「見覚えがある顔だと思ったら、ミカアカじゃない。ダンジョンなんかで何してんの? あんなことがあったのに、のこのことダンジョン来てるなんて大した根性してるわね。さすがのカシワギもオドロキよ」
アカリの無遠慮に覗き込んだ男に、クロガネは顔をしかめる。
「おい、アンタ。うちのカメラマンに何か用か?」
「ひぃっ!?」
男は悲鳴を上げ、たたらを踏んで数歩下がった。
男が目にしたものは凶相。
赤黒い血管を浮き上がらせた、魔獣の相貌。
無数の古傷が浮かび上がり、およそ人外の圧力を醸し出している。
――怒気と不快を隠そうともしない、クロガネの顔である。
カシワギと名乗った男の態度は明らかに友好的なものではない。
はっきり言えば敵対的だ。
仲間に牙を剥くものに、クロガネという人間は容赦をしない。
「よ、用も何も、昔の知り合いにばったり会ったから声をかけただけよ」
「本当に知り合いなのか?」
クロガネは男から視線を外さないままアカリに尋ねる。
「え、ええ。一応は……」
「一応だなんて謙遜してくれるじゃない。その節は随分と
カシワギはサングラスをかけ直す。
クロガネから喰い殺さんばかりに睨みつけられているため、本能的に視線を遮りたくなったのだった。
「それにしても、どこの事務所も拾ってくれないからって、ド素人を引っ掛けるとは大したものねえ」
「お二人は経験は浅いですが、実力は確かです!」
「へえ、こんな<無職>の二人がねえ」
サングラスを中指で直したカシワギが口の端で嗤う。
それに対し、今度はソラが眉をひそめた。
「なんであたしたちが無職だなんて知ってんの? ストーカー?」
「何よこの小娘は。かわいい顔して失礼ねえ」
「あんたこそ人をいきなり無職呼ばわりして失礼じゃない」
「あら、事実を言ったまでよ」
カシワギは大げさに肩をすくめ、「ふぅ」と息を吐く。
「それに、<人物鑑定>のマジックアイテムも知らないなんて、よっぽど業界を知らないのねえ」
「人物鑑定だぁ? なんだそりゃ、うさんくせえ占いか?」
「はぁ、本当にドが付く素人なのねえ」
男はため息をつき、サングラスのつるをつまんでこれ見よがしに上下に動かす。
「これは<
「それであたしたちを覗いたんだ。やらしー、変態、覗き魔」
自慢げな男を、ソラが両手を口を覆って煽る。
「ほんっっっとうに口の減らない小娘ね! あーたたちがうちの事務所に入りたいって言ったって、絶対に入れてやらないんだから! 業界中に廻状も回してやるわ!」
「
クロガネがゆらりと立ち上がり、カシワギは悲鳴を上げて一歩下がった。
筋肉を押し固めたような全身からは湯気が立ち上り、陽炎が揺らめいている。
巨大な手が伸び、カシワギの肩をがっしりと摑んだ。
「ひぃっ!? 急に何よ!? いまさら謝っても遅いんだからね!」
「てめぇ、そんなナリしてスジモンか。俺はな、ヤクザってやつが大っ嫌いなんだ。事務所だの廻状だの口にすればビビるやつだけだと思うなよ……」
「ちょっ、えっ、何!? このおっさん何を言ってるの!? ちょっ、いたっ、痛い痛い!? 折れ、折れるっ!!」
クロガネの指がカシワギの薄い肩に食い込んでいく。
みしみしと骨の軋む音が聞こえてくるようだ。
かつて、プロレス興行と反社会的勢力は切っても切り離せない関係だった。興行を打つには地場のヤクザに
クロガネが旗揚げしたときにも、一部にはその悪習が残されていた。みかじめ料の支払いを断ると、客席で酒を飲んで暴れたり、ソラの誘拐をほのめかすなどの嫌がらせを仕掛けてきた。
クロガネはそれらを力づくで解決してきたのだが、当時の怒りは消えていない。
腹の底に
「コ、コースケさんストップ! 何か誤解が!?」
「……その人、ヤクザじゃ、ない。配信事務所の、人」
