うまれた時から、檻のなかに居た。いまでも残っているいちばん古い記憶は、木の格子の向かいがわに大勢の顔が見えたこと。
たぶん、四歳だったか、五歳だったか。それくらいの頃から、夜魔憑きのわたしは見世物として
わたしを親代わりに育てたのは、闇渡りのオムリという男だった。人並みの背丈なのにがっしりしていて、それでいていつも身だしなみに気をつかっていた記憶がある。匂いつきの油脂でかためたヒゲのこととか、よく覚えてる。
「いいか、サラ。夜魔憑きのお前が生きていけるのはこの道しか無い。お前を持て余していた親に代わって、こんなに大きくなるまで育ててやったんだ。恩に報いろよ」
育てるってことが、檻に閉じこめて水と食べ物だけを与えることを指すのなら、たしかに彼は育ての親だ。
逃げ出すことも考えなかったわけじゃない。でも、闇渡りに必要な知識は何一つ教えられていなかった。わたしにやどった夜魔たちは、身体の危機は救ってくれても、空腹や渇きをいやしてくれるほど器用じゃない。
オムリのもとにいれば、飢えることはなかったし、普通の子供にくらべれば贅沢をしたと思う。でもたぶん……いや、ぜったいに、彼がわたしにあたえたものより、わたしが彼にもたらした物の方が多かったと思う。
オムリは頭のまわる人だった。闇渡りにしては珍しく、読み書きや計算が大得意だった。それ以上に商売の才能があった。
わたしを両親から買い上げた時に、彼はすごいひらめきに恵まれた。
夜魔憑きの子供なんて、誰もいりません。たぶん銀貨数枚くらい(もっと安い?)で買えます。
馬車に乗せられるくらいの檻を用意します。あと垂れ幕も。そしてその子を投げこんで飼います。
その子がちょっと大きくなるまでまちます。
……自分が見世物にされてるって気づいたのは、七歳くらいのころだったかな?
闇渡りだって人間だから、娯楽はほしい。いつもは喧嘩ばかりしている人たちも、たまには集まってお祭り騒ぎをすることがある。
オムリは、そんな場所にわたしを連れていって、世にもめずらしい成長した夜魔憑きとして展示した。
なかなか見られるものじゃない。夜魔憑きは、大抵生まれた時にころされることになっている。わたしが生まれてすぐに処分されなかったのは、力が現れるのが遅かったのと、両親のうっかりのせいだ。
この見た目も、オムリにとっては良い客引きになったと思う。もしわたしが夜魔憑きでなかったら、高級娼婦に育てるためにそれはそれで大切にされていただろうから。
木の檻のなかに閉じ込められたわたしは、頭のふたつある蛇とか、人語っぽいものをしゃべる猿と、大して変わらなかった。オムリからの扱いも、観客たちの態度も、人間に対してするようなものではなかった。
……べつに、それをグチグチ言いたいわけじゃない。
これはあくまで、わたしのありのままの経歴。人生のある一時期まで(といっても、まだ十四歳なんだけど)わたしは動物か、それ以下のものだった。
でも、時間が流れるにつれて、オムリはわたしを持て余しはじめた。
ひとつは、わたしの力がすこしずつ強くなりはじめていたから。もう、いつ木の檻が壊れるか分からないくらいに、わたしのなかの悪魔たちは力をつけ始めていた。
もう一つは、わたしが確実に綺麗になると気づいたこと。
オムリからすれば歯がゆかったと思う。だって、わたしに娼婦をやらせようにも、近づいた男の人を絞め殺しかねないから。それだと商売にならない。
……そう、商売にはならない。でもオムリは悪知恵のはたらく人だった。
十歳くらいになると、わたしの背もすこしずつ伸びはじめて、身体つきも変わりはじめた。今だって成長してるところだし。
闇渡りのなかにだって、物凄い変態はいる。ちょうどそれくらいの女の子にしか興味が無いって人たちだ。
もちろんそんな性癖は、いくら闇渡りでもおおっぴらにはできない。なんて言うんだろ……男のコケン? ってのに関わるから。でも、視線でだいたい分かってしまう。オムリだって見破っていた。
だから、オムリはそういう人たちにわたしを売った。たぶん人気のないところで取引をしていたに違いない。
ある日、男が檻の鍵を開けて入ってきた時はびっくりした。首には数種類のハーブで編みこんで作った首輪をかけていた。
その時は、さすがに動転してて気がつかなかったけど、冷静に考えればけっこう簡単。
オムリは「夜魔憑きを飼い慣らす秘訣」と称して、適当に作った首輪を売っていた。今でもうまいと思うんだけど、この首輪の値段は高くもなく安くもない、ちょっと手を出してみようかな、って思えるくらいに設定してあった。
それでも、人間ていどの知能を持ってるなら食いつかないんじゃないかな。わたしみたいに、ちょっと冷静になれば分かることなんだから。
でも、ふだんは抑えられている欲望に付けこまれると、人間の理性なんて簡単に崩れる。わたしはこの一件でそのことを学んだ。欲望のためなら、人間はどこまでも馬鹿になれるんだって。
たかが匂い草で、夜魔の殺意を抑えられるわけがない。
気がつくと、その人はわたしの檻のなかで倒れていた。首は変な方向に捻じ曲がってて、ずたずたになった首輪が散らばっていた。
外でオムリが大騒ぎしているのが聞こえた。「俺の夜魔憑きに手を出そうとした!」とか「この変態野郎!」とか「賠償しろ!」とか。
でも。わたしの耳には、遠い遠い世界の残響のように聞こえた。
わたしの立っている場所は、あそことは違うんだって。あんな悪人たちでさえ存在の許される世界に、わたしは居てはならないんだって。身体はここにあっても、わたしの心は瘴土と結びついている。
そこから忍びこんだ夜魔が、わたしを怪物にしたんだ。
……自分が、人より悪いものだと思い知らされたのは、この時がはじめてだった。
オムリはまんまと男の所有物を手にいれた。闇渡りに裁判なんて無いから、大きく騒いだ者が得をする。上機嫌になって、わたしにも豪華な菓子を買ってくれたけど、そんなものは欲しくなかった。何も喉を通らなかった。
そのまま、何も食べずに死ねば良かったんだ。夜魔たちだってそこまでは邪魔できない。
でも、わたしは今も生きている、その時も今も、どうしてか死にたくなかった。
だからわたしは、自分が嫌い。こんななのに、自分を葬ろうとしない臆病さが、生き汚さが嫌い。自分があってはならないものだと分かっているのに、それを受け入れようとしないのは、オムリなんかよりもずっと卑怯だ。
そうして、ずるずる生きつづけて、二年のあいだに同じ手口で五人殺した。
オムリにつれられてあちこちを周り、そして十二歳の時、わたしたちはウルクに流れ着いた。