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第15話 共依存

 バタンという何かの音で目が覚めた。起き上がりキッチンへ行くと、テーブルの上にメモがあった。

『走ってきます』さーちゃん特有の、筆圧の弱い字だ。

 今、出ていったところのようだ。


 昨夜の事を思い出していた。

 まさか、さーちゃんが私を求めるなんて思いもしなかった。行為の最中、ずっと泣いていたように思う。涙は出ていなかったけれど、そんな気がして仕方ない。私のために……ごめんね。

 いつもそうだ。さーちゃんの優しさに甘えてしまう弱い私。

 どうすればいいんだろう。

 顔を洗って、コーヒーを淹れて考える。なのに、お腹がキュルキュルと鳴いた。


 料理をするのは好きだ。

 誰かのために作るのが好きだ。

 何が食べたいだろう、どんな気分なんだろう、どんな顔をして食べるんだろう、想像するのが好きだ。

 さーちゃんは、今日はどのくらい走ってくるのか。どれくらい疲れて帰ってくるんだろう。そんなことを考えながら、朝ごはんを作った。


 ガチャリ。玄関から音がしたので、そちらを向くと。

「どうしたの? 雨降ってた?」

 ずぶ濡れのさーちゃんが立っていた。

「いや、ピーカン」

「まさか、汗?」

 はっ、嘘でしょ、あはっ、やばっ、ほんとに?

 笑いが止まらなくなった。

 そんな私を見て、つられてさーちゃんも笑った。どこかホッとしたように。

 二人で散々笑った後。

「ほら、シャワー浴びてきて、ご飯できてるから」と誘導した。




「昨日はごめん、どうかしてた」

 食事を終えて、落ち着いた声でさーちゃんが話し出した。

 走りながらずっと反省していたと言う。それであんな汗まみれになるまで走ったのか、昔から集中すると時間を忘れるタイプだったな、さーちゃんは。


「私の方こそ、どうかしてた。さーちゃんが止めてくれなかったら、どうなってたことか」

 自暴自棄って、こういう時に使うのかな。

「助けてくれてありがとう」

 そう言うと、少し困った顔をした。

「お礼なんて言われたら困るよ、私だってしーちゃんの寂しさを利用して……あんなことしちゃったし、なかったことには出来ないけどーーごめん」

 この前さーちゃんが、謝らなくていいって言ってた意味がようやく分かった気がした。

 ごめんと謝られると、逆に傷つくこともあるんだな。


「さーちゃんは、なかったことにしたいの? 私のこと好きっていうのは嘘だったの?」

「え、そんなっ、ことはない、けど、なんだかズルい気がして--私の気持ちばっかり押し付けたから」

 さーちゃんの気持ちは、あの時痛いほど分かった。いつもは冷静なのに激しい感情をぶつけてきた。それでもとっても優しくて、抱かれた時は暖かい気持ちになった。

 私はどうなんだろう。

 さーちゃんのことをどう思ってるのか。

 その事を朝からずっと考えていた。



「私はさーちゃんのこと、今までそういうふうに見たことなかったから」

 わからなかった。

 近くにい過ぎて、恋愛対象として考えたことはなかったから。

「そうだよね、わかってる。一生この気持ちは言わないつもりでいたのに、ごめん」


「それはそれで、寂しいかも」

「え?」

「さーちゃんの、本当の気持ちを知らないままっていうのは寂しいと思う」

 それくらい、私はさーちゃんを信頼してた。

「そうだね、しーちゃんは、いつだって本音だったね」

 ハッとした。

 さーちゃんが私の事を想ってくれてたとしたら、恋愛の悩みや報告を逐一報告なんかして、ずっと傷つけていたのかもしれないな。私はそういう人を思う気持ちが欠けている。身勝手だ。

「さーちゃん、ごめん」

「責めてるわけじゃないよ、私はそんなしーちゃんが羨ましくて、憧れでもあって、最後だからもう一度ちゃんと言うよ。ずっと好きだった」


「ちょっと待って、最後ってどういうこと?」

「だって、ここから出て行くんでしょ。そしたら、もう会えないよ、会わない方がいい」

 さーちゃんは、いつもそうだ。自分の事より相手のことを考える。自分の欲というものを前面に出したところを見たことがない。だからきっと、これは私のためなんだろう。でも。

「やだよ、さーちゃんと会えなくなるなんて」

 私はわがままだ。さーちゃんに対しては特にそうだ。甘えてるんだろう。今までがそうだったから、何でも許してくれたから。


 でも、そうか。もういいかげん自立しなきゃいけないよね。もう、さーちゃんを傷つけたくはないし。

「わがまま言ってごめん、今までありがとね、荷物まとめるね」

 困ったような顔をして俯いたさーちゃんに言い残して、部屋を出た。



 自分のモノが増えていたような気がしていたけど、小さなものが多かったせいか、鞄に詰めたら二つで収まった。

 衣服は箱に詰めて、後で取りに来るか送ってもらおう。

 リビングへ行くと、さーちゃんはソファに寝転がって目を閉じていた。

 早朝ランニングで疲れたのかもしれないな。

 静かに近づいたのに、さーちゃんは起き上がった。目を見たら赤くなっていて、寝ていたわけじゃなかったことを知った。

「行かないで」

 掠れた声で、確かにそう言った。


 話を聞いてほしいと言ったので、コーヒーを淹れてソファに座った。

「私、自分が好きじゃないんだ」

 さーちゃんは、そう話し始めた。

「私は愛されないって分かってる。大好きだったひとも出て行った。行っちゃヤダって言ったのに。だから自分の気持ちや思いを言えなくなった。言っても否定されるのが怖かった。何かを手に入れることを望まなくなった。それを失くすのが怖いから。でも、しーちゃんといる時は、自分を好きでいられたの。しーちゃんを好きなことは言えなかったけど、好きでいる自分を誇れたから。だから、しーちゃんが幸せになるんだったら何だって出来る。でも、しーちゃんが悲しんでいたら、寂しいんだったら、そばにいたい。あの人を忘れられないのは分かってる。本気で好きになった人を忘れられないのは、私が一番知ってる。だから、代わりでいい。私を利用して欲しい。行かないで、一緒にいたい」

 子供の頃から近くにいたのに、さーちゃんがそんなふうに思ってたなんて知らなかった。

 確かに口数は少なくておとなしい性格だけど、温和で誠実で、友達からも信頼されてるのに。


 今にも泣きそうなさーちゃんを抱きしめた。

 一瞬ビクッとしたけれど、その後は動かなかった。

「どこにも行かないよ、さーちゃんは私なんかより優しくて誰からも愛される人だよ、だから自分を好きになって」


 そのまま、二人で暮らすことにした。


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