目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
【第百三十節/火種 下】

 サロムやギスカールが肩で息を切らしているのを横目に、イスラは黙々と後片付けを進めていた。梟の爪ヤンシュフで散らばらせてしまった薪を拾い集め、篝火の中に再度投げ込んでいく。乾いた音と共に火花が飛び散り、火柱が夜空に昇る。


「見てたよ、やるじゃないか」


 全員分の水を配って回っていたペトラが盆を差し出す。やや爪先立ちになっていたため、水面がぷるぷると揺れていた。礼を言ってから一気に飲み干し、息を吐く。


「あいつと旅に出てからずいぶん鍛えられたからな。エルシャの頃と比べたら、段違いに強くなったと思うよ」


 自分が前よりもずっと強くなったことは、イスラ自身も自覚していた。カナンと出会った頃の自分では、サウルと斬り結ぶどころか追いつくことさえ出来なかっただろう。戦いの基本的な技術に加え、応用や先読みといった高度な部分まで、以前とは比べ物にならないほど成長したという実感がある。


「……でも、色々見えるようになったから、俺がまだまだだってことも分かるんだよ」


 それもまた偽らざる本音だった。今省みると、昔はよくあんな雑な戦い方でやってこれたものだと感心してしまう。


 もちろん、今でもそこまで上品な戦い方が出来るわけではないのだが。


「あれだけ綺麗に捌いておいてよく言うよ。梟の爪ヤンシュフだって完全に使いこなしてたじゃないか」


「こいつか……」


 左袖をまくり上げると、そこにはサウルの使っていた梟の爪ヤンシュフが取り付けられている。パルミラからの出発直前、都軍の将軍から「勲功者の戦利品」という名目で送られたものだ。本来なら両腕に装備するものなのだが、片方は鋼線ごと明星ルシフェルに断たれて全壊してしまったため、これ一つしか残っていない。


 言うまでも無く現代の技術では再現不可能な代物で、柔軟性と耐久性を併せ持つ特殊鋼線の仕組みは、ペトラ達岩堀族の知識をもってしても解明出来なかった。せいぜい錆びないよう整備するのが関の山だ。


「こいつを使ってると、なおさらそう思うんだよ。俺なんて、せいぜい物を引っ張るくらいしか使えてないからな。闇渡りのサウルはこいつを使って戦闘も移動もこなしてた。あれくらいやってみせなきゃ到底使えているとは言えないさ」


「そのサウルという男は、それほどまでに強かったのですか?」


 一服したギスカールが興味深そうに尋ねてくる。歳はイスラより上だが、元々の童顔に淡い亜麻色の癖毛が合わさって、一言でいえば「坊ちゃん」といった印象を与える青年だ。良くも悪くも育ちの良さが強く出ていて、闇渡りが相手でも敬語を使って話してくれるのだが、一方で剣術は典型的な道場剣法に陥っている。


 こんな質問を投げかけてきたのも、自分の弱点を意識してのことだった。


「そうだな……」


 イスラは少しだけ考え込んだ。「強かった、それは間違いない」とだけ言うことは出来た。ただ、そこから一歩進んで説明するのは彼には難しい。


「……でも、誰よりも強いってわけじゃなかった。剣の腕前だけなら、オーディスの方がずっと上だろうな」


「シャティオン卿は、ラヴェンナ全土でも屈指の戦士ですから。領内で互角に渡り合えるのは、ロタール卿と亡きエマヌエル殿下くらいでしょう」


「ああ。あたしも名無しヶ丘の戦いでしか見てないけど、怖いくらい無駄が無かった。あのまま続けてたら勝ってたんじゃないかい?」


 ペトラの言う通り、万全の状態のサウルと唯一互角に渡り合えたのはオーディスただ一人だ。一時は圧倒していたと言っても良い。


 それでもオーディスはとどめを刺すことが出来ず、逃走を許してしまった。それが結果的にヴィルニクの死につながったのだ。


「剣術だけなら、サウルがオーディスに敵うはずがないさ。サウルの強さの根っこは、ひたすら生き延びて色んな経験を積んできたことだよ。だからどんな武器も使いこなすことが出来たし、死にそうになる前に逃げることが出来たんだ。


 ……まあ結局、泥臭い奴だったってことだよ」


 突き詰めれば生き残った者こそ勝者なのだ、とイスラは思う。どんな強さも生存に貢献しなければ意味が無い。これは彼だけでなく、闇渡り全員にとっての共通認識だ。


 サウルもそれを分かっていたはずだ。だからすんなりと己の敗北を受け容れた。


「あの禿げダルマだって、分かってるはずなんだがな……」


 だが、今の彼なら、人の心が容易ならざるものであることも、分かるのだった。




◇◇◇




「あの糞餓鬼共、調子に乗りやがって!」


 誰が言ったかそんな怒声が天幕の中に響き渡った。それは、この場にたむろする連中の総意だった。


 名無しヶ丘の燔祭ホロコーストを生き延びた戦士は五十人にも満たない。その分強靭な生命力と強運を備えた者ばかりであり、いずれも百戦錬磨の兵揃いだ。血気盛んな彼らにしてみれば、武器を取り上げられたうえに飼い殺されているような現状は、到底納得出来るものではなかった。


