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第10話 夏の終わりに

「夏が終わる音がする」

 最後に会った時、貴女はそんな言葉を口にしていた。


※※※


「お、いらっしゃい」

 なんだか、久しぶりな気がした。それもそうか、部屋の鍵を貰ってから待ち合わせる必要がなくなったのだから、このお店に来る頻度も下がってしまったのだ。

「最近全然来てくれないから心配してたんだよ、美佐ちゃんとはうまくいってるか?」

 相変わらず客との距離がやたらと近いマスターは、それでも嬉しそうにカクテルを作る。

「たまには来てよ、寂しいからさぁ」

 そう言って、いつものカクテルを置いた。


「ちょっと、うちの子口説かないでよ」

 振り向いたら、眉間に皺を寄せたみーちゃんが立っていた--腰に手を当てて--

「なんだ、喧嘩でもしたのかと思って慰めようとしてたのに」

 なんだラブラブかぁ、なんてニヤニヤしながら他のお客さんのところへ逃げていった。


 お店の外へ出ると手を繋ぎ、これからどうしよっか? と言うので。

「お姉さん、私とワンナイトしませんか?」と誘った。

 一瞬間があったけれど。

「いいね、ただしワンナイトでは終わらないよ絶対に」と答えてくれた。

 もちろん、ワンナイトで終わらせない、絶対に。


 私と同じようにみーちゃんも、答えるまでの一瞬の間に、あの時の事を思い出していたのだろうか?

 あの時と同じホテルへ向かった、季節は春の終わり。




「友達と何処か出掛けたりしないの?」

 みーちゃんの言葉に驚いた。

「いいの?」

「せっかくのゴールデンウィークなのに、うちで家政婦みたいなことさせて悪いと思ってるの、若いんだから遊びに行きたいでしょ?」

 世間は大型の連休で、私の会社もカレンダー通りお休みだ。でも、みーちゃんはずっと仕事だということで、連日、出勤中は掃除や洗濯、帰宅に合わせて夕飯を作っている。


 家政婦みたいなことをしているなんて思ってないし、若い=遊びたいと思ってるなんてどういう思考回路だ?

