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第3話 銀騎研究所

 部屋の隅で蹲っている。

 あれは、俺だ。


 初めて人を傷つけた。理不尽な力で傷つけた。

 納得がいかない。俺のせいじゃない。そんなつもりはなかった。


 怒りと困惑と情けなさ。そんな感情がぐるぐると頭の中で回り続ける。


 嫌だ。なんで俺は違うんだ。どうして俺が悪いんだ。




「ねえ」


 その声は無遠慮に俺の中に入って来た。


「君は悪くないよ」


 本当に?


「これからは僕が考える」


 暗い空が晴れた気がした。


「君の力は僕が使うから、僕が考えて君が動けばいい」


 ──いいのか?




「だから、出ておいでよ。僕には君が──」


 必要なんだ、と笑う姿に。

 心の底から安心した。




 ◆ ◆ ◆





「……」


 目覚ましのアラームはとっくに止まっていた。


 まだ覚醒しない頭をゆっくりと動かして、蕾生らいおは携帯電話の時刻を見る。

 はるかと待ち合わせた時刻、まさにその時間だった。


「やべ……」


 急いで起きて、窓を開ける。外では永がにこやかに手を振りながら立っていた。


 空は快晴で、風も吹いていない。今日は暑くなりそうだとテレビの天気予報が言っているのを聞きながら蕾生は玄関を飛び出した。


 永に少しだけ急かされながら、連休でどこかへ出かける人達を追い越して歩く。

 高校へ向かういつもの通りを過ぎて、森林公園を横目に歩き、公園から楽しげな声が聞こえなくなった頃、真新しい無機質な道路が顔を出す。


 急に現れる白塗りの大きな鉄の門の向こうは、連休で浮かれる世間とは別の世界のような静けさがあった。


「さむっ」


 突然、蕾生の背筋に悪寒が走る。


「いい天気なのに寒いの?風邪?」


 永が問うと、蕾生は首をかしげながら答えた。


「いや、やっぱり寒くはない」


「なにそれ」


 微かに笑った永の目の奥、緊張しているような光を湛えているような気がして、蕾生は居心地が悪くなる。




 少しの沈黙。

 隣で黙っている永を見ると、無意識なのだろうが、拳を握りしめて指が少し赤くなっていた。


「なあ、やっぱり今日……」


 やめないか、と蕾生が言う前に、永は一歩踏み出し振り返ってにっこりと笑う。


「じゃあ、行こう。受付あっちみたい」


 そうして門の横、守衛のいる小さな詰所を指さした永の表情はいつも通りだった。


「あ、でも具合悪くなったらすぐ言いなよ?」


「ああ、……わかった」


 言葉尻もいつもの永のものだったが居心地の悪さは拭えない。蕾生は気乗りしないまま永の後をついていった。


 守衛に参加証が記された携帯電話の画面を見せ、身分証明カードを提示すると、何かの機械でそれを承諾も得ずに撮影された。子どもだから舐められたのかと、蕾生は嫌な気分になった。


 何の感情も読めない守衛から「どうぞ」とだけ言われて、入館証と書かれた首から提げるタイプのネームカードを渡される。

 すると大きな鉄の門は開かずに、詰所の横の通用口が開いた。視線で促され、二人はそこを通る。




「…………」


 永と蕾生は目の前の光景に一瞬だが言葉を失った。


 碁盤の目のように形成された歩道、それに沿って理路整然と建てられている研究棟の数々。

 二人がそれまでに街で見てきた企業ビルや国の研修施設などとはまるで違う。ここには一切の無駄も遊びもなかった。


 通常ならメインストリートには庭木や芝生を植えていそうなものだが、ここはすべてコンクリートの道路と石畳の歩道だけ。建物も皆一様に白く四角い。白い線と白い箱を並べた模型のような佇まいだった。


 異世界に迷い込んだような感覚に、蕾生はもう一度身震いする。

 永の方を見ると、携帯電話の画面とこの景色を見比べていた。地図を見ているのだろう、その仕草は既にいつも通りスマートに行っており、やはり自分の感じている違和感を言うことは憚られた。


 きっとこの日を楽しみにしていたはずの永に、気味が悪いから帰ろうなんてことは言えなかった。


「あっちのちょっと大きい建物で、最初の説明と講演会があるって」


 数メートル先の少しだけ背の高い白い建物を指して歩みを進める永に、蕾生は黙ってついていった。

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