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【第百十二節/問いの代理人】

 カナンに限らず、この戦いに参加していた誰もが、サウルをただの闇渡りだと判断していた。事実、その戦略の杜撰さや政治力の欠如ぶりは、とても王の器とは思えない。ただ王という称号を専称しているだけの、他よりいささか強力な戦士なのだと思っていた。


 だが、彼女達が想像する王の姿と、闇渡りにとっての王の姿は、全く異なったものだ。


 彼らの王は獅子の群れの長とほぼ同義だ。それ故に、誰よりも野蛮で、残忍で、何より強くなければならない。


 夜魔や獣、あるいは同じ闇渡り同士の闘争を生き延びてその頂点に立つことの重大さを想像することは、カナンには出来なかった。もとよりカナンは城壁の内側の人間。彼らの闘争の厳しさを、身をもって知っているわけではない。


 闇渡りの王を名乗るには、半端な強さでは足りないのだ。


「ラアアアッ!!」


 咆哮と共にサウルは剣を振るう。怒涛の連撃を前に、カナンはほとんど逃げるのに必死という有様だった。


 長年にわたってギデオンから武術を仕込まれてきた彼女だが、サウルの威圧感はギデオンのそれに匹敵する。技の鋭さや威力に関しては一歩譲るだろうが、師たるギデオンが決して出すことのなかった全力の殺意……それが第三の刃となってカナンを追い立てる。


 ともかく、サウルの攻撃には悪意が込められている。二刀で攻め立てたかと思えば足に向けて梟の爪ヤンシュフを放ち絡ませようとしたり、執拗に武器の持ち手のみを狙って連撃を繰り出し、腰が引けたところに斬り掛かってくるなど、一手ごとに手数を変えるため先が読めない。


 思えば、自分はまともに人と戦ったことがない。


 窮地の中で、カナンの妙に冷静な部分がそうささやいた。せいぜいウルクの不死隊アタナトイを殴り倒したくらいだが、彼らはもともと麻薬で廃人同然になった存在だ。真っ当な相手だったとはとても言えない。


 戦いから逃げるどころか、むしろ堂々と矢面に立ってきたが、人を斬ることは専らイスラに任せきりになっていた。あるいは、彼が率先してその役目を引き受けていたのかもしれない。


 そんな彼女だからこそ、この土壇場にあってなおも降伏勧告を行ってしまった。それが逆に、サウルに付け込む隙を与えた。


「結構な腕前だがなあ、人を斬れない剣なんぞ糞以下よ!」


「くっ……!」


 カナンは斬り返す隙を見いだせなかった。あるいはもしそういう隙があったとしても、本当に斬り掛かれるかは分からない。もしかするとサウルに反撃する機会はいくつもあるのかもしれないが、それをするべきか否かで迷いが生じる。その迷いがカナンの反応を遅らせ、逆にサウルの行動を一層大胆にさせる。


 この状況が長く続けば、いかにカナンの技術が優れていても、いずれは敗北していただろう。だが、彼女は一人ではない。戦意の乏しい彼女に変わり、マスィルが真横から突撃をかけた。


「それだけは同感だ……! 退け、そいつの首は私が刎ねるッ!!」


 マスィルは渾身の力を込めて斧を振り下ろした。大ぶりな攻撃はあっさりと避けられるが、カナンとサウルの間に距離が生じる。そこに割り込み、マスィルは思うさま武器を振るった。


 直情的ではあれど、マスィルの技術はカナンに劣るものではない。情に流されて技の切れが鈍ることもない。継火手の特権、天火による自己強化を存分に活かして一気呵成に攻め立てる。


 弧を描くように横薙ぎに斬り払い、すぐに手首を返してまた斬り返す。接近されそうになれば武器を引き寄せ、風車のように回転させて壁を作る。時には石突で奇襲をかけ、あるいは武器の破壊を狙った一撃を加えもした。


 だが長柄の得物である以上、隙を完全に消すことは出来ない。並みの敵ならば高速で繰り出される連撃に怖気づくだろうが、サウルには通じなかった。技と技の間に生じる、誤魔化すことの出来ない隙を虎視眈々と狙ってくる。


