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第42話 仙台駅前ダンジョン第XX層 <シュテンオニイソメ>

 オニイソメ――本来のそれは水深数十メートルの海底に棲む、ムカデに似た環形動物だ。体長は最大で3メートルにも達し、土中に身を隠して獲物が来るのをじっと待つ。頭部には5本の触覚を備え、獲物を感知すると土中から飛び出し、強力な牙で襲いかかる。


<シュテンオニイソメ>は、それを何倍にも、何十倍にも巨大化させた怪物だった。


「……律令の如くく行なえ。<意念釘界インエンティンジェ>、ッ!」


 メルが手掌を突き出し、道術タオシュゥを発動する。

 周囲に浮遊していた釘が、矢の勢いで<シュテンオニイソメ>に殺到した。

 しかしそれは、甲高い金属音とともにあっさりと弾かれる。


「……硬い!」


 金行は土中の金属成分を操り、それを武具となす術だ。

 その威力や強度は周辺の地質に大きく左右される。

 そして、この付近の土壌は金属含有量が少なく、上質な金属の生成はできなかった。


 メルは悔しげに唇を歪ませ、次の道術タオシュゥの詠唱に入る。

 怪物が来るまでに一回放てるかどうか、微妙なタイミングだ。

 魔法使い系のジョブは前衛とチームを組むことが前提とされるが、それは詠唱の隙をカバーするためだ。


 そしていま、前衛は存在しない。

 知能の高いモンスターであればブラフで時間を稼げたかもしれない。

 だが、考えなしに突進してくる蟲系の上位モンスターは最悪の相性だった。


 焦りながらも手印を組むメルの襟首を誰かが摑んだ。

 そして背後に向かって引っ張られ、突き飛ばされる。


「……カッシー!?」

「ミカアカ! メルを頼んだわよ!」


 襟首を引いたのはカシワギだった。

 怪物の進路に立ちふさがり、<氣>を練り始める。


「私が時間を稼ぐわ! あーたたちはとっとと逃げて!」

「……それじゃ、カッシーが!?」

「うるさいわね、アイドルを守るのが私の仕事なのよ! 足手まといだからさっさと行きなさい!!」


 カシワギが振り返りもせず怒鳴る。

 こんな大声を上げるカシワギを、メルもアカリも見たことがない。

 反論は許さないという覚悟が、その背中から発せられていた。

 アカリは唇を噛み締め、メルの腕を摑んだ。


「行きましょう」

「……でも、でもカッシーが!」

「カシワギさんのためにも行くんです!」


 アカリはカシワギのために<拡散ディフュージング照明ライト>を放ち、メルの手を引いて走り出す。

 メルの足がもつれるが、強引に引き起こす。

 その腕は細く、頼りなかった。

 いかに高レベルで、大観衆を前に堂々たるパフォーマンスをするトップアイドルといっても、白銀メルは14歳の少女なのだ。

 たとえ本人が希望したとしても、そんな子どもをこんな場に引きずり出しているのは大人たちの都合だ。だから、大人には責任がある。


 ――アイドルを守るのが私たちの仕事よ


 774プロに入社して、カシワギから何度も聞かされた言葉。

 あの事件・・・・でも、その教えに従ってすべての責任を負った。

 すべてを自分の胸に納め、黙って退職届を出した。


 白銀メルは、そのとき守ったうちの一人。

 最後まで守る責任が、自分にはある。


 だからアカリは走る。

 抵抗するメルを引きずってでも走る。

 いざとなれば<記者証>のペナルティをも覚悟して、走る。


 * * *


「律令の如くく行なえ。夔牛きぎゅう踊りて地を砕き、黄竜踊りて地を捏ねよ、<夔竜泥封クィロンニーフォン>、ッ!」


 ひとり残ったカシワギが、手印を組み道術タオシュゥを放つ。

 もともと泥状だった地面が、さらに柔らかくなり<シュテンオニイソメ>の身体が沈む。

 大地を泥濘に変え、敵の動きを封じる術だった。


「これでも上級職<地仙ディーシエン>のレベル60なのよ! 甘く見ないでちょうだい!」


 啖呵を切りつつ、即座に次の道術タオシュゥの準備をする。

 いまのはあくまで足止めの術。

 あのモンスター相手では、ほんの数瞬の時間を稼ぐだけだろう。


「律令の如くく行なえ。玄武の吐息、しん微睡まどろみ、慄き恐れ、震えて眠れ。<玄蜃凍氷チェンシェンドンビン>、ッ!」


 突き出した両掌から耀く風が発せられる。

 空気中の水蒸気が凍り、それが光を反射しているのだ。

 細氷現象――ダイヤモンドダストと呼ばれるそれだ。

 極低温の風が、泥沼から這い出そうとする<シュテンオニイソメ>に吹き付け、凍らせていく。


玄蜃凍氷チェンシェンドンビン>は水行の道術タオシュゥ

 カシワギのジョブ<地仙ディーシエン>は、五行すべてを操る<五行道士ウーシンタオシィ>系統の上級職だ。特化していない分、個々の道術タオシュゥの威力は専門の道士に劣るが、応用力は極めて高い。


「このまま芯まで凍りつきなさい!」


 氷の嵐が吹き荒れる。

 怪物の体表が凍りつき、全身を霜が覆う。

 動きがぎこちなく、鈍る。

 パキパキと硬いものがひび割れる音が響く。


「蟲系は冷気に弱いのがお約束ですものね。これは案外いけるのかしら?」


 経絡チャクラを通る<氣>を循環させる。

 気血が巡り、術の出力が高まっていく。

 だが、それはいまのカシワギには諸刃の剣だ。

 応急的に塞いだ傷口がどくどくと脈打つ。

 熱くどろどろとしたものが、身体から流れ出していく。


 ――GiShiGiShiGiShiGiShiGiShi


 異音。

 重く古い扉をこじ開けるような、きしみ音。

<シュテンオニイソメ>の凍りかけた顎が、ゆっくりと開かれる。

 クワガタの牙をいくつも重ねたような、人間のそれとは構造の違う口。

 その奥で、ちろちろと赤い何かが揺らめいている。


「まったく、グロい顔ね……。むかし映画で見たことあるわ。……ああ、そう、プレデターよ。あれの素顔にそっくり……」


 身体が徐々に冷えていく

 術の冷気の余波ではない。

 魔法もスキルも、原則として術者自身を傷つけない。

 寒い。寒い。寒い。

 流れ出す血だけが、唯一熱い。


 巨大な口の奥で揺らめいていた赤が、大きくなる。

 腐臭を漂わせる温い風が、カシワギの顔まで届く。


「ちょっと、ちゃんと歯は磨いてるの……? 臭い息……かけないでよね……」


 足に力が入らない。

 膝をつく。

 目がかすむ。

 辺りが暗い。

 薄暗闇に、赤が灯る。

 赤が、迫る。

 赤が、視界を覆い尽くす。


 ――GoooooOOOOOHHHHH!!


<シュテンオニイソメ>の吐き出した炎の奔流が、カシワギの全身を飲み込んだ。

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