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【第二〇一節/縛られた翼 下】

 シオンの転移攻撃は続く。今までに相対したことのない種類の敵を前に、しかしカナンは、ある種の気付きを得ていた。


「行ったぞ、カナン!」


 イスラの警告が届くより先に、カナンは防御態勢へと移っていた。その場から二歩ほど後退し、宙に向けて杖を振るう。


 果たして、シオンはちょうど杖の描く軌道上に出現したが、すんでのところで攻撃を受け止めた。イスラからの攻撃を受け流し、再び銀色の炎の中に消える。


「……ちょっと分かってきましたよ」


「本当か!?」


「あの人が消えてから現れるまでに、少し時間差があります。最初は、出てくる場所を見定めているんだと思ってましたけど……!」


 カナンは腰をひねって突きを回避した。そして、杖の石突きの部分で、後背にいるシオンの腹を打つ。彼女がそこに出てくることは完全に読み切っていた。


「消えてから出てくるまでに、出現場所を変えることは出来ない! そうですよね!?」


 くの字に折れたシオンに、遠心力を乗せた一撃を見舞う。双剣の片割れでそれを防ぐが、さすがに腕一本で支え切れる威力ではなく、剣が弾き飛ばされる。


 だが、杖が本体を打つ頃には、その姿は霧のように霧散していた。


「……なるほど。でも、主導権はあっちが握ったままだな」


 カナンの追撃を逃れたシオンが、庭園の上空に姿を現す。なかなかの痛打であったはずだが、表情には一切変化が無い。


 今しがた一撃見舞ったものの、あくまで予想外の逆撃が刺さっただけだ。シオンはどこからでも攻められるし、いくらでも逃げられる。


 しかし、攻め手に複雑さは無い。ディルムンの地下にいた『蛹』同様、思考に柔軟性が欠けている。先ほどからカナンばかり狙っていることが、その証拠だ。仮に闇渡りのサウルなどが同じ能力を備えていたら、とうに二人とも殺されているだろう。


 可能な限り時間を稼いで、その間に攻略法を見つける……。


(……なんて、上手くいくか?)


 自分で自分の考えに疑義を差し挟む。


 そして実際、イスラの目論見通りに行くほど、シオンは簡単な相手ではなかった。


 シオンの翼がはためく。銀色の光が泡のような塊となって二人の周囲に撒き散らされる。直接攻撃を狙ったものではないが、何かの布石であることは明らかだった。


「カナン、ついてこい!」


「はい!」


 二人は同時に駆け出すが、光の泡は狭い庭園のほとんどに撒き散らされている。密度の差こそあれ、完全に振り切ることは出来ない。加えて、相手が何をしてくるか分からない以上、カナンと距離をとるのは危険だ。


「我が蒼炎よ、焔の翼となり災厄を祓え、飛べよ霊鳥! 翼天使の鳩アラエルズ・ダヴズ!」


 先手を取って法術を放つ。カナンの手の平から、鳩のような形をとった天火が次々と飛び立ち、浮遊するシオンに殺到する。


 だが、シオンは避けない。翼で身体を覆い、燃え盛る鳥の群れを受け止める。着弾と同時に光が瞬き、爆竹を一斉に点火させたかのような激しい音が響き渡る。


 シオンは無傷だった。無表情のまま、服についた埃を払うような気安さで、翼にまとわりついた炎を吹き払う。


 法術は簡単に無効化されたが、二人は特に落胆しなかった。こういう難敵ほど、あっさりと天火を無効化してくるものだ。


 それに、「防御出来ること」と「しのぎ切ること」は同義ではない。今しがた使った法術はさほど強力な術ではなく、どちらかというと出方を探る牽制の意味合いが強い。


 もっと上位の法術……それこそ、カナンの得意とする能天使の閃光エクシアス・ブレイズあたりをぶつけてみれば、違う結果が得られるかもしれない。


(問題はどうやって当てるか……それに、もう天火も……)


 中断したとはいえ、熾天使級法術を使った後だ。体内に残っている天火の残量は心もとない。シオンの回避能力も考慮すれば、一撃必殺を狙うべきだろう。


 だが、どの道今は、シオンの次の手を凌がなければならない。


 シオンの右手に一振りの短剣が現れる。彼女はそれを、二人がいるのとは全く別の方向に向けて投擲した。


 その向かう先には、あらかじめ彼女がばらまいていた銀色の火の玉が浮かんでいる。


「っ、まさか!」


 カナンの真後ろに浮かんでいた銀炎から、投擲した勢いそのままの短剣が飛び出してくる。直前で察知していたため回避出来たが、避けた短剣はそのまま反対側に浮かんでいた銀炎に飛び込んで、また別方向から襲い掛かってくる。


「チッ!」


 イスラはそれを叩き落し、シオンめがけて投げ返した。彼女はあっさりとそれを払いのけ、再びどこからともなく短剣を取り出して炎の中へと投げ込む。


 四方八方から襲い掛かってくる刃を捌きながら、イスラもカナンも反撃を反撃を試みるものの、空中に浮かんでいるシオンはいくらでも逃げ道がある。半端な法術では吸収されてしまい、かえってシオンの法術を強化する結果になりかねない。


(そもそも……これって法術なの!?)


