『おおっとー! マスクド・ササカマがトップロープから跳躍! 強烈なボディプレスがデビル・コースケを襲うーーーッッ!! そのままホールド! ワン、トゥー、スリィィィイイイ!! マスクド・ササカマ、鮮やかに勝利をもぎ取ったぁーーーッッ!!』
東北のとある町の片隅。
がらがらの市民体育館にマイク越しの絶叫が虚しく響き渡った。
勝利したマスクマンが両手を突き上げてアピールするが、並べられたパイプ椅子に観客はほとんどいない。
関係者を除けば、半分眠ったような老人がまばらに座っているだけだった。
『みちのく王座決定戦もいよいよ折り返し! 東北の覇者となるのはマスクド・ササカマか! あるいはナマハゲ・ザ・ジャイアントか!? 受付にて次戦のチケットも販売しておりますので、お帰りの際はどうぞお気軽にお求めください! シーズンパスがたいへんお得となっております!』
わずかな観客が帰ると、体育館はもの寂しい静寂に満たされた。
東北に拠点を置く5つの地方プロレス団体が協力し、
「すみません、クロさん。勝たせてもらっちゃって」
マスクド・ササカマがマットに倒れている男に手を伸ばす。
男の顔には地獄の悪魔を彷彿とさせる不気味なメイクが施されていた。男は、目だけを動かして観客がすべて帰ったことを確認すると、巨体に似合わぬ俊敏さで跳ね起きた。
「いいってことよ。俺みたいなロートルより、お前みたいな若手が勝った方が盛り上がるだろ」
「自分、超日時代からのファンだったんすよ。ガキの頃にクロさんの試合見て、よく真似してたんす。必殺、バリスタナックル!! なんつって」
ササカマは大きく左手を引いて、右のパンチを繰り出す。
クロさんと呼ばれた男は大きな手のひらでその拳を受け止めた。
バシンと小気味良い音が体育館に響く。
「お、なかなかやるじゃねえか。もっとそうだな、引き手を大げさに絞ってみな。迫力も増すし、スピードも出る。ほら、やってみろ」
「ええっと、こんなかんじっすか?」
「そうそう、いい感じだ。もう一発打ってみろ。今度は胸で受けて――」
『こら! 二人とも遊んでないで撤収撤収! 早く片付けないと追加料金取られちゃうんだからね!』
実況席からマイクを使って注意をしてきたのは年若い少女だった。
両手を腰に当ててリング上の二人をにらんでいる。
ササカマとクロさんは、目を合わせて肩をすくめた。
「わーった! わーってるって! ほら、ササ、とっとと片付けるぞ」
「まったく、ソラちゃんにはかなわないっすねー」
二人は苦笑いをして、リングの解体に取り掛かる。
前座試合に出ていた若手たちも集まって、リングは見る間にその形を失っていった。
* * *
撤収が終わるとすっかり夜遅くなっていた。
クロさん――
「ソラ、今回の売上はどうだった?」
「聞かなくてもわかるでしょ。あの客入りなんだから」
助手席に座っているのは実況の少女だった。
名前は
唇を尖らせながらスマートフォンの画面を睨んでいる。
「私をリングに上がらせてくれたら話が早いのに。『往年の名レスラー復活! スカイランナーⅡ世誕生! なんとなんとなんと、正体は強く気高く美しい現役女子高生だーッ!!』なんてさ、話題性ばっちりじゃん。満員御礼間違いなしだよ」
「自分で『強く気高く美しい』とか言うかあ? ま、それはともかく相手がいねえだろうが、相手が」
「クロさんが相手してくれりゃいいじゃん」
「説得力ってもんを考えろ。プロレスはただのショーじゃねえ。ホンモノを見せるもんなんだ。リアリティなくして夢はなし――」
「――夢なくして真実なし、でしょ? 聞き飽きちゃったよ」
クロガネは身長190センチ、体重130キロ超の巨漢だ。
全身筋肉の塊で、二の腕はソラの腰よりも太い。
