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【第百二八節/エマヌエルの服】

 カナンが姿を現した時、ペトラやサイモンは一瞬誰が入ってきたのか分からなかった。


 今まで彼らと一緒に旅をしてきた少女は、いつも質素な服装しか着ていなかった。無頓着といって良いほど地味な服ばかりで、いつの間にかそれが当たり前になっていた。


 だから、いざ継火手らしい格好をしたカナンを見ると、驚嘆せずにはいられなかったのだ。イスラでさえ、見惚れてしまった。


 白を基調にしたダルマティカが全身を包んでいる。ゆったりとした上着だが、袖や脇下を縫い止めてあるだけなので、動きを阻害することはない。布は膝まで垂れているが、腰に締めた青色の帯でまとめられている。


 袖や襟首には、没薬樹の枝を模した金糸の刺繍があしらわれている。外套を留める白百合型の飾り具には聖銀が使われていた。


 ダルマティカがほぼ全身を覆っているため隠れているが、上着の下にはブラウスとズボンを着用し、ロングブーツを履いている。単に綺麗な服というのではなく、旅装、あるいは戦闘用に使うことも配慮してのことだ。


 その衣装には、かつてエマヌエル・ゴートが就いていた特殊な立場が現れている。服や外套に使われている白い生地は継火手の身分を表現するものだが、形状は戦士や旅人の物に近い。腰帯に留められた金具からは細剣の鞘が下げられているし、ロングブーツも長旅に適した頑丈なものが選ばれている。


 戦士、聖職者、そして旅人。救征軍という組織が内包する要素を集約した服装なのだ。


「……その、変、ですか?」


 いつまで経っても誰も口を開かないため、いたたまれなくなったカナンは縮こまってたずねた。旅に出る前も、こんなに派手な服は滅多に着たことがなかった。少し丈が長いことも、似合っていないのではないかという不安感を膨らませた。


 だが、ラヴェンナ貴族たちは立ち上がり感極まった様子で口々に賞讃の言葉を投げかけた。ヒルデが涙ぐむのはカナンも見慣れてしまったが、ゴドフロアのような老兵まで半泣きになっているのを見ると、どう声を掛ければ良いのか分からない。


「申し訳ございません……まるで、エマヌエル殿下が帰ってこられたようでした。あの御方は、救征軍そのものでした。無能な我々が守ることが出来なかった……その考えを受け継ぐ方と、生きている間に相まみえることが出来るなど、吾輩にとっては望外の喜びなのです」


 その言葉に、カナンは何故彼らがこれほど感激し忠誠を示してくれるのか、少しだけ分かった気がした。


 もし自分がここまでこなければ、彼らはもう一度エデン探求に挑戦することも出来ず、死ぬまで燻っていなければならなかったのだ。


 己の本分を果たすことも出来ず、生殺しのままでいる辛さは、カナンにも理解出来る。


「ロタール卿、それから皆さん。私も、思いを同じくする人たちと共に旅が出来ることを嬉しく思います。どうかよしなに」


「ハッ!」


 次にカナンは、ペトラ達難民団のメンバーに視線を向けた。


「……ペトラ?」


「あっ、はいっ」


 ペトラがピンと背筋を伸ばした。カナンは苦笑した。


「服が変わったからって、中身まで変わりませんよ。私はいつもの私です」


「あ、ああ……いや、そりゃあそうなんだけどさ。なんというか、今までそんなちゃんとした服を着てるとこ、見たことなかったからさ。びっくりしたよ」


「ああ。あんまり継火手って感じじゃなかったもんなあ」


 ペトラにせよサイモンにせよ、カナンが継火手であり天火を扱えることも分かっていたのだが、彼女の社会的な地位を意識したことはほとんど無かった。それはやはり、カナンが地位に見合った服を着ることを避けてきたからだろう。


 しかし、カナンが言う通り、服が変わったとて彼女の本質が変わったわけではない。彼女の本来の地位が服という形に現れるとしても、そのお人好しぶりや優しさは、相変わらず照れくさそうな笑顔の中に宿っているのだから。