アカリが止めに入ろうとすると、何者かがクロガネのTシャツの裾を引っ張った。
そこには、十代前半と思しき銀髪の少女が立っていた。
小柄な身体にひらひらした衣装をまとっており、およそダンジョンには似つかわしくないようにクロガネには思えた。
「ん? なんだ、ヤクザじゃねえのか? それならそうと早く言えや」
クロガネが手を離すと、カシワギはその場にへたり込んだ。
肩をさすりながら「何なのよ!? どう考えても<無職>のパワーじゃないでしょ! ゴリラなの!? ご両親がゴリラだったりするの!?」などとぶつぶつと呟いている。
「……わたしたち、こういう、もの。カッシーも、名刺」
「ふん、こんなやつらに名刺なんか……いえ、いいわ。私が誰かを知って恐れ慄きなさい!」
二人が差し出した名刺には、それぞれ『DGN48
社会人の習性で、クロガネも財布から名刺を取り出して二人に渡す。
「って、なんで名刺交換なんてしてんだ。会社の方はまあいいとして、DGN
「……よんじゅうはち、違う。フォーティエイト」
「フォーティエイト? DGN48って、ひょっとしてあのアイドルの?」
ソラが尋ねると、銀髪の少女が黙って頷いた。
「どう? 驚いたでしょう。そして私こそが今をときめくトップアイドルDGN48の担当プロデューサー、カシワギってことよ!」
「ふーん、そりゃアイドルがダンジョンにいりゃあ多少は驚くが……」
話が読めず、クロガネはぼりぼりと頭をかいた。
銀髪の少女の乱入で、すっかり毒気を抜かれている。
何に対して怒っていたのかも半分忘れかけていた。
「そこから!? いまはダンジョン配信するアイドルが一番の旬なの! そしてうちは、最大手の事務所なの! その辺の零細や個人勢とはわけが違うんだから。私が手を回せば雑誌もテレビ取材もぜ~んぶナシにできるんだからね!」
「なんだと!? 週刊ハッスルやブシドーTVからの取材が受けられなくなるってのか!?」
クロガネは焦った。
配信が軌道に乗りそうなので、旧知の記者やテレビ局関係者にひさびさに声をかけようかと思っていたのだ。ちなみに、週刊ハッスルは老舗のプロレス専門誌であり、ブシドーTVはオンデマンドの格闘技専門チャンネルである。
「え? 週刊なにと、なにチャンネルですって……?」
しかし、カシワギにはわかっていなかった。
彼の人生の中でプロレスや格闘技と交わる機会は存在せず、週刊ハッスルやブシドーTVなどは名前を聞いたことすらなかったのだ。
「……カッシー、そろそろ、行かないと」
「ああっ、もうこんな時間じゃない! 遅刻したらあーたたちのせいだからね!」
「絡んできたのはてめぇじゃねえか」
「いるよねー、こういうなんでも他人のせいにする人」
「むぎぎぎぎ……」
クロガネとソラが言い返すと、カシワギは唇を噛んで地団駄を踏む。
「……いいから。早く、行こ」
「待って、メルちゃん」
カシワギの袖を引くメルに、アカリが手を伸ばす。
そして、絞り出すような声で言った。
「いまはもう……大丈夫なの?」
「……だい、じょぶ」
「そう。それならよかった」
メルの返事を聞いて、アカリは笑みを浮かべた。
そしてメルもまた、ためらうように口を開いた。
「……あの、わたし……」
「ちょっとミカアカ! あーたはもううちの人間じゃないんだから、気安くメルに話しかけないでくれる! ほら、メル、行くわよ」
「……うん」
カシワギは何かを言いかけたメルを遮り、その手を引いて歩き去っていく。
そして、少し距離が開いたところで振り返った。
「あーたたち、そんな女に関わってたら命がいくつあっても足りないわよ。せいぜい気をつけることね!」
そんな捨て台詞を残し、カシワギはダンジョンの奥へと消えていった。