうか」
「はい……あの……」
ずっと気になっていた。
「はい?」
「母は?」
「あぁ、今はお休みになられてます」
私は時計を見た。まだ夕方の時間だ。こんな時間に? 兄の具合が悪いので、母もまた心労で憔悴しているのだろうか。私と会いたくないのかもしれないな。まぁ、私も会いたくないのだからお互いさまか。