(あんたのその表情が、天火以上にあたしたちを守ってくれてたんだよ)


 カナンは恥ずかしそうに首を傾げている。結局、パルミラでの安住を捨ててここまで付いてきたのは、あの表情を守りたかったからなのだ。


「……なあ、イスラ。あんたからも何か言ってやりなよ。せっかくの晴れ着姿なんだからさ」


「ん?」


 イスラは机に頬杖をついたままじっとカナンを見ている。その視線が、足先から頭の天辺までを往復する。カナンは身をこわばらせ、他の者達もイスラが何を言うのか聞き耳を立てていた。


 やがて、イスラは少しだけ相好を崩した。


「その恰好なら、一番良い山車だしに選ばれるだろうな」


 その意味が通じたのは、カナン一人だけだった。他の者がきょとんとした表情を浮かべるなか、気付いたカナンはクスクスと声を漏らして笑った。


 ……そういえば、あの時・・・は途中で話が途切れてしまったのだ。まだ一年も経っていないのに、ずっと昔のことに思えた。


「……あの時のこと、本当になっちゃいましたね」


「お前はどんどん偉くなっていくしなあ」


「そうですねえ。あの時は、こんな風になるなんて思いもしませんでした」


 本当に、こんな風になるなんて思いもしなかった。自分が救征軍の指導者になることもそうなのだが、それ以上に、誰かを好きになるなど一年前の自分は想像も出来なかっただろう。


 こうして二人にしか分からない会話をしていると、何か秘密の相談事でもしているようで、少しだけ胸が弾んだ。


 遠回しだが、イスラが「綺麗だ」と言ってくれたことが嬉しかった。


(姉様が服や宝石を買ってた理由、今ならちゃんと分かる)


 カナンにとって、それは嬉しい変化だった。


 旅を始める前、姉が持っていて、自分が持っていなかったもの。それが今は、確かに自分の中に宿っている。他の人たちと同じように、誰かを素直に愛することが出来るのだ。


 カナンが人知れず自分の成長を実感していた時、扉が開いてオーディスが戻ってきた。


「お待たせしました、丁度……」


 室内に入ったオーディスは、たたずむカナンの姿を見るなり言葉を失った。軽く息を呑んだ音は、彼以外の誰にも聞こえなかったが、動揺していることは明らかだった。


「よくお似合いだと思いませんか?」


 ヒルデに話しかけられるまで、彼らしからぬ隙だらけの表情を晒していた。その立ち直りかたも、いつものような冷静さを欠いているようだった。


「やっぱり、エマヌエル殿下が戻ってこられたように思いましたか?」


「……死者は生き返らないよ、ヒルデ」


 カナンは、ひょっとしたらオーディスの気分を逆なでしてしまったかもしれない、と思った。煌都において、継火手と守火手の関係は、将来の結婚を示唆するものだ。この家に彼女の服が保管されていたことも、二人の私的なつながりがあったからなのかもしれない。


「あの、お返しした方が良いですか……?」


 そう聞き返すが、その時はすでに、オーディスはいつもの冷静な態度を取り戻していた。


「いえ、自由に選んでくれと頼んだのは私の方です。それに埃をかぶったまま置いておくより、意志を継いだ方に着ていただいた方が、殿下も喜ばれるでしょう。


 それより、先程最後の協力者より連絡が入りました。都市の近辺では合流が難しいため、ティヴォリ遺跡に集結したいとのことです」


「合流が難しい、というと、何か理由があるのですか?」


「ええ。信頼できる者達ですが、煌都の人間からは敬遠されているのです。ただ、初めて見るときのために、今は口を閉ざしておきましょう。


 ティヴォリまでは、ウルバヌスから徒歩で二週間ほどになります。あまり長く待たせるわけにもいかないので、我々もそうそうに出発の準備を始めましょう」


「分かりました。それでは、私は居留地に戻り出発の指揮を執ります。皆さんも、後日またお会いしましょう」


 カナンの号令を契機に、長い昼食会は終わった。


 これからのことを考えながら参加者たちに挨拶をする間、カナンは、オーディスが見せた動揺が、少しだけ頭に引っかかっていた。

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