宵闇が不意に消えた。電灯の光が、秋葉原の街を再び照らし出したのだ。青白い街並みが悠然とそびえ立ち、各家に置かれた非常用電源が再び消耗した電気を補充し始める。信号が灯り、再び街に秩序が訪れた。
「げほっ、げほっ、げほっ! ひ、酷い目に遭ったぜ!」
「こらこら。助けてやったんだろうが~」
体から引き抜いた鏡をアスファルトに転がすと、栗林はその巨体を震わせ、腹をぼんぼんと叩いては慈愛に満ちた微笑みを浮かべるのだが、当の鏡はどこ吹く風だ。
それを、やれやれとボビーも苦笑しつつ、電柱を背に周囲への警戒を怠らない。本当にアレが引いたかどうか、まだ分からないのだ。無数の精霊たちも、ボビーを中心に円陣を組んで警戒をしていた。
「参っタね。フィギュアで動かれル、生気モ妖気モサーチ出来ナイ」
「そ、それどころか隠形の術まで使いやがる。支部長! 退魔庁のデータベースにそれらしい術者は居ねえの!?」
「う~ん……西洋の魔女なら、自分の魂を封じて無敵になる、なんて術があるらしいけどねえ~。ちょっと違うかなあ~」
やがて立ち上がる鏡。ポンポンと衣類の埃を落しながら。
「違うね。あれは陰陽術を使った。多分、日本の術者だよ。道教とも違うし」
「何だよ。随分な魔法少女だなあ」
「あれはおっさん。中身は、相当高齢の……う~ん……」
「高齢の術者ねぇ~……そんな奴が、ここで何を……」
「しまった!」
いきなり栗林との会話を中断した鏡は、一目散に走り出す。それを追って、栗林とボビーも夜の秋葉原を走りに走る。
やがて、三人は裏路地の一画に辿り着く。
「はあはあはあ……こ、ここだ……きっとここだ……」
肩で息する鏡は、てらてらと濡れたアスファルトを凝視し、やがて目の前のビルを見上げた。
「血……ネ……」
数匹の精霊が、くんくんと鼻を鳴らしながら、その血だまりを調べている。
「ん? 何ノ匂い?」
種族によってその嗅覚は様々。何匹かは、何やら美味しそうな匂いを感じ取っていた。
「食べ物屋? この辺りニハ無いネ」
「多分、ここだ。ここにどこか別の場所とを繋げて、人を誘い込んだ?」
鏡は、そこに空間を操作した痕跡を読み取るのだが、それがどこと繋がっていたかまでは分からない。時がいささか経ち過ぎていた。接続が切れたばかりならば、その先を辿る事が可能だったかも知れない。
「それで俺が邪魔だった……?」
いつ気付かれた? 俺の存在に。
思い当たるのは、紀子をからかう為に街中で術を使った事。先の現場で。そこに奴が潜み、様子を見ていたのなら、その後、こっちが身バレして狙われたり色々あるのは、全部俺の性……
よし。栗林には言わないでおこう。
色々面倒な事になりそうだと、後ろで様子を見ている栗林を背に、鏡は心を決めた。
「敵は街を停電させ、監視カメラとかその手のを潰した上で、人を引き込んで殺している様だ。血を警察の鑑識に回してくれ。多分、人間のものだろう。恐らく、敵は下級の妖魔を使ってる。その上で、何を狙っているのか。支部長、何か判るか?」
「うん。判らん!」
「はい、ありがとうございマース」
にこぽんと、緊張感の無いボビーの合いの手。
鼻息粗く、栗林は大いに頷いた。
「お前はどう思う? 鏡」
「え~、俺? 頭脳労働は、支部長の仕事でしょ?」
「馬鹿を言え。俺の頭脳は脂肪で出来ているんだ。そんな事を言うなら脂か甘いものをよこせ。はーっはっはっはっは」
「自慢になんねーよ」
腹を張っていばる栗林に、そう悪態をついたものの、鏡も鏡なりに考えを巡らせる。
「要は獲物を引き込んで殺してる訳だ。儀式か?」
「何の為の?」
「ここは首塚からも離れてるしなあ~……とりま、念の為に首塚もチェックを依頼してくれよ。まぁ、あそこはあっちの支部の要重点監視対象だから、あっちが全滅してた~なんて事でも無い限りは……」
「ん~……ココは昔の刑場跡だヨネ?」
「へ? そうなの?」
のほほ~んとする栗林に、鏡はちょっと呆れてしまう。
「あんた、支部長なんだろ?」
「う~ん。支部長なんて持ち回りだし、ここは神田明神様があるんで霊障なんて起きないしで、大概平和だったじゃ~ん。で、何でボビーがそんな事を知ってんの?」
「ウン。それはイー質問だネ」
フッと笑みを漏らし、顎を撫でる様に手を置き、どこか遠い目をするボビー。
「実ハ……」
「実は?」
謎の多い男、ボビー。そのもこもこアフロヘアーの中がどうなってるのか、あんなに多くの精霊をどうやって使役してるのか、あまつさえ身体の中に保持してひょうひょうとしているのだ。まさか、実は、そんな、まだ誰も知らない秘密が!?
「実は、のりちゃんから聞いたネ。あの子、時代劇大好キ。三尺高い木の上ー! とか言っテ、ココ来た時、めちゃコーフンしてたんだヨ」
「「な、なんじゃそりゃあー!!?」」
あっけらかんと答えるボビーに、二人はちょっとずっこけた。
ちなみに、三尺高い木の上、とは刑場で使われた貼り付け台の事で、十字に組まれた白木のそれに罪人を貼り付けにし、両脇の下から槍でぐっさりと刺し殺すものだ。そして、その遺体は暫くの間、晒し物として放置されたとか。