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第43話 仙台駅前ダンジョン第XX層 ヒーローは遅れてやってくる

 走る。走る。走る。

 泥を蹴り上げて進む。

 走る。走る。走る。

 呼吸が浅く速くなる。

 走る。走る。走る。

 横腹がきりきり痛む。


 走る。走る。走る。

 轟音が近づいてくる。

 走る。走る。走る。

 生暖かい空気が迫る。

 走る。走る。走る。

 背を押すような熱波。


「伏せてっ!」

「……きゃっ!?」


 メルを抱えて地面に転がる。

 アカリの背中を、紅蓮の奔流がかすめていく。

 ジャケットが焼け焦げ、化学繊維の溶ける嫌な臭いがする。


* イエローカード! *

* <記者証>所有者によるモンスターの攻撃妨害 *

* あと2回でペナルティが執行されます *


 アカリの脳に、<運営>のメッセージが直接流れ込んだ。

 軽い頭痛。頭の芯を針で突かれたような痛み。

 警告をもらったのは、<記者証>を取得したばかりの頃以来だ。


「……ミカアカ、大丈夫!?」

「ええ、大丈夫。それより走って!」 


 立ち上がって駆ける。

 肩越しに振り返れば、<シュテンオニイソメ>の醜い顔面がすぐそこだった。

 口から黒い煙をたなびかせながら、複層の顎をカシャカシャと鳴らしている。


 自分が囮になれば――

 一瞬、そんな考えが浮かぶ。

 だが、無駄だ。

<記者証>持ちはモンスターの攻撃対象にならない。

 メルめがけて、脇目も振らず襲いかかってくるだろう。

 それならば。


「<光増幅放射レーザーフラッシュ>!」


 収束された強烈な光線を<シュテンオニイソメ>の顔面に浴びせる。

 本来は遠距離にある被写体を照らすためのスキルだ。

 この怪物に視覚があるかはわからないが、目眩ましになればいい。


* イエローカード! *

* <記者証>所有者によるモンスターの撹乱行為 *

* あと1回でペナルティが執行されます *


 頭痛。


<シュテンオニイソメ>は長大な身体を左右の壁にぶつけている。

 どうやら撹乱は通じたようだ。


 しかし、あと一度でも何かをすればペナルティが執行される。

<運営>が下すペナルティの詳細はわかっていない。

 よくて廃人化、マシな方で死。

 同行の配信者が数十人まとめて異形に変貌したという噂もある。


「メル、先に行って!」


 メルの小さな背中を突き飛ばす。

 ペナルティを負うにしても、可能な限り距離は空けたい。

 巻き添えにしてしまう可能性を少しでも減らしたい。


「……ミカアカが、逃げて」

「何言ってるの!? お願いだから言うことを聞いて!」


 だが、メルはその場に留まる。

 手印を組み、口訣を唱え<氣>を練りはじめる。


「土に潜みし金精よ、寄り寄りて集い銀線を成せ。六白ろっぱく金星、七赤しちせき金星、索冥さくめいたてがみ紡ぎて網と成せ――<銀網恢恢インワンフイフイ>!」


 泥から、壁から、天井から。

 髪よりも細い無数の銀糸が伸びる。

<シュテンオニイソメ>の全身を縛り上げ、その動きを封じる。

 銀色に絡め取られた巨体が暴れ、そのたびに銀糸がぶちぶちと音を立てて千切れ、それをまた新たな銀糸が覆う。


「何してるの! そんなのいつまでももたない!」

「……時間、稼いでる。逃げて」


 メルの唇の端から赤い血が垂れる。

 固く握った手印からも鮮血が滴る。

 文字通り、死力を振り絞った道術タオシュゥだった。


「どうして……そんな……」


 頭の冷静な部分がささやく。

 メルはもう動かせない。

 術を解いた瞬間、あの怪物は襲いかかってくるだろう。

 もう万にひとつにもメルを逃がせる手段はない。

 共倒れになるよりは、自分だけでも逃げるべきなのだろう。


「それができたら、こんなところにいないのよ……!」


 万にひとつがないのなら、億にひとつ、兆にひとつの可能性に賭ける。

 確実な死を受け入れるくらいならば、例え0が無限に並ぶ果てに1があるだけだとしても、その0.00...01%に賭ける。


「<光増幅放射レーザーフラッシュ>!」


 アカリの手から、強力な閃光が発せられた。

 それを浴びた<シュテンオニイソメ>が身悶え、金属をこすり合わせるような絶叫を上げる。


* イエローカード! *

* <記者証>所有者によるモンスターの撹乱行為 *

* ペナルティが執行されます *


 脳髄に直接焼き付けられる文字列と、痛み。

 錆びた釘で脳をかき回される感覚。

 鼻の奥から熱いものが溢れ出す。

 口腔に鉄の味が拡がる。

 足に力が入らない。

 膝が泥に潜る。

 冷たい。


* ペナルティを執行します *

* ペナルティを執行します *

* ペナルティを執行します *


<運営>のメッセージに混じってメルの声がするが、よく聞き取れない。

 ギシギシと、金属音が耳を刺す。

 顔を上げれば、怪物の顎。

 中心に赤が揺らめく。

 生ぬるいそよ風。

 腐臭、熱気。


 そうか、執行役はこの怪物なんだ。

 どうやら手近で済ませたらしい。

 これでメルから注意が逸れる。

 この隙に逃げてほしい。

 犠牲は私だけで十分。

 果たすべき責任。

 大人の役割プロの意地


 時間がゆっくりと流れている。

 死の直前、こういうことが起きると何かで読んだ。

 走馬灯は流れないようだ。

 攻撃をかわせればもっと時間が稼げるのに。


 コースケさんなら、正面から受けてもぴんぴんしてそうだ。

 ソラさんなら、宙を舞って華麗にかわすのだろう。

 だが、自分にそんな身体能力はない。

 少しは運動すべきだったかと思う。


 とうに手遅れのことを考えている間に炎が迫ってくる。

 スローモーションで視界を埋め尽くしていく。

 熱気に耐えきれず、目をつむる。

 うずくまって、最期を待つ。


 ………………。

 …………。

 ……。


 熱さも、痛みもやってこない。

 代わりに、声が聞こえた。


「うあっちぃぃぃいいい!! なんだこの気持ち悪りぃのは!?」

「えっ……?」


 聞き覚えのある野太い声。

 ここで聞こえるはずのない声。

 巨大な盾を持ち、炎に立ちふさがる広い背中。


「アカリさん、すっごい鼻血!?」

「むぐっ!?」


 抱え起こされ顔を拭かれる。

 たまらず変な声が出てしまった。


「軽くうつむいてじっとしててね。鼻血はすぐ止まるから大丈夫だよ」


 鼻の付け根と首の後ろを強くつままれる。

 細いのに、力強い指。


 アカリは呆然としたまま、尋ねた。


「どうして、ここに……?」

「そりゃあアレよ、ヒーローは遅れてくるもんだろ?」

「クロさん、たぶんそのセリフ噛み合ってないよ」


 そこには、ニィと歯を剥いて笑う、クロガネとソラの姿があった。

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