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第7話『メイド喫茶ミルキィ・テイル』

 レースのカーテン越しの淡い光。

 幾つも並ぶ丸テーブル。

 逆さに載る優美なラインの椅子がまるで木立の様。

 その狭間に眠る獣娘が一匹。


 ふかふかの紅い絨毯に身を沈め、泣いたまま寝てしまったのだろう。その頬には涙の跡が。切り裂かれた衣装を抱き締め、紫の髪の猫娘は下着姿のまま、汚れた手足と尻尾を丸め、息も軽やかにすやすやと肩を揺らしていた。


 表には微かに昼の気配。薄暗い店内は、まだ開店準備の動きを見せていない。

 ここは喫茶『ミルキィ・テイル』。秋葉原のどこにでもある、ファンシーな獣耳と尻尾が売りのコスプレメイド喫茶である。

 それは表向きの話。


 光と影の揺らめきに、のそり。大きな白い虎が音も無く顔を覗かせた。

 ホワイトタイガー。

 どこの動物園から抜け出して来たのか。この辺りなら上野動物園が近い。もし、そんな話があればこの一帯は大騒ぎだろう。

 しかし、表の様子は普段のそれと変わらず、平凡な休日の午前中である。

 方や屋内では。

 紅い口を開き、虎はじっとその娘の様子を見つめている。

 そして、意を決したかに歩み寄った。

 鼻先で顔の辺りの臭いを嗅ぐが、その娘はまるで気付く様子も無く、その吐息やヒゲがくすぐったいのか、くすくす寝ぼけて笑みを漏らす。そして、虎が大きな紅い舌で顔をペロリペロリと舐めだしても、全く起きる様子も無くケラケラ笑いながらその顎を押しやってしまう。

 流石に虎も目をまん丸に剥き、改めて大きく口を開くと、頭を丸ごと噛み砕いてしまう勢いで。その口から飛び出したのは、虎の咆哮では無く人の言葉だった。


「こらっ! ミャオ!」

「うみゅぅ~……すぴ~……」


 幸せそうにごろんと寝返りを打つミャオと呼ばれた娘。

 これには呆れたか、虎も肩を落としてその場にうずくまった。その次には、白く細い指がミャオの鼻をくいっとつまむ。


「みゅ……ん……んんん……」

「お~い、起きろ~」


 そう言って、ミャオの背中越しに覗き込んでいるのは、銀の長い髪と切れ長の瞳をした美しい女。たった今まで虎がいた場所に、一糸まとわぬしなやかな身体にその髪を巻きつけ寝そべっている。