 杖を回転させて短剣を叩き落す。だが、シオンの連撃は止まらない。このままではどこまでも防戦を強いられる。


(法術じゃ、ない。継火手なのに法術を使わないのは……それか、もしかしたら……?)


「イスラ、こっち!」


 思い切って、カナンはシオンに背を向けた。イスラもその後に続く。


 群がる銀色の天火を掻い潜って、空中庭園の入り口……階段を目指す。背後からシオンが追い縋ってくる気配を感じながら、カナンは詠唱の聖句を口ずさむ。


「我が蒼炎よ、御怒りの奔流となり悪を滅せよ……」


 敵は後ろだぞ! と言いかけたイスラは、出かけた言葉を呑み込んだ。カナンが何の考えも無く撤退するとは思えない。彼女に何か策があるのならば、それを邪魔させないことが自分の仕事だ。そう言い聞かせつつ、飛んできた短剣を斬り払う。


 階段にたどり着いたカナンが、天火を湛えた権杖を下方に向ける。その先にある物を見て、イスラも彼女の意図を察した。


「出でよ断罪の光! 能天使の閃光エクシアス・ブレイズ!」


 展開した魔法陣から、蒼い閃光が解き放たれる。狙いは人造生物を収めた博物室そのもの。いっそ跡形もなく消滅させる心積もりだった。


 もちろんシオンはそれを阻止しようとするだろう。しかし、一度放たれた法術を止める方法は一つしかない。


(私の考え通りなら……!)


 周囲の炎球が消失する。


 同時にシオンが、着弾寸前の閃光の前に転移していた。


 直撃する寸でのところで、彼女は自分の眼前に転移門を出現させる。カナンの法術がその中に呑み込まれる。


 カナンの頭上に門が開く。蒼い閃光が、術者本人に降り掛かる。


「させるか!」


 それを、イスラは明星で受け止めた。


「どれくらいだ!?」


「もうちょっと!」


 そう言いつつ、カナンはさらに圧を強める。当然、自分たちに降り掛かる天火の量も増えるが、カナンはイスラを全面的に信じていた。


 果たして、先に限界を迎えたのはシオンの方だった。カナンの能天使の閃光エクシアス・ブレイズを受け止めていた門が限界を迎え、崩壊する。閃光の軌道が修正され、その奥にいたシオンを直撃した。


 彼女の身体が、博物室の屋根に押し付けられる。


 シオンの翼はなおも法術を受け止め、同化を図っていた。しかし浴びせかけられる天火の本流は、その限界容量を上回っている。先端部から蝋のように溶解し、形を崩していく。


 だが、カナンも止めを刺すには至らなかった。翼を完全にへし折る一歩手前で天火が尽きる。



「……あとは任せろ」



 そう言い残し、イスラは跳んだ。明星を振りかぶり、全体重と勢いを乗せて、体勢を立て直そうとしていたシオンに斬り掛かる。


 両翼が刃を防ごうとする。しかし、カナンの蒼炎をたらふく喰らった明星は、その威力を普段の何倍にも高められている。崩壊寸前の翼などでは、到底受け止められない。


 紙でも斬るかのような簡単さで両翼を折った明星が、シオンの左肩を捉える。骨と肉を断ち刀身がいくらか埋まった時、嘘のように手応えが消えた。


 シオンの姿が掻き消え、明星の切っ先が博物室の屋根に埋まる。


「っ、カナン!」


 イスラが振り返ると、膝をつくカナンの真後ろに、シオンが転移していた。左腕は力無く垂れさがっているが、反対の手には最後の力を振り絞って出したのか、短剣が逆手に握られている。


「……シオン……」


 シオンが短剣を振り上げる。夥しく出血しているためか、元々白い顔が一層蒼褪めている。そこには痛みも無ければ死への恐怖も無い。ただ壊れかけの機械が、命じられた仕事を果たそうとする無機質な義務感だけがあった。


 傷口から銀色の炎が噴き出している。継火手の怪我を癒そうとしているのだろうが、カナンが推測した通り、彼女の銀炎にベイベルほどの力は無い。仮に心臓や血管を癒せたとしても、すでに出血は致死量に達している。


 もしシオンに圧倒的な力が備わっているのならば、最初からそれを当てにした戦い方をしているはずだ。カナンを打ち破るほどの法術を放ったり、頭上に巨大な転移門を開いて全面攻撃をするなど、いくらでも大雑把な戦術を採り得ただろう。



 それが出来ないのは、シオンに元々、さほど強力な天火が宿っていないからだ。



 振り下ろされた刃に、最早カナンの身体を貫くだけの力は残っていなかった。疲労困憊のカナンでさえ用意に受け止められるほど、その動作は緩慢だった。


 シオンの身体が揺れ、仰向けに庭園の中へと倒れ込む。そのはずみに一度目を閉じ、もう一度開いた時、そこに安堵と充足の光が浮かんでいた。

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