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第46話『あきばはら』


 鬼島紀子は、車と車の間を縫う様にバイクを走らせた。嫌な予感に胸が焦げる様だ。

 都会の夜は明るい。数多の光が地上を照らし、空まで白く浮かび上がらせる。だが、紀子が急ぐその先は、ぽっかりと地上からの照り返しが消えたか、闇色に染まってる。

 秋葉原だ。

 またも秋葉原で、停電が起きている。


<『助けてのりちゃん助けてぇーっ!!(ブツッ ツーツーツー……)』>


 あの一瞬、紀子はまなみを漠然とだが感じていた。その声の発した方向を。何故だか判らないが、そんな気がしていた。

 そして、その向かう先に、闇に落ちた秋葉原の街がある。


 あそこに居る筈だ! あの秋葉原に!

 だが、二度の現場に残された血だまりが、犠牲者の死を物語っている。だけど、あの電話に出た時は、生きていたんだ。

 まだ紀子の中では、まなみの死は確定では無い。そんな事があってたまるものか!


「ちいっ!」


 前を行く車のブレーキランプが点灯する。赤信号だ!


「ええい!」


 最早、人の目を気にしている余裕は無い!


 紀子は、勢い、バイクを浮遊させた。走るスピードのままに。


「無事でいてくれよおっ!!」


 目の前を、数台の車が横ぎる。その真上を、カラカラと車輪を空転させたCB400が飛ぶ。否。正確には、紀子とバイクは落下していた。その落下の方向が、地球では無いというだけの事だ。

 結晶使いの紀子は、地球の重力と違うベクトルに重力を発生させ、落下しているのだ。

 巧みに闇に浮かんだ電線を避け、ビルより高く落ちて行く紀子。

 たちまち、視界いっぱいに明かりの落ちた、闇一色に染まった秋葉原の街が広がった。



 ◇



「うむ……やはり馬鹿なのか……」


 人形は、必至に人間の少女を庇いだてする獣人の娘を見下ろし、そう呟いた。

 昨日かかったアベック等は、すぐに自分だけは助けてくれと男が女を突き飛ばしたものだ。ああいうのは絶望に堕ちるのも早い。

 心が弱いのだ。

 忌々しい事に、馬鹿が一番面倒臭い。更には、滅び去る獣人界を脱出してここまで来た連中だ。生き意地が汚いのは目に見えている。


「馬鹿とは何にゃ!? 馬鹿って言う方が馬鹿なのにゃ! やーい、馬鹿ー!!」

「ふ……ならば、先ずは……」


 先ずは獣人の娘を普通に殺す。その上で、人間の少女を絶望に堕とす。あれだけ庇ってくれた相手が目の前で無惨に死ぬ。その喪失が、最後の一押しになろう。

 二人の魂が手に入らないのは惜しい。が、事ここに至ってはそれこそあと一押しなのだ。


「さっさと私らを解放するにゃ!! さもないと酷い目に逢わすにゃ!!」

「呪い殺すか」


 人を害する術は数多あれど、呪詛は多少時間がかかる。だが、目の前で腐れ崩れて行く友人の姿は、さぞもう一人の絶望を深めるだろう。

 人形は、実に悦の入った笑みを。


「人の話を聞いてるにゃ!!? もしもーし!!? もしもーし!!」

「素晴らしい」


 最早、二人の声など何の意味も為さぬ。要はどう処理するか、だ。豚がぶーぶー鳴いたところで、屠殺人が手を止めるだろうか? いや、止めないだろう。

 精巧な作りの指が、滑らかに動き、ゆっくりとだが楽しむ様に呪印を結んでいく。

 すると。


「何が素晴らしいのだ? 随分と手間取る様ではないか?」


 するとどうだ。また別の野太い声が響くではないか。

 人形はピタリ。動きを止め、更に醜く顔を歪めた。


「何をしに来た?」

「なあに。得意げに語るに、さぞや見事なものであろうと、な?」


 すると、その声の主が、人形の傍にと姿を現すではないか。まるで霞か雲が湧いて出るが如く、もやっとした途端にくっきりと。

 古の武人然とした、漆黒の鎧に全身を包んだ巨漢が。


「ふぎゃー!!? また変なのが出たにゃ!!」

「ひいっ!?」


 驚き、怯えるミャオとまなみを眼前に、その巨漢の武人は漆黒の面頬の下、くぐもった笑いを漏らす。さもあざけり笑うが如くに。全身より、めらめらと黒い炎を放ち。

 魔将、地獄龍だ。


「ふふふふふ……女子供相手に、何をするかと思えば、脅し、怯えさせ、次には殺すとな? ああ、誠、人とは滑稽な生き物だ。何百何千年を経ても、何も変わってはおらぬ様だ。四の五の言わず、喰らえば良いものを」

