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【第百四十節/始末について】

 イスラによる魔神の撃破と、アブネルらを引き連れたカナンの帰還によって、ティヴォリ遺跡での騒乱はひとまずの収束を迎えた。


 そこに至るまでの過程で、オーディスは持ち前のそつの無さで、迅速に事を運んだ。


 彼自らが殴り倒し、気絶させていたグィドの身柄を抑えると、「負傷の治療」と銘打って隔離し指揮系統を断絶。もとより士気が低く、相次ぐ異常事態によって疲れ切っていたラヴェンナ軍の身動きを封じることに成功した。


 もちろん、ラヴェンナ軍の負傷者を回収し、ヒルデに治療させることも忘れていない。貴重な食料までも開放し、傷を負っていない兵士にまで分け与えた。


 それは武装解除の一面もあり、同時に彼らの敵愾心を減退させる効果もある。一面的な対応だけでは反発を生むだけだが、色々と手厚く対応してやれば、衝動的な行動を抑制することが出来るのだ。


 また、難民相手にはペトラやサイモンらを動かし、説得させることで混乱を収めようと取り計らっていた。竜に乗ったクリシャが居留地に戻り、カナンの説得が成功したことが伝えられると、彼女の名前を出して一気に人心の安定を図った。


 カナンがアブネルらと共に居留地に戻った時点で、混乱のほとんどは鎮火していた。


 しかしそれは、問題の完全な解決を意味しない。むしろ、新しく出てきたいくつかの問題によって、カナンは再び頭を抱える羽目になった。


 その筆頭は、無論、彼女に関することだった。




◇◇◇




「即刻処刑すべきだ!!」


 ゴドフロアが、怒声と共に拳をテーブルへと打ち付けた。他の何人かも、彼ほど激発はしなかったものの、渋い顔をしている点では変わらない。


 カナンは困り果ててペトラを見やった……が、ことこの件に関しては、彼女からの援護も期待出来そうにない。相手にどんな事情があれ、彼女が魔女の味方である事実は消えないのだから。


「夜魔憑きのサラ……」


 ぽつりと名前を呟いてみる。


 居留地に戻った直後、カナンは気絶した彼女と対面していた。顔は蒼白で、ぐったりとトビアの腕の中で横たわっていたが、胸は微かに上下していた。


 今は、グィドと別の場所に隔離してある。無論監視付きの状態で、だ。


「今すぐ処刑するわけにはいきません」


 頭に包帯を巻いたオーディスがゴドフロアを諌める。


 魔神との戦いが終わり、彼自身満身創痍の有様だったのだが、ヒルデやカナンからの治療は他の者に譲っていた。そもそも彼女達が治療を申し出た時には、自分で包帯を巻き終えてしまった後だった。傷口に触るのか、シャツのボタンはいくつか外し、外套も羽織るだけにしている。


「彼女からは聞くべきことが山ほどある。……よしんば何も語らないとしても、彼女がここに現れたという事実自体が、大きな意味を持つ」


「と、言うと?」


 ペトラが聞き返すと、オーディスは人差し指を上に向けた。


「まず第一に、王配グィドがここを訪れた理由。カナン様の日誌はラヴェンナに届いていないにも関わらず、彼は我々の行き先がここ、ティヴォリ遺跡であることを知っていた。その情報を漏らしたのは、十中八九、彼女だろう」


「それはまあ、あたしらだって察しがつくさ。でも、なんでこんなことをしでかしたのか、その理由が分からない……こんなことをして、ウルクが何か得するってのかい?」


「パルミラでのことを思い返してほしい。そもそもウドゥグの剣を流出させたのも、遺跡の都と呼ばれるウルクと見て間違いないだろう。あの場にも、あの夜魔憑きの娘が暗躍していた。


 ウルクは諸君らが脱出した時点で、次の戦略を立てていたのさ。労働力の低下に伴う作業効率の悪化と情報流出……ウルクの発言力が低下するのは目に見えていた。


 だからこそ、他の煌都で人為的に騒ぎを起こすことによって、低下したウルクの国力と同等の位置に引きずり落とそうとしたのだろう」


 オーディスの推理を聞いて、居合わせた面々は唸り声をあげた。今の自分達は、言ってみれば身体の中に出来たこぶそのもの。下手に突いて破裂すれば、たちまち体内は血塗れになるだろう。為政者ならば細心の注意を払って事に当たるのが妥当だ。


