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【第百十三節/ヴィルニク 上】

 オーディスの剣技を前に、サウルは徐々に追い詰められつつあった。闇渡りの戦い方は速さを最も重視するが、オーディスの速さはサウルを上回っている。剣の動き、反応速度、そして判断の速さ、全てにおいて尋常ではない。


 それでも倒しきれないのは、サウルが痛みを感じていないかのように食らいついているからだ。オーディスを恐れるどころか、むしろ前へ前へと踏み込んでいく。それでどれだけ傷が増えようと、死ななければ何でもないと言わんばかりだ。その何も考えていないような戦い方は、もとより読み合いを拒否している。


(だが……!)


 ただの愚者が生き残れるほど、夜の世界は甘くない。軍人として夜の森を渡り歩いた経験のあるオーディスは、そのことを良くわきまえていた。

 ましてや王を名乗るほどの男となれば、どんな悪意や狡猾さを備えているか分からない。


 策を使われる前に仕留める。オーディスはそう決意して、一気に踏み込んだ。


「この野郎っ!」


 サウルは双剣を繰り出すが、オーディスはそのどちらをも剣で抑え込んだ。互いに両腕が使えなくなった時点でさらに踏み込み、サウルの額に頭突きを見舞う。


 うめき声を出しながらサウルは飛び退った。それ自体は自然な反応だ。オーディスも動きを読んで追撃に移っている。態勢の崩れた今なら仕留められると思った。


 だが、サウルは口元を歪ませる。


 後退した隙に乗じて、サウルは腰のベルトに留めていた球状の物体を地面に叩き落とした。衝撃で金具が外れる際、ベルトと球体をつないでいた微細な歯車が回転し、火打石の要領で火花が散る。油を染み込ませた導火線に火が灯り、糸を燃やしながら球体の中へと潜り込んでいく。


 オーディスはサウルが何かを落としたことに気付いたが、その正体を考察するには、あまりに時間が短すぎた。


 サウルは後退しつつ外套を翻している。その行為が意味するところを、オーディスは半ば反射的に気付いたが、瞼を閉じる程度のことしか出来なかった。


 直後、ささやかな爆音とともに、白い閃光が辺り一面を照らし出した。


(光玉か!)


 閃光は瞼を通り越してオーディスの目を焼いていたが、彼は即座にその正体に思い至った。


 天火以外の照明に関する研究はあちこちの煌都で行われているが、これはその成果の一つだ。何故この闇渡りが持つに至ったかは分からないが、優れた視力を持つ彼らだからこそ、この光を放つだけの武器の真価に気付いたのだろう。


 オーディスの視界が白く染められる。剣の閃く音と踏み込む足音が聞こえた。それに反応してオーディスは剣を構え、わずかに見えた剣閃に反応して刃を弾いた。


「甘ぇ!!」


 足元から錠の外れるような音が聞こえた。それと同時にオーディスの大腿に痛みが走る。血が噴き出すのが分かった。


「チッ」


 舌打ちしつつオーディスは後退したが、サウルは追撃しなかった。動きを制限出来たなら、厄介な相手など放っておくに限る。特にこういう包囲された状況ならば、弱い所から順番に潰していくのが定石だ。


 だから、サウルは一直線にマスィルへ向かった。先ほどの光玉で、周囲にいた人間は敵味方共に視界を潰されている。マスィルもまた、光をもろに浴びて目が見えなくなっていた。


 法術も使えず、目も見えない継火手など恐れるに足らない。だが同じことはカナンにも言える。彼女もまた、視界を奪われて動きを止めていた。それでもあえて狙わなかったのは、彼女が一人で戦っていたからだ。


 マスィルは、守火手と一緒に戦っている。


 だから、一人になると弱い。


 その単純極まる論理は、サウルにとってある種のゲン担ぎだった。


(怖いだろ? 闇の中に一人で居る気分っていうのは)


 真に強い者とは、その闇の中にたった一人で居座れる者のことだ。それを出来ない者は弱者であり、死んでも文句は言えない。


 サウルはウドゥグの剣を構えた。


「だから、死んじまいな」


 その呟きは、ぞっとするほど冷たい響きだった。剥き出しになった純粋の殺意。白い闇の向こうに、マスィルは死の姿を見た。


 それまでの戦意や怒りが、冷水を掛けられたように一瞬で消えてしまった。衝撃に次ぐ衝撃がマスィルの理性を奪い、動きを止める。


 何も考えられなかった。溺れた時のように頭の中が沸き立っていて、斧を振ることさえ考えられなかった。敵がすぐそこまで来ていることは分かるのに、どうして良いか分からない。僅かな時の中に恐怖が凝縮され、その前では火花の継火手と言えどもただの娘に過ぎなかった。


 そして、剣が身体を貫く音が聞こえた。


 顔に血潮が噴きかかる。体温以上の熱は無いはずなのに、それは溶けた蝋のように熱かった。


 だが、痛みだけはいつまで経っても登ってこない。


 白熱した視界の向こうに、大きな背中が見える。その首から、血の絡みついた刀身が飛び出ていた。


「……ヴィル……ニク…………?」

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