「まぁ確かに……」
紀子の魔術は陰陽道で言うところの金気。土生金であり火克金である。つまりはこの炎を纏う地獄龍とは相性最悪。それは頭で分かっている。
だが、この何百年何千年存在し続けているか分からぬ妖魔の剣技を前に、はいそれでは失礼しますと尻をまくって逃げ出せる程、紀子は老練してはいない。鏡を囮に、自分だけ助かるとか微塵も浮かばない。それよりもガキの時分より鍛えて来た技が、どれ程通用するのか、好奇心で弾けんばかりとなっていた。
上段の構えそのままに、額に浮かぶ汗を右手で拭い上げ、ウルフカットの頭髪をピンと跳ね上げる。
「さあ、いくぜ……」
「ぐふふふ……」
地獄龍もまた、そんな紀子を静かにねめつける。まるで、彼女の準備が出来るのを待つかの様に。
術師ならば、防護の術をまとう筈。人の肉体はもろくはかない。それは経験上、分かっていた。故に、数合で焼け崩れて貰っては興覚めというもの。
「精々、我が炎に耐えて見せよ」
「はん、小便ちびんなよ」
互いに含む様な笑いを吐露し、じりと歩を進める。燃え盛る炎が、炎熱の結界が紀子を包む。その中にあって、紀子は不敵な笑みを崩さない。
「ほう……やるではないか。だが、どこまで持つかな?」
よくよく見れば、炎の赤がてらてらと紀子の表面を舐めているかに見える。否。反射しているのだ。
紀子の体表を、水晶の膜が半ば融けかけながらも覆っていた。
「けっ、くそ熱ぃな。少しは抑えねぇと息切れすっぞ、くそ爺」
「ぬかせ!」
それが合図だった。
互いの脳天目掛け、振り降ろした剛剣は激しくかち合い、異様な響きで鼓膜を打った。
二人は前のめりに大地を斬る。
打ち落し。
剣と剣が交錯した折、剣威が劣る者が真っ二つになっていたろう。踏み込み、腕の伸び具合、そして膂力。それらが合わさり、互角となったか。
「ぬう」
「はん、木偶の棒かよ!」
上背の分、地獄龍が有利かと言うと、太刀の紀子は剣速がある。
二人は大地より剣を抜き去るや、そのままに切り上げた。その反動、大地の抵抗がためとなり、激しく打ち合った。
「うわわっ!?」
今度は体躯の軽い紀子が吹っ飛ばされた。が、ごろり数回転すると、即座に立ち上がる。表皮を水晶で強化している為、叩きつけられても被害は軽微だ。
「ぐははは、軽いのう~」
「ダ、ダイエット中なんでえ!」
「何だそれは?」
どうやら地獄龍は現世の事にうといらしい。
「そら! こちらから行くぞ!」
そんな事はお構いなし、地獄龍が大剣を一振りすれば、足元より燃え盛る溶岩弾が弾け飛ぶ。
「そらそら! 踊れ踊れぇ!」
「ゴルフじゃねえんだぞ!! 多芸だなあ、おいっ!!」
「あ~っはっはっは!!」
次々と飛来する溶岩弾を避け、水晶の苦無を生み出し、お返しとばかりに打ち込むが、それらは地獄龍の鎧に当たり、弾け、大して効いた風には思えない。
(やはり、接近戦で切り込むしか無ぇか!)
恐怖は無い。むしろ全力を絞り出せる喜悦が紀子を支配していた。
「いくぜ、いくぜぇ!!」
「来るかぁっ!!」
素早く脇構えに、刀身を己の身で隠す紀子。これを大上段に構え、迎え撃つ地獄龍。
懐に飛び込もうと、そうはさせまいと、裂帛の気合が交差し、寸で紀子は横に跳ぶ。地獄龍の剛剣に、どんと大地がえぐれ穿たれる。その衝撃にふわり浮き上がる脚を踏みしめ、紀子は剣を担いだ。
にやり。
「ちぇすとおおおおおおおおっ!!!」
ここぞと。紀子は溶岩に濡れた大地を蹴った。全体重を、背に担いだ剣に乗せ、剣を振り切るのでは無い。己自身を、剣威に乗せ。
「ぬおっ!?」
大剣を大地から引き抜く間も無い。
ガキンィィィィン!!!
砕ける音。
地獄龍は大剣から右手を離し、腰に佩く太刀を引き抜いていた。その太刀が、紀子の太刀と共に折れて砕けた。
「んっ!」
「ぬ!」
大剣が引き抜かれ、地獄龍の左腕がそれを振り上げるより速く、紀子はその腕に取り付き、手首の関節を決めにかかった。タイ捨流剣術の「取ったり」だ。が、決めにかかる体重移動を、地獄龍は素早い足さばきで殺しにかかる。ふわりその腰が下がり、投げが来ると察知した紀子は、自ら跳んでこれを逃れた。
転がり、跳ね上がる。疲労は感じられない。興奮が勝る。紀子は、新たな剣を己の手に生じさせ、青眼に構えた。
これに対し、地獄龍は大きく構えるのを止め、胸元で大剣の切っ先を立てた。振りを小さくし、素早い紀子の動きに応じようというのか。
「ぐふふふ……次は何をして楽しませてくれるか?」
「嫌だねぇ、爺さんは。十九の小娘に、マジまんじィ~?」
「おおさ。ひよこの羽ばたき等、そよ風の如しぞ。これを愛でるも、また一興」
「その割に、剣一本奪ったぜぇ~」
「
互いに少し慎重となるのが判る。
言葉遊びに興じ、無数の攻め口がまるで千日手の様に広がり、やがて己の身体に任せるに決めた。相手の気を受け、それに応ずるのみ。紙一重の命のやり取り。他に気にするも無く、互いの事だけが全てとなる。
「うわわわあっ!! 不味い!! 不味いよ、のりちゃん!!」
がく~!
「まだ居やがったのかよ!!? 勝手に行けって言ったろ!!?」
「この空間、もう長く持たないんだよ!!」
「くくく……安普請か。元より、その為の罠か」
悠然と周囲を見渡す地獄龍。確かに、大きな闇色の亀裂が、二人が入って来た空間より放射状に伸びている。
すうっとその熱量が下がると共に、地獄龍の構えが解かれた。
「行けい。興が削がれたわ」
「んだとぉっ!?」
「のりちゃん!」
「やかましいわ!!」
踏み込もうとする紀子に対し、地獄龍は構えを取る気配も無い。これには、突っかかる気も削がれる。
「くっ、くっそぉ~!」
「ふ……この街におれば、またまみえる事もあろうさ」
「絶対だな!!?」
「お前が生きておればな」
「ざけんな!! てめぇこそ、簡単にくたばんじゃねぇぞ!!」
「のりちゃん! の、のりちゃん!!」
鏡に腕を引かれ、後ずさる紀子。
そんな様を、嘲笑するかに地獄龍は高らかに笑い、振り向くとその空間が砕けたか、漆黒の闇がぽっかりと口を開けた。
「ではな」
「く……」
「行こう! こっちだ!」
大地が微細に揺れ出し、その揺れと共に世界が砕けていく。そんな光景を背に、二人は這う這うの体で外へと駆けていった。