 そうして付け込もうとすると、即座に秘蹟サクラメントをかけられたヴィルニクが援護に入った。


 大楯をかざして攻撃を受け止めるが、サウルの剣は流水のように盾をすり抜け斬りつけてくる。鎧を着こんでいるため致命傷にはならないが、時折剣の切っ先がヴィルニクの身体を抉った。


 それでも反撃はしない。すぐに態勢を立て直したマスィルが斬りかかり、入れ替わりにヴィルニクは後退して天火アトルで回復する。これの繰り返しだ。巡察隊の戦法を組み入れて作った、二人だけの連携だった。こうして攻防一体で戦っている限り、そうそう簡単に崩されることはない。


 一方的に防戦に回らされたサウルは、一度後退して態勢を立て直そうとする。マスィルは追いかけようとするが、ヴィルニクに足並みをそろえるように言われ思いとどまる。いかに熱くなっていようと、まだ判断を誤るほど愚かにはなっていない。


 それにどの道、マスィルが追撃するよりも先にオーディスが斬り込んでいる。


「まだ来るかいっ!?」


「……」


 オーディスは無言のまま、二本の短剣を操りサウルを追い詰めに掛かる。他の三人を相手取っている時と異なり、オーディス相手ではサウルも余裕を見せることは出来なかった。


 技術はもちろんのこと、冷静さや冷徹さといった精神面においてもオーディスは卓越している。サウルの揺さぶりを見抜いて的確に攻撃を捌き、決して主導権を握らせない。


 二人の剣戟の激しさは、それまでと比較にならないほど熾烈だった。刀身がぶつかるたびに文字通り火花が散り、その残像が消えないうちに、また別の閃光が生まれてくる。鉄同士の触れ合う音はあくまで饒舌だが、二人の間に言葉は一切無かった。


 どちらの剣が、どのような軌跡を描いて振るわれているのか、見切ることさえ困難だ。ましてやこれほど激しい応酬となると、カナン達が加勢に入ることさえ難しい。


 だが、オーディスは優位を崩さない。このまま続ければ、いずれサウルの守りにも限界が来る。そして、本人もそのことを自覚している。他の三人ならいざ知らず、単純な剣技だけでは、自分はこの優男には勝てないと。


(けどなあ)


 剣の技だけにプライドを持っているわけではない。むしろ、一つの武器に拘るなど阿保のすることだ。


 逆境には違いないが、サウルにはまだ、この土壇場をひっくり返す切り札が残っていた。




◇◇◇




 戦場の一箇所で戦いが進む中、別の場所でも異なった戦いが始まっていた。もっとも、当事者の片方には、戦いたいなどという思いなど毛頭無かったが。


 月明りによって引き延ばされた影から、サラは次々と夜魔を呼び出して攻め立ててくる。再度風の翼を展開したトビアは辛うじてその猛攻から逃れているが、避けるのが精いっぱいだ。


 戯画化された蛇や鳥、あるいは旗付きの槍が身体を掠めていく。風の障壁によって軌道が反らされていなければ、とっくにずたずたに引き裂かれていただろう。サラの攻撃に手加減は一切無い。こんな状況で話しかけることなど、到底出来そうに思えなかった。


「……でも!」


 トビアは宙に浮いたまま、新たに呪文を詠唱する。紡がれていく言葉に両腕の刺青が反応し、周囲を渦巻く風に新たな指向性を与える。


「空に踊る者達、風の眷属よ。契約に従い、我が元に集え!」


 少年がかざした手の先に魔法陣が展開する。だが、継火手が法術を行使する際に生じる魔法陣とは形状が異なっていた。緑色に輝く文字が螺旋を描くように配置され、円筒状に引き延ばされている。集められた風はその中に吸い込まれ、圧縮されていく。


 トビアは、その筒先をサラに向けた。危険を察知したサラの影が、その身体を覆うように幾重にも壁を作る。


 その中心に向けて、トビアは術を開放した。


 魔法陣の中で集中、圧縮された空気が弾丸となって発射される。轟音と共に放たれたそれは、立ち塞がる夜魔の壁を易々と穿ち吹き飛ばす。飛び散った夜魔の破片が灰となり、乱れた気流に伴われて夜空へ昇る。


 灰のとばりが晴れるよりも先に、トビアは地面に降り立った。


(直撃しないようにはした、けど……)


 今の術は、パルミラで会得した中で最強のものだ。試しに岩に向かって撃ってみたら、跡形もなく吹き飛ばすほどの威力を発揮した。あの夜魔の壁を突き破るにはこれしか手が無かったが、そんな危険な技を人に向けたことがそもそも心苦しい。


(カナンさんも、ずっとこんな風に思ってたのかな?)