 現にパルミラの商人会議は、カナンの交渉と商材ありきとはいえ、彼らを決して虐げなかった。難民が領内で拡散することの危険性をよくわきまえていたからだ。


 今回、もし鎮圧に失敗していたなら、予想しうる最悪の事態に陥っていたことは疑いようもない。難民は拡散して混乱を広げ、それを収集するはずだったカナンら首脳陣は拘束される。エデンへの遠征など夢のまた夢だ。


「…………いくらウルクでも、そこまで利己的になるとは思えないけど」


 あまりに突拍子も無い話に、ペトラは頭を掻いた。わざわざ世界に混乱を広げることで、自らの地位を守ろうとする精神構造が彼女には理解出来なかった。


「政治とはそういうものだ。倫理的な方法論が、常に正しいとは限らない。そしてそれは、我々にも言えることだ」


 その言葉を聞いて、カナンはオーディスの言わんとしていることを察した。


「……夜魔憑きのサラを、ウルクとの交渉材料に使う」


 ぽつりと呟いた言葉を、オーディスは聞き漏らさなかった。「その通りです」と相槌を打つ。


「彼らにしてみれば、これ以上権威の失墜は招きたくないはず。となると、あの娘を我々が押さえている以上、彼らは我々の要求を呑むほか無いのです」


「彼女の身柄を使ってウルクを脅迫する……そういうことですね?」


「左様です」


 今回の事件では、ラヴェンナ側にも、難民側にも、少なくない数の死傷者が出ている。その原因を作ったのがウルクであると知れれば、当然ラヴェンナは批判するだろうし、他の煌都からも冷遇されるに違いない。


 いざ利用するとなれば、いくらでも使い道は考えられる。今後、救征軍の有利になるような発言をさせることも出来るし、もっと直接的に金銭や物資を要求することも出来るだろう。何もかもギリギリの所でやりくりしているカナンにとって、そうした物が欲しくないと言えば嘘になる。


「でも、それは彼らがサラとの関係を認めた場合に限るのではありませんか?」


 一瞬でも脳裏に組み立てた打算を打ち消すように、カナンは言った。


「ああ。結局、あいつと連中をつなぐ物的証拠は何も無いんだからね。そうトントン拍子に上手くいくとは思えないよ」


 続いてペトラも言葉を引き継ぐが、オーディスには一片の迷いも無かった。



「無いなら吐かせれば良い」



 オーディスはこともなげに言い放った。その意味を理解出来ないほど、カナンもペトラも鈍くは無い。


 二人だけでなく、ゴドフロアやギスカールといったラヴェンナ側の面々も押し黙った。ただ一人、オーディスだけが淡々と振る舞っているが、カナンにはいつもより無機質に映って見えた。


「拷問にかけろ、ということですか?」


「それは私が引き受けます。こうして言い出した以上、他の者に任せたりはしません。


 彼女は情報の宝庫です。当事者のみしか知り得ない情報をいくつも持っている。それを突き付けられれば、ウルクの連中も素知らぬ顔は出来ないでしょう。


 ……他の者も、異論はあるまい」


 天幕の中、オーディスの声だけが響く。他の者は「うん」とも言えず、首を振ることも出来ず、固まっていた。カナンでさえ例外ではない。それほどまでに、彼の態度は冷徹だったのだ。


 だが、誰もがオーディスの言うことの正しさを認めてもいた。正直なところ、夜魔憑きの娘をただ囲い込んだところで、良いことなど何一つ無いのだ。


 それなら政治的に利用する方が価値がある。カナンもまた、サラを難民の中に溶け込ませることの困難さを思うと、頭を抱えるほかなかった。


(心情的には……到底同意出来ないけど……)


 カナンはこれまで、トビアが頑張る姿をすぐ傍で見てきた。ようやく彼女と再会出来たというのに、取り上げ、拷問にかけるなど絶対に容認出来ない。もしそんなことをすれば、自分はトビアから死ぬまで軽蔑されることだろう。


 だが、オーディスの冷徹な意志をくじく自信も、カナンには無かった。彼は常に正論しか言わない。目的に向かっては常に最短距離を選ぶ。ペトラはそのあたりに漠然とした危うさを感じており、カナンもまた、その危機感を共有している。


 しかし、それとこれとは話が別だ。オーディスに対する危うさと、現在の問題を一緒くたにすることは出来ない。何より、カナンは代案を見出せずにいる。


「彼女が目を覚まし次第、尋問を行います。それで口を割らなければ……後は私が引き継ぎます」


 そう言い残すと、オーディスは席を立った。カナンには、彼を引き留める合理的な言葉が、どうしても思い浮かばなかった。

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