 私は自分がしたい事をしているだけなのに。なんだかムカついた。

「ほんとにいいの? 私の友達可愛いよ、一緒に遊びに行ったら確実にナンパされるだろうなぁ、いいのかなぁ」

 みーちゃんの、唐揚げに伸ばした箸が止まった。


「うっ、やっぱり止めて。休みが取れたら私が何処かへ連れてってあげるから」

 わりと必死な顔が可愛くて仕方ない。

「素直でよろしい、はい、あーん」

 唐揚げを食べさせてあげた夜。




「し〜ず〜くぅ〜」

 私を呼ぶ声が聞こえた。

 愛しい彼女の、その声は浴室からだ。

 あっ、これはお誘いか? 喜び勇んで飛んでいく。脱衣所で靴下を脱いで洗濯機へ放り込む。さらに服を脱ごうとしたところで声がした。


「雫、シャンプー取って! そこに買い置きあるでしょ?」

 へ、シャンプー? なんだ、それで呼ばれたの? ま、いいや。

「はい、シャンプー持って来たよ」

 そのまま入ってドアを閉める。

「なんで雫まで入ってくるのよ」

「ついでだから洗ってあげるよ?」

「えっっ、いいよ、自分でやる--」


 問答無用にシャンプーを付けて泡立てる。髪は既に濡れていたので泡立ちも良い。どうやら、濡らしてからシャンプーが切れているのに気付き、慌てて私を呼んだらしい。

「どう、なかなか上手いでしょ?」

「うん、気持ちいい」

 美容師の友達に教えてもらったことがある、地肌のマッサージも追加した。

 シャワーで丁寧に泡を洗い流す。みーちゃんはおとなしく、されるがままになっている。シャンプーされている時って、なんて無防備なんだろう。


「ひゃっ」

 思わずうなじにキスしたら、変な声を出してた。

「ちょっと、変なことするなら出てってよ」

「変なことって何ですか? わからないから教えてくださーい。あ、ついでに体も洗いますね?」

「ちょっと雫、やめ--」

 泡で出てくる洗剤って便利だなぁ、手のひらに泡をいっぱい乗せて迫る。恥ずかしくて後ろを向いたみーちゃんの、背中に泡を付けて撫で上げた。


「なんで素手?」

「肌を傷つけないためだよ、乾燥予防にもいいんだよ、何かのテレビでやってた」

 腰から腕を回してお腹も撫でる。抱きかかえる格好になって密着する。

「雫、服が濡れちゃうじゃない」

 あ、そういえば脱ぎ切れずにTシャツと短パンだった。

「私も脱げばいい? それともこのまま犯されたい?」

 お腹から上に手を進める。

「ちょ、どういう選択肢なの?」

「私も脱いで犯したいな」

 クスクス笑いながら、いいでしょ? と迫れば、真っ赤な顔をして微かに頷いた。


 最初からわかってたよ、こうなること。みーちゃんは私のお願いを断ったことなんてないもん。

 そんな梅雨空の日の夜。




「あぁ、良い匂い! この匂いはシチュー?」

 みーちゃんと過ごす初めての夏は、そんな声で始まった。


 今回の出張は長かった。みーちゃんがいない間に梅雨が明け、蝉が鳴き始めていたのだから。

「おかえり~みーちゃん」

 お玉片手に抱きつけば、匂いに釣られたのか。

「ただいま、雫。恋しかったのよ、雫のご飯が」

「え、ご飯だけ?」

 拗ねて見せれば、膨らませた頬にキスをして。

「もちろん、雫が一番だよ! 今すぐ食べたいくらいに」

 と、欲しい言葉をくれる人。

「へへ、でもそれは後でね。ご飯食べるでしょ」


「うん、それにしても日本は蒸し暑いねぇ」

「そう言うと思って、冷たいシチューだよ」

「さすが雫、良いお嫁さんになるね」

「ーー貰ってくれる?……なんて、ふふ冗談だよ、早く食べよ」

 欲張りすぎて少し後悔した、夏の初め。




「ただいま〜みーちゃん」

「おかえり〜雫! ん、どうした?」

 私の顔を見て、不思議そうにしている。

「いつもと逆だなと思って。っていうか、みーちゃんの家なのに、ただいまでいいのかな?」

「ん、私は嬉しいよ」

「そか、だったらいいね。これ、お土産ね」


 夏休みを利用して、実家に帰省していた。

 ふふ、やっぱりいつもと逆だ。お土産を選ぶのも楽しかったな。みーちゃん何が欲しいかな、喜んでくれるかなって顔を思い浮かべ、反応を予想しながら買っていた。いつも、みーちゃんもこんな風にお土産を買ってくれてるのかな。


「ありがとう。これ何? タレ?」

 いろんなお菓子の他に地元でしか売っていない調味料を買ってきたのだ。

「これ使うと何でも美味しくなる魔法のタレだよ」

「そうなの? さらに雫のご飯が美味しくなったら食べ過ぎで太っちゃうなぁ」

「大丈夫、太っても好きだから」

「そう言いながらお腹触るのやめてくれる?」

「だって、気持ちい--」

 怒っているような呆れているような複雑な顔で--この顔も好き--口を塞がれた。もちろんキスで。


 唇が離れた時には切ない表情に変わっていて。

「いつも寂しい思いさせてたんだね」と言った。

 いつもと逆で、私がいなくて寂しく思ってくれてたの?

「--大好き」

 キスを返しながら、思いを伝えた盛夏。




「花火大会だって」

 ながら見していたテレビで特集をしていた。

「綺麗だね」

「雫、行きたい?」

「ん? そうでもないかな。人混み苦手だし、渋滞もするだろうし、行かなくてもいいよ、それよりお家で体を休めようよ、みーちゃん仕事ばっかりで全然休めてないでしょ」


 本当は行きたいよ、みーちゃんと二人で見る花火なんて感動するに決まってる。でも、久しぶりの休日に私が行きたいって言ったら無理をしてでも連れてってくれるから。この夏少し痩せた、みーちゃんの体の方が心配だよ。ゆっくり休んで欲しい。


