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5-11 毒

 翌日、はるか蕾生らいおは普通に登校していた。学校へ来ると退屈で平和な時間が流れていく。つい昨日、あんな体験をしたことが嘘のように思えるほど、ここは現実離れしている。


 だが、本来はこちらが現実のはずだ。なのに異世界のような違和感を抱く。学校は永と蕾生にとって夢のような、甘い毒のような、楽園だ。そこが現実なのだとすれば、自分達が身を置く環境こそが異世界なのだろう。そんな気持ちを抱くようになるとは、と蕾生は同級生がはしゃぐ声の中で、自らの心境の変化に驚いた。


 星弥せいや鈴心すずねにはまだ会えていなかった。隣のクラスだということもあり、部活動以外で彼女達と親しくすることをしてこなかった永と蕾生が、二人とも欠席していることを知ったのは放課後になってからだった。


「まーったく、あの女休みやがって!」


 コレタマ部の部室で永は机をバンバン叩いて当たり散らす。そんな永の状態を見れば、二人が来ないことは蕾生でもつい納得してしまっていた。


「風邪だって話だろ?」


「ならリンまで休む必要ないじゃん!ぜーったい僕らに会うのが気まずいんだよ!」


「──まあ、お前にあそこまで言われちゃな」


 冷静に言う蕾生の言葉に、永は大袈裟な身振りで尚も奮起した。


「ええ!?だって騙したのはあっちでしょ?僕悪くないもん!」


「ああ、うん、まあそれでいいけど」


 今日の永はだいぶ面倒くさい、と蕾生は思った。星弥と鈴心がちゃんと学校に来て殊勝に再度謝れば永の溜飲も下がったのだろうが、やはり女子は扱い辛い。


「ったく、こんなことなら小細工なんかせずに昨日は堂々とジジイと会ってくれって言えば良かったんだよ!」


「お前、そう言われたって聞かねえだろ」


「それは聞いてみないとわかんないじゃん。僕ってば話せばわかるタイプの男だしぃ」


 口を尖らせてぶーたれる永をあしらうのもとても面倒くさかった。蕾生は短く結論付けて話題を変える。


「ま、結果論だな。それよりも萱獅子刀を取り返す方法、思いついたか?」


「ぐぬぬ、ライくんのくせに……」


 永は悔しそうに歯噛みした後、気を取り直して椅子に座り直した。


「わかったよ、建設的な話をする。──昨夜考えたんだけど、まずもう一度、あの要塞みたいな建物に入る必要があるじゃん?」


「その時点で詰んでるな」


 蕾生は頬杖をついて宙を見上げた。

 永も肩を落として項垂れる。


「だよねえ。不可視の呪術が施されてる時点で僕らには入る術がないよね」


「あそこに入れるのは、銀騎しらきの爺さんと兄貴とあの秘書っていう女の人だけなんだろ?」


「うん。ていうか、ジジイと秘書ってどうやって入ってるんだろうね。皓矢は術を使えるけど、あの二人はできないと思うんだ」


 永は昨日目の当たりにした皓矢の術を思い出すように、その手振りの物真似を交えて疑問を口にした。


「ああ、そうか。昨日見た兄貴の入り方だと、普通の人間はできねえな」


「と、言うことは──そういう力のない人間でも入れる方法があるかもしれないってことだよね」


 永の言葉に、蕾生は少し考えて自信なさげに答える。


「わかんねえけど、あの二人に兄貴が特殊な術で入れるようにしてる可能性は?」


「それも充分に考えられる。生体認証の陰陽師バージョンみたいなのがあるかもってことでしょ?」


「そう」


 するどい、と言わんばかりに蕾生を指差して永は更なる疑問を提示する。


「それだと結局僕らが入るのは絶望的だけど、ジジイはいいとして秘書にまでその術を使うかね?」


「あー、どうだろうな」


 あの赤い口紅の女性は結局何者なのだろう。銀騎の縁者なのか、ただの雇われ研究員なのか、それによって仮説が大きく変わる。蕾生はもう一度宙を見つめて唸った。永も同じように考えながら言う。


「あの人がただの研究員だとして、もし、秘書用に特殊な鍵みたいなアイテムがあるとしたら?」


 それを奪えばいい。その可能性は──


「なくはない、な」


 一応蕾生は頷くが、それは仮説に仮説を重ねた希望的観測としか言いようがなかった。


 もちろん永もそれをよくわかっており、結局癇癪が戻ることになる。


「あー!何にしてもその辺の情報が足りないぃぃ!それを聞きたいのにあいつら休みやがってぇぇ!」


「落ち着け、永。わかった、明日は学校に来るように俺から銀騎にメッセージ送っとくから」


 蕾生がそう宥めると、永も散々騒いで発散できたからか、ようやく落ち着いた。


「そうだね、ライくんの言う事なら聞くだろうから。頼んだよ、ほんとにもう」


「お、おう……」


 そうして永立ち会いの下、蕾生が星弥にメッセージを送る。今日のところはそれで我慢するしかなかった。



 ところが、次の日になっても、また次の日になってもメッセージには既読がつかず、結局星弥と鈴心は三日間学校を休んだ。


「嘘でしょ、あの優等生かぶりが三日も休むなんてあり得る?」


 信じられないと目を丸くして、永は部室で頭を抱えていた。


「一昨日送ったメッセージにまだ既読がつかねえ。……なんかあったよな」


 ダメ元で蕾生はもう一度携帯電話の画面を確認する。一昨日から何度やったことか。何も変わらない画面にいい加減うんざりだった。


「確実にそうだよね。まさかジジイから外出を止められてるのかな」


「鈴心だけならそうかもしんねえけど、銀騎までか?」


「だよねえ、あー、こんなことならリンの番号交換しておけば良かった!」


 永が大袈裟に悔しがる。鈴心のものは皓矢こうやに見張られているかもしれないので、四人の通信手段は専ら星弥と蕾生の携帯電話だった。


「完全に裏目に出た……。多少のリスクはあってもホットラインは確立しておくべきだった」


「けどよ、メッセージまで読めない状況ってどんなだよ?」


 蕾生の問いに答えながら、永は少し恐ろしい想像をする。


「そこだよ。携帯電話を取り上げられたのか、もしくは──」


 本人の意識がない──とは蕾生の前で言うのが憚られた。考え過ぎだ、とそれをかき消すように永は頭を振る。


 二人の間に言いようのない不安が渦巻いた頃、突然部室の窓が大きな音を立てて開けられた。


「ハル様!ライ!」


 窓から頭だけひょっこり出しているのは、息を切らせた鈴心だった。


「リン!」


 永が驚いて声を上げる。蕾生が更に驚いたのは鈴心の顔色が真っ青だったからだ。


「──何があった?」


 尋常ではない様子に蕾生が問いかけると、鈴心は息を整えることも忘れて掠れた声のままに訴えた。


「星弥を、星弥を助けてください」


「え?」


 震えた声に永が怪訝に聞き返すと、なんの前置きもなく鈴心はとんでもないことを口にした。


「星弥は、あの子は──私の妹なんです!」


「──」


 予想もしない言葉に、蕾生の思考は一瞬停止した。


 何かしらの予想をしていた永は額に手を当て眉を顰めて「最悪だ……」と呟いていた。

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