 カナンが法術を人に向けないようにしてきたことは知っている。


 初めてサラと戦った時も、カナンが法術を使っていればもっと簡単に勝てたはずだ。それをあえてしなかったのは、油断でも、ましてや傲慢でもない。力を手にした者の責務として、カナンはそれを自制する道を選んだのだ。


(力って、なんだろう)


 視界が晴れ、その先に立つサラの姿が見えた時、トビアの疑問は一層大きくなった。


「凄いね、トビア。ちょっと驚いたよ」


 サラはそう言うが、彼女の足元に潜んだ影は、何事も無かったかのように蠢いている。一時的に吹き飛ばすことは出来たが、根を断つには至っていない。


「でも残念だったね。わたしの影はすぐに元通りになるよ」


「分かってる。それでも、君とこうして話せる」


「話して何になるの?」


 サラは青紫の瞳を細めた。そこには、幼い姿とは不釣り合いな冷たさが宿っている。


 トビアは、それを真正面から受け止めた。目をそらさず真っ直ぐに少女の瞳を見返す。


「君のことを知りたいんだ」


 聞きたいことは山ほどあって、いちいち並べ立てることは出来ない。だがあえて一言でいうなら、そんな言葉に集約されている。


 まだサラのことを何も知らない。だからこそ知りたい、知った上で言葉を重ねたい。


「わたしのこと、知ってどうするの?」


「色々あるよ。でも、まずは……こんなことに手を貸すのはやめてほしい」


 向かい合う二人の周囲では、終わりの見えない戦闘が続いている。都軍の戦列は各所で破られ、突破してきた闇渡りをペトラ達が迎撃している。召喚されたゴーレムが敵を叩き潰す一方、伐剣の刃に倒れ伏す者もいた。


 ウルクの住人であるサラがこんな場所に居る以上、都市と闇渡りの間で何らかの取引があったことは間違いないだろう。遺産の都と言われたウルクからウドゥグの剣が流出し、それが闇渡りの手に渡ったこの事態を引き起こした。その推論が正しいとすれば、ある意味サラこそこの事件の立役者ということになる。


「こんなことを続けても意味はないって、君も分かるだろ!」


「そんなこと分かってる。でも、外の世界がどうなったって、わたしの知ったことじゃないわ」


「無暗に不幸な人を増やすだけじゃないか!」




「だから、それがどうでもいいことだって言ったの」




 サラはあからさまに嘲笑を浮かべた。その歪な表情にトビアは絶句する。その態度の裏に、サラという少女の歪みの全てが隠されているような気がした。


「不幸な人間というなら、わたし達だってそうよ。


 望んでこんな力を持ったわけじゃない。でも、そんなわたし達がいることなんて、世界にとってはどうでも良いことだった。だから地下に押し込めて、居ないものとして扱ったのよ。


 だったら、それと逆のことをわたし達がやって、何が悪いの?」


 これは、サラ一人の言葉ではない。トビアは彼女がずっと複数形の主語で語っていることに気付いていた。




「トビアだって、わたしがか知ってるでしょう?」




 それは、あらかじめ答えの決まった問いだった。


 彼女こそが、サラにとって世界でただ一人の同族だ。


 それ以外の者に何を言われたとて……怪物である自分には、決して響かない。


「そう、響いてたまるもんか……!」


 サラの影達が勢いを取り戻す。彼女の内なる衝動に突き動かされるように湧き立ち、ひしめき合う。


「サラ!」


「わたしは……怪物なんだ……だから、他の人なんて、どうでもいいんだ! トビアも、そうだよ! 消えて!!」


 それ以上言葉は届かなかった。サラの影が殺到する直前、トビアは再び身体を宙に浮かせた。

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