「んんんんんん……」

「頭からカリカリ食べちまうぞ、こら」

「ん~~~~……」


 だが、ミャオは少し息苦しそうにするものの目覚めない。

 これは手ごわいぞと一思案。ふと何事か思いついた表情で手を離し、女はミャオの耳にそっと囁いた。


「今日はお披露目の日じゃなかったのか?」


 途端に目がぱちくり。


「おっ!? 反応あり!」


 嬉しそうに上体を起こし、見開いたミャオの瞳を覗き込む女は、そこにじんわりと湧き出る涙に特に慌てる様子も無く、再びくいっとミャオの鼻を摘んだ。


「こらっ!」

「う~……パイちゃんの意地悪ぅ!」

「お~っと」

「い、痛い痛いぃ~!」


 寝ぼけまなこでぷうっと頬を膨らませ、ミャオは鼻を摘む指を外そうとするが、ぐりぐり引っ張られて思わず目をつぶってしまい、鋭い爪で宙を掻き毟る。


「ほ~れほれほれ。寝ボスケさん。早く起きないとお店が開いちゃうぞ~。そのままの格好でお出迎えする気かな~?」

「ふみぃ~、だってだってぇ~! ふにゃっ!?」

「それ!」


 じたばたするミャオを、パイと呼ばれた女は器用に転がすと、背後から抱きすくめる様に腕を回した。


「や~!」

「駄目~!」


 身じろぎし、見上げる様に哀願するミャオを、パイは満点の笑顔で出迎える。足でミャオの下半身をロックし、その指は怪しい動きを。


「こちょ……」

「ひゃう!?」


 電撃に打たれた様に、一瞬硬直したミャオの髪が逆立つも、さらにその攻撃は続く。


「こちょこちょこちょ~……」

「うひゃひゃひゃひゃっ、や~っ!」


 顔をくしゃくしゃにして笑い転げるミャオに、巧みにその柔らかい部分を攻め立てるパイ。

 薄暗がりで交錯する白い裸体。

 そんなあられもない光景が、チロチロと揺れる青白い光にゆっくりと照らしだされていく。


 ひんやりとした色彩。それは、宙を漂う炎の玉。死人の魂が抜け出たか。それとも果たして全てはプラズマなのか。じゃれ合う二人の上でぴたりと止まった。


「やだやだやめて~っ!」

「なになに!? ミャオ。あんた少し太ったんじゃないの!?」

「にゃはははは、違う違うにゃ~! 育ったのにゃ~!」


 それでも止まらない二人の痴態に、ため息一つ。掌を返すと炎の玉は真っ直ぐに二人の上へ。それは砕け、一瞬で二人の全身を覆い尽くした。


「わきゃっ!?」

「タ、タマ姐っ!」


 目をまんまるにパッと離れる二人。

 すると炎は再び一瞬で立ち消える。

 二人が恐る恐る奥のカウンターを見ると、そこには金色の髪をアップにまとめた、落ち着いた雰囲気の女性が、白いシルクのシミーズ一枚、少し呆れた表情で立っていた。


「も~、観客も居ないのにキャットファイトなんかしてどうするの~?」


 カチャリ。カウンター越しに茶器をいじる気配が伝わって来る。


「これは、ミャオの奴の目を覚ましてやろうと……」

「あ~、ずるい!」

「……ミャオ」


 気まずそうに声が尻すぼみになるパイ。それに喰ってかかるミャオだが、タマに名前を呼ばれると、しゅんとしおれてみせた。


「困った娘ね。そんな顔にしちゃって・・・」

「だって・・・」


 そう呟いて唇をすぼませるミャオへ、ほんの一歩踏み出しただけで、タマはその傍らに膝を付き、そっと抱き寄せた。途中にあるカウンターや、テーブル類等を飛び越えるでなく。まるでそれらが存在しないかの如く。


「タマ姐……」

「もう、新しい衣装にはしゃいぢゃって……一人で夜のお散歩なんてするから、恐い人間に襲われるのよ」

「ごめんにゃ……」


 ミャオはシルク越しに伝わるその温もりを確かめる様に、力を抜いてタマの胸へと。

 そんな甘える仕草に、タマも憂いを帯びた微笑で、ミャオの乱れた髪を手で撫ですく。


「油断をしては駄目……人間はずるくて愚かで……そして、とても……」

「そ~そ~、変態だからね」

「こ、ら」

「きゃは!」


 少し言いよどんだタマに、妙な合いの手を入れたパイの頭をこつん。


「仕方ないわね。今日のお披露目は方角が悪いので延期という事で」

「タマ姐ぇ~、何それ?」

「古風でしょう? いいのよ、理由なんてなんでも。どうせ判りっこないんだから」


 ゆっくりと身体をゆらし、幼子をあやす様にミャオの髪を撫でるタマは、まるで方違えの事など判らない様子のパイに、くすりと笑みを漏らした。



 方違えとは、簡単に言えば方位により日々の吉凶を占う陰陽術の一種である。

 平安時代等、昔の人々はそれにより外出を諦めたり、わざわざ遠回りをしてまでも凶事から己を護ろうとした。この場合、ミャオはある意味不運に見舞われているのだから、あながち間違ってるとは言えないかも知れない。



 すっかり落ち着いた様子のミャオに、タマも安心したのかミャオの肩をポンと叩いた。


「さあ、シャワーを浴びてすっきりなさい。あんまりのんびりしていると、人の娘達が来ちゃうわよ」

「うん! 浴びてくるにゃん!」


 すっかり甘えていい気持ち。ミャオはほんわか気分でふら~っと立ち上がり、危なげな足取りでてとてと奥へ。それを見送ったパイもやれやれと再び四足スタイルに。


「ちょっと……」

「ん?」


 のそり自室へ帰ろうとした所を呼び止められ、しなやかにな足取りで振り向くパイに、タマは切り裂かれた衣装を差し出す。


「見て……この切り口……」

「どれどれ……?」


 指先で布の切れ端を摘んでみせると、それはポロポロと崩れた。

 肉食獣の瞳が、黒い瞳孔が動く。


「ミャオを襲った相手か……若いね……」


 一目見て即答するパイに満足したのか、タマはそれをゆっくりとたたむ。


「呪力のノリもいま少しだけど、これで手傷を負わされると治りが悪いわ。最悪、命を落とす事も……パイちゃん。あなた、あの娘をそれとなく護ってあげてね」

「言われなくたって」


 くるりきびすを返すパイ。口の端をめくり上げ、紅い歯茎と肉食獣たる鋭い牙をむき出しに唸る。


「あたし達の大事な妹分だぜ」


 足並みも軽く、奥へと続くカウンター脇の戸口まで歩むと、一声吼えた。


「今度そんな奴がいたら、あたしが咽笛を噛み切ってやる!」

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