それは巨躯であった。
それは異形であった。
上背はソラのおよそ2倍。頭部は6つの頭がでたらめに融合し、歪みきってもはやソラの面影もない。胴体は皮膚のない剥き出しの肉の蔦を編んで作られており、ねじくれた古木に生き血をぶちまけたような形。床板をぎしぎしと踏みしめる2本の太い脚も胴と同じ質感だ。
肩、背、脇腹からは6対の腕が伸びており、それは原型のまま。手に手に様々な武器を持っている。胴の太さと腕の細さがあまりにもちぐはぐで、強いて世辞を言うならば前衛芸術に例えられるだろう。
『くくクッ! くくくくクッ! 美しかろウ! 神々しかろウ!
もともと狂気的な姿だが、極彩色の明滅を伴ってますます冒涜的に見える。
少なくとも、今の姿を見たものは百人中百人がこれを邪神と断ずるだろう。
「あー、泣きの延長戦ってことか?」
『無礼者ガッ! 泣きなどではなイ! 我がジョブの真髄を、舗装された運命の
異形が動き出す。
一歩一歩、床板を軋ませながらソラに迫っていく。
「うえー、ちょっとグロ系は苦手なんだけど……」
ソラは文句を言いつつも、ステップを刻んで間合いを測る。
胴や脚はソラの倍近くの長さがあるが、腕の長さは変わらない。
腕の数、顔の数を挙げるまでもなく、こんな奇怪な体型の生物は少なくとも地上には存在しない。
どんな間合いで戦えばいいのか、ソラは測りかねていた。
「暖炉に棲まうモノ、消し炭に潜むモノ、稲妻とともに地に降りしモノ、我が手に集い、矢となりて敵を穿て――<
「魔法っ!?」
ソラは側転でそれをかわす。
外れた炎は壁面の神像に直撃。
爆発してそれを粉砕した。
「さっきと全然威力違うじゃん! なんかズルしてない!?」
『くくくくクッ! 卑怯も不正も虚偽も虚構もなイ。六体を練り合わせたのダ。魔力量も当然増えていル!』
「だからそれがズルだと思うん――」
言いかけて、今度はバク宙で飛ぶ。
ソラが立っていた場所に数本の投げナイフが突き刺さった。
盗賊の腕から放たれたものだ。
「もうっ! 飛び道具ばっかり!」
徒手空拳で魔法も使えないソラに遠距離攻撃の手段はない。
このままではジリ貧になると見て、一気に間合いを詰める。
「戦士スキル<
すかさず戦士の長剣が降ってくる。
身体を捻ってそれをかわす。
逆側から鈍い衝撃。
「ぐぁっ!?」
商人の武器がソラの背中を打っていた。
杖の先にそろばんのついたふざけた得物だ。
それほどの威力ではなかったが、意識外からの一撃にソラは思わず悲鳴を上げた。
「大丈夫かっ!?」
「心配無用!」
クロガネの声に、ソラは即答する。
そろばんのお返しとばかりに強烈なローキックを異形に叩き込む。
カーフキック――筋肉や脂肪の薄いふくらはぎを蹴るMMAの技だ。
一撃、一撃、また一撃。
ソラは回り込みながらカーフキックを積み重ねる。
不自然な体型のためか、あるいはその巨体の重量のためか、動きは鈍い。
フットワークについては完全にソラが上回っていた。
しかし、死角には入れない。
というよりも、死角が存在しない。
デタラメについた6対の双眸が常に全方位の視界を確保しているのだ。
表情も変わらないため、打撃が効いているのかも判断がつかない。
「あー、もう! やりづらすぎる!」
ソラは再び間合いを取った。
もともと小技で勝負をするファイトスタイルではないのだ。
華麗に舞い、美技で観客を酔わせる。
それこそがソラの
「いと偉大なる我らが主よ、我らを見守る御使いたちよ、哀れなる迷い子に癒やしを奇跡を授けたまえ――<
間合いを空けた直後、先端に
僧侶の持つ回復魔法だ。
治すということは、つまりロー攻めには効果があったらしい。
「ふーん、それならこういうのはどうっ!」
スライディングで突っ込み、異形の膝を脚で挟む。
足首の後ろから片足を掛け、膝の前からもう片足で挟んで刈り取る。
転倒と膝の靭帯とを狙ったスタンドの足搦みだ。
だが、異形の太い脚はびくともしない。
技の形は完璧だったが、あまりにもパワーに差があった。
しかし、ソラは不敵に笑う。
「ま、簡単にはいかないよね――でもっ!」
次の瞬間、異形の巨体が傾く。
轟音と共に、巨体が仰向けに倒れる。
ソラはその衝撃を利用し、膝靭帯を伸ばして足搦みが完全に
圧倒的体格差をどう覆したのか?
手品のタネは親指。
異形の足の親指を両手で掴み、踵を支点に回転をさせた。
指一本に対して腕二本という力の差。
さらに、てこの原理を利用することで、局所的に異形に勝る力を生み出したのだ。
ルチャ・リブレとは、
試合展開も変則的で先が読めないものが多い。
それゆえ、臨機応変の応用力が求められる。
ブーツを履いて闘うプロレスにこんな技は存在しない。
今この瞬間、
「諦めてギブアップしなよ……なんて言っても通じないよね?」
痛みを感じないのか、異形は膝が壊れるのも
完璧に入った極め技は、抵抗すればするほどより深く極まっていくものだ。
靭帯がぶちぶちと千切れる嫌な音が、肉を通じて伝わってくる。
このまま片足が壊れたら、あとは
それが堅実で、確実な勝ち方だ。
しかし、ソラの
「スカイランナー、俺がコーナーポストだ!」
クロガネの声。
両手を合わせて低く構え、バレーボールのレシーブのような姿勢を取っている。
その意図を、ソラは一瞬で理解する。
足搦みを解き、全力で走る。
跳躍し、クロガネの
「ふんぬっ!」
クロガネが満身の力で両腕を振り上げ、ソラを天高く
ソラは2回、3回と宙返りをしながら、倒れた異形の真上へ飛ぶ。
長髪をなびかせ天を駆けるその姿は、まさしくスカイランナー。
重力加速度、遠心力、全体重。
すべてを乗せた両膝が、異形のみぞおちに突き刺さる。
――
異形の身体がくの字に曲がった。
12の瞳が白目を向き、6つの口が血の泡を吹く。
異形が完全に動かなくなったのを見て、クロガネは試合終了のゴングを鳴らした。