一方のソラは身長160センチ、体重59キロ。
普通の女性と比べればガッチリしているが、クロガネと並ぶと大人と子供どころではない。
「くっそー、私と戦ってくれる女子レスラーが東北にもいればいいのに」
「学校でアマレスやら空手部やらに声かけたんだろ? そういやどうなったんだ?」
「ダメダメ、全滅」
ソラは顔の前で手をひらひらと振る。
「格技系の子はいまどきみんなこっちなんだから」
そういって、スマートフォンの画面をクロガネの前に差し出した。
クロガネは「こら、運転中にあぶねえだろ」などと言いつつ、ついちらちらとそれを見てしまう。
そこには、剣や鎧を身に着けた若者たちが、地上には存在しない生物――モンスターと戦う映像が表示されていた。
「ダンジョン配信ってやつか」
「見てよ、この同接数。同じ東北でやってるっていうのに……」
「ドウセツスウ?」
「同時接続数。この配信を、4000人の人が同時に見てるってこと」
「4000人!? 4000人っつったら、後楽園ホールの倍だぞ!?」
クロガネはかつて自分が超日プロレスの選手だったころを思い出していた。
自分は前座だったが、満員の後楽園ホールの熱気と言ったらとてつもなかった。
後楽園ホールの最大収容人数は2005人。
あの熱気を生まれ故郷である東北にも再現したいという想いで、新団体の旗揚げに協力したのだ。
そんな夢を果たせぬまま、十年の時が過ぎてしまったわけだが。
「そういえば、今日の試合は配信もしてたんだよな? 何人ぐらいが見てくれたんだ? 何百人か? いや、贅沢は言わん。何十人だっていい!」
クロガネは期待を込めて尋ねる。
一般チケットは両手で数えられるほどしか売れなかったが、配信とやらで見てくれているファンがもっとたくさんいたのかもしれない。
「……4人」
「え?」
思わず
「だから4人。これ最大ね。平均したら1人が見てたり見てなかったり」
「マジか……」
「リアルで人気ないのに、ネットでだけ人気なんか出るわけないじゃん。あー、だから言いたくなかったのに……」
あからさまに落ち込むクロガネに、ソラはため息をつく。
こうなるだろうから黙っていようと思っていたのだ。
しかし、直接聞かれてしまっては答えないわけにもいかない。
「ぐう……そんなチャンバラより、プロレスの方が絶対アツいのに……」
「ホントだよね。ダンジョン配信って、剣でズバーッとか、魔法でドカーンとか、大味すぎてストーリーがないのよ」
クロガネのぼやきに、ソラも相槌を打つ。
ソラもまたプロレスという格闘技に魅せられたものの一人なのだ。
亡き父の思いを継いで、東北の人々の心を、プロレスという名の炎で焦がしたいのだ。
「このでっかい猿みたいのが相手なら、飛びついてヘッドシザーズで――」
「いきなり大技は感心しねえな。俺なら手四つの力比べから――」
「あたしのスタイルじゃないし。まずは回避に徹しつつ打撃の差し合いを――」
「フィニッシュは投げか、関節か悩むな。やっぱり初心者向けには派手な――」
配信に映ったモンスターを対戦相手に見立て、各々の脳内で試合運びが組み立てられていく。
それは、間違いなくいま配信されている戦いよりも、魂を揺さぶる試合になるはずだと二人は確信していた。
しかし、現実は厳しい。
ダンジョン配信は人気を博し、プロレスは閑古鳥だ。
それを思い出して、クロガネはため息をついた。
「せめて一度でも見てさえもらえればなあ」
「ホントだよねえ……って、ちょっと待って! それ、いいアイデアかも!」
ソラは目を輝かせ、ぽんと手を打った。
「ダンジョンでプロレスやっちゃおうよ!!」
「お、おう?」
唐突な提案に、クロガネの目が丸くなった。