 自棄を起こした誰かが酒の入った杯を投げる。その飛沫の掛かった男がいきり立って掴みかかろうとするが、アブネルに睨まれすごすごと腰を下ろした。


「下らん騒ぎを起こすな」


 左腕に巻いた包帯を変えながら、呟くような声で命ずる。騒がれると目をつけられる可能性もあるが、それ以上に傷口に響く。


 名無しヶ丘の戦いで最後の突撃を行った彼は、継火手の法術を間近に喰らい重傷を負った。目を覚ました時には戦いは終わっており、ろくに抵抗も出来ないまま馬車の荷台に乗せられてパルミラへと送られてしまったのだ。


 火傷の規模は左半身を覆う程で、明らかに致命的な怪我だった。それでも生き長らえたのは、寝ている間にカナンの天火アトルが与えられたからだった。


「アブネルよぉ……お前だって満足しちゃいないだろ?」


 酔った闇渡りが、胡座をかいて座るアブネルの前で杯を揺らした。


「だから何だ」


 アブネルの鉄面皮は動かない。しかし、彼がこの中で最も不満を溜め込んだ人間であることは、全員が察していることだった。


「誤魔化したって分かるぜ。お前はあのイスラとかいう若造に一杯食わされたんだ。あの戦いに負けたのだって、お前が……」


 それ以上は続かなかった。火傷に覆われた左腕が男の首筋を締め上げる。そのまま、暴れる余裕も与えず地面に叩きつけた。


 天幕の中の爛れた空気が、一気に冷え込んだようだった。


「……」


 蝿を潰すほどの感慨も無かった。白けた空気の中、アブネルは黙々と作業を続ける。


 だが、男の言ったことが彼を苛立たせたことも事実だった。


 しかし、その苛立ちがそこまで単純でないことも、彼は自覚していた。そしてイスラと同じように、闇渡りであるアブネルもまた、己の感情を言語化することが下手だった。


 周りの者からすれば、図星を突かれた彼が口止めしたように見えたかもしれない。しかし、騒がれさえしなければ、何と思われようと構わなかった。



「ずいぶんみっともない姿をさらしているわね」



 だが、場にそぐわない侵入者の言葉が、アブネルの感情を逆なでした。


 いつの間にか、鳥の翼のような衣をまとった少女が天幕の中心に立っていた。


「ひさしぶりね、闇渡りのアブネル」


「貴様……ウルクの夜魔憑きか」


 殺気だつ男達の只中で、サラはクスクスと笑いながら人差し指を唇に当てた。アブネルは無言のまま男達を制すると、「今さら何の用だ」と問いかけた。


「あなたたちの役にたとうとおもって」


 のうのうと言ってのけるサラに対して、アブネルは鼻で笑った。


「下らん挑発をしておいて、良く言えたものだ。大方、俺たちをまた使い走りにする算段だろう?」


 その言葉に対して、サラは無邪気なほどの笑顔で「そのとおりよ」と言ってのけた。


 挑発され、頭に血の昇った闇渡りが飛び掛かろうとする。だが、その男が立ち上がるより先に、地面から伸びた真っ黒な槍が突き付けられていた。


「怪物に突っかかる必要はない。貴様らは黙っていろ」


 軍が崩壊したとはいえ、アブネルはかつて副将格の立場に居たものだ。体裁と階級は一応揃っているし、闇渡り達を威圧するだけの風格も捨ててはいない。


 何よりアブネルは、サラが「怪物」という言葉に、本人が思っている以上に敏感だと見抜いていた。それを言われた瞬間だけ、彼女の余裕のある表情に隙が出来るのだ。


「さっきもいったように、わたしたちはもういちどあなたたちに仕事をまかせたいの。ほんとうは分かっているんでしょう? いまのままだと窮屈だし、絶対に長続きしないってことくらい」


「……」


「火種はいくらでもあるわ。それこそ、わたしが火打石をうつまでもないくらいに。でも、もっとハデに燃えてほしいの。そしたら、その隙をついて、あなたたちも逃げられるでしょう」


「逃げて、どうなる」


「さあ? それくらいは自分で考えたら? すくなくとも、飼い殺しよりはマシだと思うけど」


 サラはそれ以上対話を続けようとはしなかった。足元から影が伸び、彼女の身体をすっぽりと覆い隠す。それが消えた時には、サラの姿も一緒に消え去っていた。


 あとに残ったのは、不気味な沈黙だけだった。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?