「私は行きたいな。結局ゴールデンウィークもこの夏も、どこにも連れてってあげられなかったし、雫と二人の思い出が欲しい」

「思い出?」

「二人ともおばあちゃんになった時にね、縁側でお茶飲みながら、あの時の見た花火綺麗だったね〜なんて話すの、良くない?」

「凄い想像力……」

 それにしても縁側って? 地元の方にはまだそういう家もあるけど。おばあちゃんになるまで残っているだろうか。

 いや、それより。そんな先まで二人で一緒にいるって想像してくれてることが嬉しくて。

「連れてって」本音が溢れた。


 よし! と気合を入れたみーちゃんは、早速パソコンに向かって調べ始めた。

「今夜開催される花火大会は、っと」

 隣に座って一緒に覗き込む。

「ここ、どう? 海だし。この距離なら車で行けば間に合うんじゃない?」

「みーちゃん、ナビだと2時間以上かかるって」

「うそ、なんで?」

「渋滞だからでしょ、みんな同じ事考えるんだよ」

「ん〜」

「今日じゃなくても良いよ」

「でも、次いつ休めるか--あぁ夏が終わっちゃうよぉ」

 みーちゃんは、盛大に嘆いている。

 残念だけど、こうやって私のために一喜一憂してくれることが、すでに良い思い出だよ。花火は来年の夏でもいいじゃない? 

 そんなふうに思っていたら。


「あ、ちょっと待ってて」

 と、みーちゃんは何処かへ行ってしまった。

 みーちゃんが出て行ってしまったので、一人でボーっとしていた。時間にしたら十五分くらいだったけれど、少し不安になっていた。


「しずくぅ」

 そんな私の不安を吹き飛ばす、元気な声が玄関から聞こえてきた。

「行くよ」

 という言葉と一緒に渡されたのは、ヘルメットだった。

「みーちゃん?」

 詳しい事を聞けないまま、バタバタと準備をして連れてこられた駐車場で見たものは、バイクだった。

「借りて来ちゃった。これなら間に合うでしょ」

 と、ドヤ顔だ。


「みーちゃん、バイク--」

「あ、怖い? 安全運転で行くから、しっかり掴まってれば大丈夫だよ」

 私が驚いた顔を見てそんなことを言う。

「ううん、大丈夫。みーちゃんがバイク乗るって知らなくて驚いただけ」

 正確には、カッコ良すぎて言葉が出なかっただけ。バイクも、みーちゃんもね!

 宣言どおり安全に運転してくれたので、走っている時も不安は全くなかった。風を切る感覚と流れる景色とエンジンの振動と、何よりも、腰に回した腕に感じる愛しい人の体温をきっと私は忘れないーーいつか縁側で伝えるその日まで。


 心まで震わせるような大きな音と眩い光の輪を二人で眺めてた。

「雫、私にとっては雫が一番大事だから。何があっても何処にいてもいつも想ってる」

 恥ずかしいからか、空を見上げながら思いを伝えてくれた。


 ごめん来週からまた日本を離れるけど、連絡するからね。と付け加えて。

「何があっても?」

「そう、雨が降っても槍が降ってもーーって、えっ?」

 パラパラと本当に雨が降ってきた。

 すぐに止むかと思いきや、だんだん本降りになってきてしばらく降り続きそう。

「雫、帰るよ。これ着て」

「え、みーちゃんは?」

「いいから」

 みーちゃんの上着を着せられて、バイクに跨がった。


「いやぁ大変だったね、まさか本当に雨が降ってくるとは……ははっ」

 家に帰り着いて、お風呂で温まった後だから笑い話だけど。

「みーちゃん、寒くなかったの?」

「大丈夫だよ。それよりごめんね、車だったらあんなに濡れなくて済んだのに」

 天気予報も見なきゃいけなかったなぁ、うん今度はちゃんと見よう。と反省しきりだ。

「みーちゃん、連れてってくれてありがと。嬉しかったよ、最高の夏の思い出になったよ」

 ちゃんと目を見てお礼を言ったら、一瞬で顔を赤くしながら、良かったぁと笑った。

 そして窓の外へ視線を移動させた。

「夏が終わる音がするね」

 遠くで雷鳴が聞こえていた。



※※※


 ねぇ、どうして?

 私の事、大事だって言ってたよね。

 あの日--告白した日--勝手にいなくならないって約束したのに。


 みーちゃんは姿を消した。

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