「は! 何も判っておらぬ者が、余計な口を挟むで無いわ! 絶望し! この世を呪う魂が! 過去、数百年に渡り蓄積された、憤怒の情を呼び覚ますのよ! 見よ!!」


 人形が、タンと脚を踏み鳴らすや、座敷の床が二つに裂けてまあるく広がり、ミャオやまなみの足元までもぽっかりと開く大穴へと変化する。その大きさや、狭い奥座敷など等に越え、野球場の内野がすっぽり収まる程に。

 そして、その底の知れぬ穴の縁に、何やら無数の白いモノが。


「な、何コレ?」

「人形にゃ……」


 転げ落ちそうになるのを必死で堪え、まなみは震える手で指さすそれは、まさしくおびただしい数の人形の群。どれもこれも、生々しい苦悶の表情で虚空を掻きむしる様な。

 そして聞えて来る。

 人形たちの呻きが。


 苦しい。

 何故私だけが?

 どうして?

 酷い。

 こんなの嫌だ。

 嫌だ。

 嫌だ嫌だ嫌だ。


 そんな人形たちの小さな合唱が、うめき声となって足元から吹き上がって来る。だが、それだけでは無い。もっと奥深い地の底からも、何やら得体の知れぬ濃密な気配がひしひしとこみ上げて来る様でただただ不気味だった。

 その怯えを、魔法少女の人形はさも嬉しそうに笑う。


「はーっはっはっは!! お前も人形になるのだ! この世を呪う、人形にな!」

「嫌!」

「嫌にゃ!!」


 二人は、後ずさりながらも穴の縁に埋め込まれた、大量の人形を見つめた。


「じゃあ、この中にあまねさんも!?」

「ふにゃ!? そ、そうにゃのか!!?」

「ふん。こんな雑霊を集めたところで何になろう? くだらん」


 地獄龍の双眸が赤く光り、地の底までも見通そうというのか、縁の人形を踏み砕きながら、数歩、まるで重力を無視した歩みで穴へと踏み入った。


「ああ~。余り舞台装置を壊さないでいただきたいものですな」

「なる程、地の底に蠢く輩は数は多いが、人格も何も残らず溶け崩れた、たかが地縛霊ではないか?」

「左様で。だが、忘れてはいけないのが、それらのほぼ全てがこの地で処刑された凶状持ちの魂。この世を恨み、成仏する事を拒み、己の怨念に捉われこの忘れ去られた地『あきばはら』に吹きだまったクズの山。私はね。この怠惰な眠れる魂たちに、もう一度思い出させてやるだけなんですよ。自分たちが、何故に死なねばならなかったかとね」


 人形の話をつまらなそうに聞いていた地獄龍は、踵を返し地上へと戻る。


「何が面白いか、俺には判らん。が、確かに死霊の群れる地では、まれにおかしな事も起こるものだ」

「あのお方も、それをお望みで」

「はっ。邪魔をしたな。精々励むが良いさ」

「あと少しなんですよ。餌に食いつく迄」


 ゲスい人形の笑いを一瞥し、地獄龍の姿が霧と化して消えた。


 確かに気付いている様だ。地下に眠る死霊の融け崩れた集合体は。地上で呻く無数の魂の怨念に。思考を操られ、世界を、現実を拒む様に狂わされた人々の想いに。


「さて、邪魔者は消えた」


 世界で大ヒット中の魔法少女まんちゃん色違いプレミア人形は、ぎょろりと飢えたサメの様な目線を、改めて二人へと注ぎ込む。


「お前らも人形にしてやろう」


 二人は、再び店の奥座敷へと戻っていた。彼女らを取り囲む、死人の群の中へと。



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