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第11話 秋の気配

「しーちゃん? またこんなに飲んで、ほら帰るよ」

 カウンターに突っ伏していた私を呼ぶ声が聞こえた。

「ーーなんだ、さーちゃんか」

「なんだって......私くらいしか迎えになんて来ないでしょ?」

 酷いなぁ、そんなにハッキリ言わなくてもいいのに。私が誰を待ってるのか、分かっててそんな事を言うなんて性格悪いよ。

「帰りたくない」と、ごねてみる。実際、体がだるくて動きたくない。飲みすぎたかなぁ。

「あ、そ。じゃ、置いて帰ろっと」

 あっさりと帰ろうとする無情な親友。


「それは困るなぁ」と、のほほんとした声がした。

 声の主であるマスターの顔を見たら、優しい顔で「帰った方がいいよ」と言う。

 マスター......

「マスター、迷惑かけてごめんなさい」

 素直に立ち上がった。少しよろめいたけど、さーちゃんが支えてくれたので倒れずにすんだ。

 ダメだなぁ、みんなに心配や迷惑かけてる。

 それは分かっているんだけど、じゃぁどうしたらいいのか、分からない。


 静かに走る車の中から、ぼんやりと車窓を眺めていた。窓を少し開けてあるので、風が心地良い。

「やっぱり振られちゃったのかなぁ」

 独りごちた。

 隣で運転している、さーちゃんには聞こえなかったのか--聞こえないふりをしてくれているのか--何も言わなかった。

 当然のように、さーちゃんの部屋へと帰った。一週間前からずっと、ここで過ごしている。

「こんな状態のしーちゃんを一人で置いておけない」と、さーちゃんが言うから。


 あの夏の日--二人で花火を見た日--以来みーちゃんと会えず、今は待つ事以外に私が出来ることはない。みーちゃんから貰った鍵では、あの部屋はもう開かないのだから。



※※※


 あの夏の日の後、みーちゃんはまた海外へ旅立った。確か、行き先はギリシャだと言っていた。連絡すると言っていた通り、メッセージをくれていた。最後の一文には『お土産楽しみにしていてね』と書かれていた。


 だから、まさかこの後全く連絡が取れなくなるなんて思っていなかったんだ。

 メッセージの返事が来なくなっても、仕事が忙しくなったんだろうと思っていたし、何度も催促するようなことはしなかった。帰国が伸びることだって今までに何回もあったから、寂しいけれどじっと待っていた。いつも通りに『雫、ただいまぁ』って笑顔で会えると信じていたから。

 それなのに、結局その日はやってこなかった。おかしいと思って部屋を訪ねた時には、もう家具も荷物も何もかもなくなっていた。

「なんで……」

 一緒にご飯を食べたテーブルも、一緒に洗ったお皿も、愛を誓ったベッドもなくなっていた。

「何が……あったの?」

 しばらく呆然としていたけれど、何か行動しなきゃ、まずは。

「電話だ」

 履歴から『みーちゃん』を出す。通話ボタンを押す手が震えた。心臓はバクバクしている。呼び出し音は鳴らず、無機質な声が聞こえた。電源が入ってないとかなんとか--


 いつのまにか、この道を歩いてた。あの店へ続く道。いつ、部屋を出たか覚えていないけれど、辺りは暗くなっていた。開店時間には少し早いか、でも。

「しーちゃん? どうした……」

 お店に入った瞬間、よっぽど変な顔でもしていたのか、マスターは駆け寄ってきてくれた。

「とりあえず座って、コーヒーでいいか?」

 カウンターの中へ戻ろうとするマスターの腕を掴んだ。

「みーちゃ--美佐さんの居場所知らない?」

「え? なに? どういうことだ」

「いなくなっちゃった」

 言った瞬間に涙が溢れた。言葉にしたことで脳が現実だと理解したみたいに。

 それ以降の事はよく覚えていない。気付いたら翌朝で、さーちゃんの家にいた。


「なんで私、ここにいるの?」

 さーちゃんは、やっぱり目腫れてるね、と言いながら冷えたタオルを渡してくれて。

「マスターに頼まれたから」と答え、昨夜の事、覚えてる? と心配そうに言う。

「全く覚えてない」

「だろうね、あんなしーちゃん初めて見た」そう言ったさーちゃんは、悲しそうな目をしていたから、相当やらかしたのかもしれない。

「ごめん、迷惑かけたね。連絡するなって言われてたのに」

「バカなの? 困った時には頼ってよ」今度は怒ってる。そうだった、さーちゃんはそういう子だ。いつも、そう言ってくれてたっけ。

「うん……ありがと」

 昨夜よりは落ち着いて状況判断は出来ている……はずだ。


「あの人、いなくなったんだって?」

「うん」

「心当たりは?」

「ない」

「喧嘩とか」

「してない。ラブラブだったもん」

「そう……じゃ」

 そう言ったきり黙り込むから、不安になる。

「何?」

「いや、なにか事情があったのかな」

「なにかって? 事故とか? まさか……死ん--っや、いやぁ」

「雫、落ち着いて!」

 叫び出しそうになった時に、さーちゃんの大きな声とともに体を抱きしめられて、我にかえった。

「荷物、なくなってたんでしょ? だったら無事でしょ」

「でも、家の人が引払う事だってある--あ、家族」

 みーちゃんの家族って? 実家には長い間帰ってないって、疎遠だったはず。

「実家は?」

「わからない。私、みーちゃんのこと、何にも知らない」

「職場は?」

「あっ」

 なんで思い出さなかったんだろう。名刺、貰ってたこと。確か財布の中に。

「あった」

「しーちゃん? 待って」

 静止も聞かず、電話をする。

「あっ、お休みだって」

「日曜日だからね」


 その後、何度かみーちゃんの番号にかけたが、やはり繋がらなかった。



 翌日、私は仕事を休んだ。

「まだ情緒不安定だから、その方がいいね」と、さーちゃんも同意してくれた。

 自分では落ち着いていると思ってるんだが? 不意に涙が溢れる事が、あるにはある。いや、それよりも今は名刺に書いてある会社に連絡を取って、みーちゃんが無事かどうかを確かめなきゃいけないもん。仕事なんてしてられないよ。


