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第10話 鵺の呪い

 今からおよそ九百年前、はなぶさ治親はるちかと言う名の武士がいた。名門の出身ではあったがあまり出世に欲がなく、戦で親を亡くした子どもを拾ってきてばかりいるので、奥方や家臣にはあきれられていた。


 ある時、帝が病にかかってしまう。その原因は夜な夜な紫宸殿に現れる物の怪のせいであった。毎晩帝の寝所の上から聞こえる恐ろしい声。その声に帝はすっかり怯えてしまい、とうとう寝込んでしまわれた。


 困り果てた大臣達が会議した結果、武士に警護をさせることになった。様々な候補の中から、昔、鬼を退治したことのある先祖を持つ英治親が選ばれた。

 弓の名手であった彼は、すぐに先祖代々に伝わる弓と矢を持って紫宸殿に参内した。帝のお召しと言っても、物の怪退治などは武士の仕事ではないので、有力な家臣はその矜持ゆえに随伴を嫌がった。


 そのため、英治親は身分の低い部下の雷郷らいごうとリンを連れていった。尤も、彼が一番信頼をおいているのは、戦災孤児出身のその二人だったのだが。


 寝所を警護していると、東の森の方角から黒い雲が広がってきて、いよいよ紫宸殿の屋根の上にかかる。黒雲の中から怪しげな恐ろしい声が聞こえてくる。


 英治親は弓に矢を番え、黒雲の中を狙いを定めて射った。するとその矢は黒雲を晴らす。すかさず二の矢を射る。金切声を上げて獣のようなものが屋根に当たった後地面に落ちた。

