何が起きているのか判らなかった。
カチリと切り替わる様、不意に三人の周囲が街の気配を取り戻す。
雑多な人の気配が、甦って来たのだ。
「こ、これって……」
戸惑ういずみは、紀子の左腕の袖を引っ張る様に近付き、不安げに周囲を見渡した。
人通りが元の秋葉原のものに見える。
だが、しかし、ここは本当に自分たちの知っている秋葉原なのだろうか? その確証は無かった。
「お店デンワするネ」
「任せたぜ」
ボビーも周囲を見渡しながら、取り出したスマフォを耳に押し付けていると、どうやら無事に店が出たらしく報告を始めた。そんな様を背中で感じながら、紀子もまた何か違和感が無いかと周囲を確認しつつ、ガラケーのアンテナが三本立っているのをちら見する。
アレは一体何だったのだろう?
アレの長いコートの下に、確かに四脚の金属の脚が見えた。ロボット? ロボットの様な単調な動きではあったが、どこか素人くさいブレがあった様にも思える。思考の迷いの様な、咄嗟のにぶさ。それでいて、殺意が感じられた。
思いつき、紀子は足早に路地の一画に向う。そこにある電信柱を見やった。
そこには、確かに一昨日紀子が残したタイヤ痕が。ここは間違いなく、自分たちの居た秋葉原に違いない。その確証を得た。
「待って! 紀子さん、待って下さい!」
慌てて追って来たいずみに、紀子はその確証を示した。
「一旦、店に帰ろう。この手の面倒ごとは、多分鏡の野郎の領分だ。あんにゃろめに、聞いた方が絶対ぇ~早いぜ」
◇
「何故、この様な事をしている?」
幽鬼の如くおぼろより生じた妖魔将、地獄龍はその巨漢故にその小部屋がますます狭苦しく感じられる程の圧を放ちながら、その女に問いかけた。その響きには、真に理解出来ないとばかりの戸惑いが滲む。
それを女は、コロコロと笑い、座る丸椅子をくる~りと回転させて向き直った。
PCのモニター画面からの照り返しに、白い肌が極彩色に染まり。淡い真珠の如き和装がまたも映える。
「面白いではないか? 我らと人、元来相容れぬ存在が、かようなからくり越しに言葉を交わす。平然とな」
カチャリ。外したヘッドセットを放送機材の上へ無造作に放り、悠然とした笑みを浮かべる。妖魔将の触れれば乙女の柔肌など張り裂けんばかりの妖力もそよ風の如しと。
「千年の昔ではあり得なんだ事よ。ほほほほ」
「我は何故に、と尋ねておる!」
「ふふふ。熱気を抑えよ。人の作ったからくりは、壊れ易い」
「ぐぐぐ……」
黒い鎧の節々から溢れ出んばかりの妖火が、しおしおと。
「ふふふ。良い子じゃ。ここの機材は、皆で使うものでな。我の自由にする事は出来ぬのじゃ。壊れれば、新しい物をと入れるにも、億の金と時間がかかる。それは勿体ないというもの。金は大事じゃぞ」
「答えになっておらぬわ!」
「お方様にその物言い、不敬であるぞ!」
「だまれい、腰ぎんちゃくめ!」
その威に、機材の間に立つ魔法少女人形がころりとこけた。
そんな様に動じる事無く、女は小さな掌をひらひらと泳がせ、人形を一瞥する事無く上々の笑みを浮かべる。
「戯れは大事じゃぞ。主の様な闘っておれば良い、等と単純なものでは無くの。我らは永遠を生きるのじゃ。全てに飽きて、生きる事すら飽いてしまい、土くれや石の如くに変じてしまうものの実に多き事よ。主の探しておるあるじとやらも、もしかしたら、生きるのに飽いてしもうたやも知れぬのだぞ?」
「ぐぬぬ……その様な事は、断じて……断じて!」
「ほほほほほ! そうであると良いの? 幸いな事に、現世はそうそう飽きる事の無い程に、雑多なものに溢れておるわ。この数十年でこれじゃ。この先、どうなる事やら……」
そう告げて、やんわりと立ち上がると、しずしずと壁へと向う。
「どちらまで?」
魔法少女人形が恭しく問いかける。
「そうよの。佃島のタワマンでゆっくり漫画の続きを描くとするかの? 締め切りまで、まだ魔があるからに。ネームの打ち合わせもせねばならぬ。新作の原型もそろそろ乾いた頃であろうし、ああ、忙しい忙しい。売れっ子は困ったものよのう、ほほほほほ」
そう口元を隠して笑う女の前に、忽然と間口が開く。
殺風景な大学の放送用の小部屋とは対照的に、その向こうは大口の窓から陽光が燦々と降り注ぎ、部屋の両面には美少女フィギュアが満載のガラスケースがびっしりと立ち並ぶ、十二畳程の広さがある超美少女現役女子大生漫画家、魔女まんじ先生の仕事場だ。
そこへ女の姿が入ると、それに続き人形も。
だが、地獄龍はそれに続かず、再びおぼろと化して消えていく。
やがて、放送用の小部屋で壁の一部がちりりと焼けたが、その火は余りに小さく、騒ぎになる事も無く、表の扉、その上に設置された赤い『放送中』のランプが、フッとかき消えた。
次に扉の内鍵が、カチリと勝手に開いて……