 世界から色が消えてる。音もしないから静かだ。時間、流れてるのかな? 私の意識だけがふわふわと浮いているような、そんな感じ。

 そっか、何も考えなければ悲しみはやってこないんだ。思考を止めれば……楽になれるんだ。

 そんなふうに現実逃避していた私を、スマホの音が呼び戻した。

 みーちゃん⁉︎

「なんだ、さーちゃんか」

「どうだった? 電話したんでしょ?」

 お昼休みに、会社からかけているようだ。

「もう退職したって言われた。実家の連絡先は個人情報だから教えられないって」

「そう。他には? 何か言ってた? 退職の理由とか」

「何も......もう、どうしようもないのかな?」

 また、涙が溢れて止まらなくなった。やっぱり現実に戻るととてつもない悲しみに押し潰されそうになる。

「しーちゃん大丈夫? こっちからも探り入れてみるから、私が帰るまでおとなしく待ってて」

「うん」

「そうだ、電話した時に雫の名前、名乗った?」

「えっと、そういえば言ってないかな」

「了解、じゃ出来るだけ早く帰るから」

 そして、世界がまた無音になった。



「ただいま」

 さーちゃんが帰ってきた。

「どうせ何も食べてないんでしょ」と、お弁当を買って。

 食欲ないから、と言おうとしたら「残してもいいから食べな」と言われ仕方なく箸をつけた。正直、味がほとんどしないんだ。目を閉じていたら何を食べているかわからないくらいに。それでも半分程食べすすめたら、よく頑張ったねって言ってくれた。


「お昼に仕事の要件のフリして、電話してみたんだけど--」

「何か分かった?」

 それまでぼんやりしていた私が、さーちゃんが話している途中なのに食いついたから、苦笑いをしていた。

「録音したから一緒に聞こう」


「お世話になっております。わたくし遠藤税理士事務所のものですが、橘さんはいらっしゃいますでしょうか?」

「橘は先日、退社をいたしまして」

「えっ、そうなんですか? 懇意にさせていただいたのですが、そのような話はなかったもので」

「えぇ、急なことだったので」

「と言いますと?」

「ご家族の体調不良と聞いてます」

「あぁ、ご実家の。確か--」

「えぇ、北海道なので」

「あぁ、そうでしたね。遠いから--」

「それでご用件は?」

「あぁ、はい。そういうことでしたら、所長とも相談して、また改めさせていただきます。わたくし、事務員の大石雫と申します」


 さーちゃんが税理士事務所の事務員であることは本当のことだ。でも何で?

「私の名前?」

「もしも会社の人が連絡とってくれたら、雫が探してることが伝わるかなって」

「さーちゃん……」

「伝わるといいんだけど。でも、あの人の無事は確認出来たでしょ、ここを離れなきゃいけない事情もあったみたいだし。実家が北海道ってことも分かったし」

「北海道か、遠いね。でも何で?」

 結局、なんで? って思ってしまう。

 なんで連絡してくれないの?

 なんで何も言わずにいなくなってしまったの?

 私って、それだけの存在だったの?


 ねぇ、みーちゃん。教えてよ。



 結局、私は一週間会社を休み続けた。何もする気になれなかった。こんな状態で出社したって、ミスするだけだし。なんて、言い訳か。

 未だ、何の連絡もないスマホを一日中眺めては、ため息を吐く。

 季節は秋になっていた。


 何も考えず、ふらふら歩いていたはずなのに、いつのまにかここに来ていた。

 みーちゃんと過ごした部屋。

「あっ」

 表札が真っ白になっていた。鍵を挿しても、回らない。

 絶望っていう言葉、こういう時に使うのかな。ここで過ごした二人の思い出まで全て消えてしまったような--夢であって欲しいと願ったけれど、二人で過ごした時間の方が夢だったんじゃないかと--やだよ、そんなの。



「いらっしゃい--」

 マスターは、私を見て絶句した。

 痩せたなぁ、と言ってお茶を出してくれた。

「いつから、ここは喫茶店になったの? お酒ください」

「はいはい」

「ねぇマスター、美佐さんから連絡ない?」

「ないねぇ」

「ほんとに? 隠してない?」

「そんなわけないだろ、連絡あったらちゃんと教えるよ、前みたいに」

「うっ、うぅ」

「え、なに、どうした。泣くなよ」

 一瞬にして思い出してしまったから。あの時のことを。

 やっぱり寂しいよ、会いたいよ。

「マスター、お酒!」



「雫、ほら帰るよ」

 あ、良かった。みーちゃんが迎えに来てくれた。やっぱり夢だったんじゃん。

 みーちゃん、遅いよ〜ずっと待ってたんだからね。


 あれ? なんだ、さーちゃんか。。


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