 獣の胴体に矢が刺さっていることを見た雷郷はそれに飛びかかり、持っていた短刀で喉元を刺した。血飛沫があがり、獣はすぐに動かなくなった。

 リンが灯りを持って近づく。するとその異形の姿にその場にいた誰もが驚いた。


 斃されたその獣は頭は猿、胴体は猪、尾は蛇、手足は虎という姿だった。そして帝がおっしゃるには声はぬえという鳥に似ていたという。


 それから一年後、鵺を倒した武将とその郎党は戦に巻き込まれて不遇の死を遂げた。

 以来、彼ら三人は若くして何らかの不幸により死亡し、また生まれ変わる。それを延々と繰り返している。







 はるかはそこまで説明すると蕾生らいおの様子を気にかける。


「大丈夫? ライくん」


「あ、ああ……」


「今の話に出てきた武士が僕のことで──」


「雷郷っていう家来が俺……?」


「そう。何か覚えてることある?」


 尋ねる永の瞳は微かに怯えたような色を帯びていたが、蕾生が首を振るとほっと息を吐いた。


「いつもね、そうなんだ。君は何も覚えてない。君だけは記憶がリセットされている」


「永は、全部覚えてるのか……?」


 どんなに考えを巡らせても、蕾生には今の自分が「ただ蕾生らいお」であることしかわからない。

 だが永はそうではないというのだろうか。自分以外の自分の記憶があるという状態は果たしてどれだけの負担があるのだろう。


「さすがに全部は覚えてないよ。古い時代の事は結構忘れちゃってる」


 困ったような顔で少し笑った後、永は遠くを見るような目をして続ける。


「けど、英治親だっていう自覚はずっとある。鵺に呪われたのことは鮮明に覚えてる」


「鵺に呪われたから、俺達は転生を繰り返してるのか?」


「あー……えっと……」


 蕾生の問いに、永はそれまで饒舌だった言葉を急につまらせた。


「そう……なのかもしれないけど、鵺の呪いの本質はそこじゃないと僕らは考えてる」


?」


 それは自分のことを指していないと直感した蕾生が聞き返した。

 すると永も、蕾生が呪い云々より先にそちらを気にしたことに苦笑する。


「ライくんはいつも記憶がないから、主に僕とリンがね。転生するたびに少しずつ分かってきている事もある」


「それって?」


「んー……例えば、君がいつも記憶がない状態で転生するのは、僕らよりも濃い呪いがかけられているから……とかかな」


 相変わらず永は歯切れが悪かった。いちいち言葉を選んで喋るなど、普段の澱みなくまくし立てる永からはほど遠い。


「そうなのか?」


「さっき話したとおり、鵺にとどめを刺したのは君なんだ。君が一番多く鵺の血を浴びた。その辺りが関係してると思う」


 化物を倒すといった種類の説話はたいていが英雄譚として語られるが、中には化物を倒したために災いがふりかかるという結末のものもある。

 幼い頃に聞くような御伽噺が、急に現実味を帯びて蕾生の目の前に現れたようで鳥肌がたった。


「鵺を倒したのに呪われたのか?」


 蕾生の問いに、永は少し首を傾げた後、やや左右に振って息を大きく吐く。

 そうしてから、蕾生を見つめてゆっくりと言った。


「──鵺を殺したから、僕らは呪われたんだ」


 その瞳には深い怒りを宿していた。


「鵺は帝を呪い殺したかったんだろう。だけど、その途中で僕らが奴を仕留めてしまった。だから恨まれた」


 そう語る永の表情は、蕾生が初めて見るものだった。

 今まで他人の事は適当に受け流して飄々としていたのに、こんなに明確な憎しみ、こだわりとも言えるような感情を向ける対象が彼にあったとは。


「一番濃い呪いってのはどういうやつなんだ?」


 突然の告白、思い出せない運命。それから、永の中にあった蕾生の知らない感情。

 蕾生の頭は疑問ばかりで、結局同じようなことを何度も聞いてしまう。

 すると永は突然表情を強張らせた。


「……やっぱり、そこ、気になるよね」


「そりゃ、そうだろ。具体的にはどんな呪いを俺達はかけられたんだ?」


 蕾生が食い下がると、永はうーんと唸ってかなり迷った仕草をした後、ヘラリと笑って言った。


「ごめん、まだそれは言えないや」


「ハァ!? お前、ここまで言っといてふざけんなよ!」


 急にいつもの人を喰ったような態度の永に、蕾生はつい声を荒らげた。けれどそれでも永は首を振ってなだめるように言う。


「徐々に! 徐々にライくんが僕らの状況に慣れてから言うから」


「なんだよ、それ。そりゃ、俺はバカだから一気に言われても理解できないかもしれないけど──」


 蕾生は率直な気持ちを、真っ直ぐに永を見て言った。


「お前が俺の分まで何かを背負ってるなら、一緒に持ちたいだろ……」


「ライ……」


 永が知らないところでずっと何かを抱えて、悩んでいた。

 それを考えるだけでも蕾生は胸が苦しくなる。きっと永にもそれは伝わっているんだろう。

 けれど永は唇を噛み締めて、あえて明るく言う。


「──でもダメでーす! 今日はここまででーす!」


「永!!」


「……あんまりこういう言い方はしたくないんだけど、僕は鵺の呪いを解くために三十三回同じことを繰り返してきた」


「──」


「わかる? 僕はね、三十三回も失敗してるんだよ」


 具体的に出された数字の重さに蕾生は絶句した。


「その僕が、今は話すべきじゃないと思ってるんだ。どうか尊重して欲しい」


 蕾生には計り知れない経験の差があると、永はそう言っていた。


「今日、研究所に君を連れてきたことはかなりの賭けだった。一歩間違えれば即ゲームオーバーの恐れもあったんだ」


「そう……なのか?」


「うん、だけど僕らはその賭けに勝った。リンのことは想定外だったけど、賭けに勝ったと思ったから今こうして君に話してる」


「──わかった」


 蕾生は納得するしかなかった。他でもない、永がこう言っているのだから。


「ありがとう」


「ひとつ、確認するぞ」


「うん?」


 蕾生は再び真っ直ぐに永を見た。


「俺達はこれから、鵺の呪いを解くために行動する。そうだな?」


 俺達、の部分に力を入れて言うと、永は満足そうに微笑んだ。


「うん、上出来だ」


「今日みたいに、俺はなんも知らないのに勝手に先走ったりするなよ」


「はは、なるべくそうするよ」


 蕾生の牽制を軽やかにかわして永は笑う。ちょっと信用できそうにないので、蕾生は今後は永の一挙手一投足を注意して行動しようと心に決めた。

 でないと知らないうちに永は全てを背負ってしまう。昔からそうだった。それが蕾生はいつも悔しい。


「じゃあ、まずどうする?」


 蕾生の問いに、もちろんと前置いて永ははっきりと言った。


「リンを取り戻す」


 その視線が向かうのは銀騎しらき研究所。

 白くて大きな、高い壁がそびえ立っていた。

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