何事にもブレなさそうな、女の飄々とした態度に、紀子は少しでも変容を見出そうと語気を荒げ、僅かばかりに詰め寄った。
「どうなんだよ!?」
「ふ……」
マッハと呼ばれたその女は、それをやんわりと受け止め、僅かに微笑む。
顔を歪む紀子を斜に、白銀の瞳を泳がせ、傍らに心配気に佇むいずみを見やり、再び紀子へとその目線を戻す。その中に、紀子は超然とした隔絶を見出した。
「何がおかしい!?」
「それを決めるのは、私たちでは無い」
マッハが見ているのは自分たちであり、自分たちではない。その目線は遠く突き抜けて遥か彼方を見つめている。そんな感覚に吠えた紀子を、そっといずみが袖を引いて制す。
そのままぎろりとねめつける紀子に、いずみは小さく首を左右に振り、少しだけ前へ出た。
「おかしな事になっています。私たちは、この街を守りたい。貴方がたはこの街に居て、何も感じないのですか?」
「世界とは……」
マッハは反射的に言い返しかけて、一度口をつむぐ。
それから僅かに逡巡し、深いため息をついた。
「世界とは常に広がり続ける可能性の一つに過ぎない。無数に連なる世界、それを我々は世界樹と呼ぶが、その枝葉が幾ら枯れ落ちようが、それはその運命でしかないのよ。だから、貴方たちのこの世界が自ら滅びようとそれは仕方の無い事。私たちは、滅びの因子が枝から枝へと、葉から葉へと渡り歩き、滅びを伝染させぬ様、見張ってはいるわ。でも、それは必ずしも干渉するという訳では無い。お分かり?」
まるで教科書を読み上げている様だ。いずみと紀子は、感情の乗らないその言葉にそう感じた。恐らくは彼女らの上位の存在にそう命じられているのだろう。自分たちが支部長にああしろこうしろと命じられて、しぶしぶ任務をこなす様に。時には気の乗らない任務もあるだろう。
だが、それがどうした!?
紀子はマッハの胸へぐいっと拳を突き出す。
その不思議な淡い薄布越し、僅かでもその熱意を感じ取るかの様に。自分の熱意が少しでも伝わる様に。
「例えそうだとしても、あんたは何も感じないのかよ!? あんた自身は!?」
「──私?」
冷たい肌だ。
北海道に住む人は、その気候に身体が順応し、真冬でもこちらでは暑い暑いと薄着になるという。もしかしたら、目の前のこの女もそうなのかもと、ふと紀子の脳裏を過った。
その拳を、冷たい手が包む様に引き離す。
「よして貰おう」
相変わらずクールな瞳。その白銀の輝きが静かに伏せられた。
「我らは御心のままに、だ。失礼する」
話はこれでお終いだとばかりに、今度こそ踵を返し、人ごみの中へと消えて行く。
その姿を、二人は見送る事しか出来ない。
揺るがぬ信念。彼女からはその様なものを感じずには居られなかった。
紀子もいずみも秋葉原とは関係の無い外から来た人間だ。それでも、自分たちにしか出来ない事だから、この街に起こる怪異に立ち向かおうとしている。だのに、あの女はそれが判っていながら見て見ぬ振りをしようというのか。その境地が理解出来ない紀子であった。
「何なんだよ。何でも全部、自分の為じゃねえのかよ?」
全てが誰かの為、という。
己の全てを捧げて、何が嬉しいのか? 何が楽しいのか?
だが、いずみは違った。
宮司の娘という環境に生まれ育ち、日々、神々に手を合わせ、祈り心を通わせる事を当たり前と過ごして来たのだ。彼女の生活には、常に神々の存在が息づいていた。
「紀子さん。私、何だか判る様な気がする。大いなる神々にお仕えするって感覚。私たちの八百万の神々は、あれしろこれしろと直接言って来る事なんてほとんど無いけれど、もしかしたら、あの人はもっと明確に指示が出されているのかも知れないわ」
「何だよ、それ?」
「神様」
たかだか十九年だが、生きて来てあまり神様といった存在を意識した事の無い紀子であった。子供の頃、お祭りの時に近所の境内に遊びに行ったくらい? 石に宿る意思の様なものは感じる事が出来るのだが、山や川、風、雨、それらに何かを感じるかというと、ちょっとピンと来ない。
それが、術者としての適性でもあるかと想ったものだが。
「神様か~」
「あの人の口ぶりだと、あの人がお仕えしてる神様は、もしかしたら幾つもの世界を管理しているのかも。だから、個人の考えて動く事は出来ない……って事かな?」
そう言っていずみは、紀子の前に回り込む様に覗き込む。何か嬉しそうに目をくりくりさせて。
そんないずみに、口をへの字に紀子は空を仰ぎ見た。
「あたしにゃわかんね~」
「その内、判る時が来るんじゃないかしら?」
「そんなもんかね?」
店の前から見上げる空は、教会の高い鐘楼とに挟まれ至極窮屈に感じられた。
灰色とタイルに覆われたコンクリートジャングル。雨風の涙がもの悲しく彩る世界。
一寸先は闇と化す、秋葉原に明日はあるのか?