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1-8 不気味な施設

 はるかを担いだまま無我夢中で蕾生らいおは走る。

 いつの間にか踏みしめるものが土からアスファルトに変わったと知覚した時、耳をつん裂くようなサイレンがとっくに止まっていることを知った。


「ライくん……もういい。おろして」


 永の声はとてもか細く沈んでいたが、語尾が元に戻っていたので蕾生は抱えていた体をその場でおろした。

 自分達の周りを見回したが構内は静まり返っており、追ってくる者なども見えなかった。


「どうなってるんだ……?」


 あんなにけたたましく鳴っていたサイレンがまさか誰にも気づかれていないとは思えなくて、蕾生は首を傾げる。


「きっとリンがうまくやってくれたんだろう」


「永、あの子は一体──」


 問いかけようとして永の方を見ると、その表情は暗く、怒りさえ携えているようで、蕾生の知る永とは異様な空気感をまとっていた。

 その雰囲気に飲まれ、二の句が出てこない蕾生に緩く微笑みかけて永は静かに言った。


「ごめん、驚いたよね」


「……」


 蕾生の心持ちは複雑だった。とても驚いたし、戸惑いもしている。

 けれどあの少女の存在は何故かすんなりと受け入れているような気がしていて、その理由がわからない自分に納得できない変な感覚だった。


「とにかく今は食堂に戻ろう?後でちゃんと説明はするから」


「……わかった」


 落ち着きを取り戻した永について食堂まで戻ると、中では何事もなかったように他の客達は談笑していて、職員数人もその場にいたが戻ってきた永と蕾生を特に気に留める素振りもなかった。


「あれだけの騒ぎに何も対処してこないなんてことがあるのか……?」


 蕾生の呟きに、永は小声で短く返す。


「つまり、ここはそういうところってことだよ」


 その言葉は軽蔑を孕んでおり、この研究所に対して永が抱いていたのは実は逆だったのだと蕾生は思い知る。

 永はたまにそういう一面を見せる。興味のある振りをして近づいて目的を達成した後、その対象をボロクソに言う。

 今回もその例だったのだ。それにしては随分と長いこと騙されていた気がするが。


 永がこの研究所を良く思っていないことがわかると、途端にあの職員達の意思を持たないような非人間的な態度が気持ち悪く感じる。蕾生には白衣を着た人形のように見えてきた。


「とりあえず、今はここを無事に出られるように祈ろう」


 永はそう言うと、ほかの客達と同様に食堂テーブルの席に着く。蕾生もそれにならって大人しく座った。


 暫くして、黙って立っていた職員の一人が全員に聞こえるように少し大きな声で話しかけた。


「皆さまお疲れ様でした。当研究所の一般公開プログラムはこれで終了いたします。入館証をこちらにご返却のうえ、出口までどうぞ」


 案内に従って客達が動き始める。永と蕾生もその列に紛れてなるべく気配を押し殺して動いた。

 職員達は拍子抜けするくらい機械的に人々を出口まで促していく。二人も来た時と同じ、無事に通用口の扉から出ることができた。


 職員達は人々を送ることはしたが、その口から御礼や好意を感じられる言葉はついに無く、ただ黙って人々が研究所から遠ざかるのを見守っている。

 その眼差しがとても気味が悪く、蕾生は自然と足が早くなった。


「なあ、永」


 蕾生の気持ちを察して永はにこりと笑って言った。


「うん。とりあえず公園まで戻ろう」


 まだ昼過ぎの陽も高い時刻。研究所から遠ざかる程に公園で休日を楽しんでいる人の声が大きくなってきて、安心を求める蕾生の足取りはいっそう早くなった。





 公立の森林公園は、マラソンコースが複数あり、ドッグランも併設されている、ちょっとした行楽地として地元民に親しまれている。

 今日は連休なのでバーベキューをしている家族連れもいた。大人は食べて飲んで、子どもはバドミントンなどで遊ぶ、そんな典型的な休日の風景が二人の目の前に広がっている。


 先程までいた環境とまるで違う景色だ、と蕾生は改めて思う。こうしてベンチに座っているだけでも人々の息遣いを感じられてなんだか安心する。

 隣に座っている永はまだ何も話さない。じっと何かを考えこんでいるようなので、その口からこれから語られることはきっととんでもないことなのだろう、と蕾生は少し緊張してきた。

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