初めに異変を察知したのは、ボビーが四方とその上空に配置した精霊たちであった。
秋葉原の一区画に、唐突に闇が出現したのだ。
正確に言えば、停電である。
「始マタかも」
「何ぃっ!?」
「え~?」
もっと~♪ 秋葉原店に詰めていた三人のおっさんたちは、瞑想するボビーがぼそりと告げると、驚くべき速さで跳ね起きた栗林、如何にも面倒臭そうに身を捩る鏡と正に三者三様。
「鏡!」
「はいよ~」
支部長でもある栗林の檄に、緊張感も無く応える鏡はぶつぶつと文言を唱え、指で印を結ぶ。
すわっと広がる感知領域。妖気を感知するやその方向を指さした。
「あ~、あっち」
「よし、行くぞ!」
「ヘイヨ~」
正にゴムまりの如く飛び出す栗林。それにボビーも風の様に動くのだが、鏡は一人首を傾げながら立ち上がる。
そもさん、妖気が弱いのだ。
その事を口にするかどうか、一瞬の戸惑い。
あの迷宮で遭遇した妖魔将の様な凄まじさは、そこには無かった。
「おっかしぃ~なぁ~」
また何かの罠なんじゃ……そんな警戒感が珍しくむくりと頭をもたげるのだが、このままでは一人にされてしまう。はっと我に返った鏡は、するり。サーバールームから、忽然と姿を消した。
次には、鏡の姿は四つ辻にあった。
「あ~、こっちこっち」
そう言って、店から飛び出した二人に手を振り、次の曲がり角へと誘導を開始する鏡。二人の気付いた様子に、またも忽然と姿を消した。縮地の法にて次の四つ角へと移動するのだ。今度は少し遠い。
二人の吐く息が白いなぁ~と、のんびり眺めながら一人待つ。
「お? こけた」
すると、唐突に栗林の巨体が、まるで何かに弾かれたかの様に、後ろに倒れるのが見えた。滑って転んだという感じでは無い。
続くボビーは、栗林の後ろで立ち止まり、何かを叫びながらこっちに手を振っている。
何かがおかしい。
そう感じた時、背後から声をかけられた。
「また、のこのこと一人で。どうもお前は緊張感に欠けてる様だな」
渋い男の声だ。だが、あの妖魔のでは無い。
「だ、誰だ!?」
近くに妖気は感じない。妖魔の類では無い様だ。という事は……
鏡は上を見た。正しくは、電柱や建物の屋根の上を。声のした方向を。
声の主は、まさしくそこに居た。小さな人の姿。そのシルエットから、あの魔法少女のそれであると容易に推測された。と同時に、数枚の紙片が宙を舞う。それらは見る間に膨れ上がり、例の小鬼の様な姿に変じて地上へと降り立った。
「え~!? おっさん!!?」
ショックだった。そのあどけない美少女フィギュアから響いたのは、おっさんの声だったのだ。とんだ変態野郎が居たものだ。正に夢も希望も無い話だ。
鏡は全身の力という力がしゅうしゅうと抜け落ちていく感覚に、最早立っている気力も無くなり、その場にへたり込んでしまう。周囲を、小鬼の式神に囲まれてしまっているにも関わらずに。
「何と、腑抜けな。昼間と言い、貴様には術師としての気概も無い様だな。ならば、ここで果てるが良い。それ!」
男の一令に、ぱたたと軽い足音がアスファルトを叩き、一斉に小鬼が鏡へと襲い掛かった。
「ふ……女の尻に隠れるだけの無能が」
嘲弄する響き。
鏡はあまりにも呆気なく式神に全身を覆われて、断末魔の悲鳴すら聞えては来ない。
昼間、あれだけ手こずって抹殺を失敗したのが嘘のようだ。
「ふふ……今宵は上首尾。これであのお方への面目も立つというもの。ん?」
団子の様に覆いかぶさり、微動だにしない式神たち。次には、その身体が、真っ二つに散った。
「何!?」
「そのあのお方って奴は誰か、聞かせてくんない?」
魔法少女が慌てて声のした方へと向くと、電柱の上に起立する鏡の姿があった。
「あとさ、変態野郎に無能呼ばわりされる覚え、ねーんだわ。それとその入れ物、回収させて貰うぜ」
「ふむ。多少は出来る様だ、なっ!」
距離を取る。と同時に、その身がブレて幾重にも別れて見えた。
「いくぜ、三十万!!!」
「ぬるい奴!」
「うおおおおお!!! 断固破壊拳んんんっ!!!」
バリーン!!!
まるでバリアが割れた昭和のアニメみたいに、栗林の突き出した両腕から放射状のヒビが空間に生じ、道の両側にある電柱から四か所、ボッと青白い炎が燃えた。
ぽたり、ぽたぽたと鮮血が滴り、がくりと膝を着く栗林に目も留めず、ボビーが黒豹の如く紫のラメを残像に走り抜ける。
「カガーミ!!」
突き出した右腕より、無数の鳥が舞い上がり、鏡と魔法少女が占める空間に雪崩込む。
無数の閃きが交錯し、式神が、鳥の精霊が、ぼとぼとと落下する中、鏡の姿も中空を歩いた。
「そこだあ!!」
「ざ~んねん、ハズレだ」
「うおっ!?」
空間の歪に捉えたかに思えた相手は残像。隠形より姿を見せた魔法少女は鋭い蹴りを、鏡の後頭部にこれでもかと叩き込む。
魔法少女が蹴り!? 一瞬、意識を持って行かれた鏡は、走馬灯の様にあらゆる昭和のアニメから何からが走り抜け、ここ数十年はそんなのばっかりだったなと改めて思った。
真っ逆さま、アスファルトに叩き付けられるかに見えた鏡の肉体は、ぼすんと何やら柔らかいものに突っ込んで止まる。
「ぐはあっ」
メリメリと何かの裂ける音。
逆さまに突き立った鏡の脚が、滑り込んだ栗林の肉体に異様なまでにめり込んで生えていた。裂ける音は、栗林の衣類が裂けた音だ。
「ふう~、危機一髪だねぇ~鏡~」
「ぶぼっ」
「ほっほっほっほ。何を言ってるか、判んねぇなぁ~」
腹をゆすって笑う栗林に、鏡の脚もぶ~らぶら。だがその瞳は、中空にある複数の美少女フィギュアの姿を冷徹に見つめていた。
そしてボビーもまた、複数の目でどれが本物かと見据えている。
だが、生物でないそれは、精霊の目をもってしても、その実体を捉える事が出来ないでいた。
やがて、魔法少女はその姿を霞の様に消してしまう。
「ふっふっふ……今宵は挨拶までと致しましょうか」
そんな不敵な捨て台詞を残して。