闇渡り達の進撃が始まった時も、鉱山のふもとに展開していた都軍の兵士達は迅速に対応した。三列に並べた槍歩兵の後ろに弓隊を配備し、指揮官の合図のもと一斉に曲射する手筈だった。
だがあろうことか、敵の先頭を走っていた男が足を止めることなく短弓を操り指揮官を射落としたことで、戦列に一瞬の隙が生じた。副官が我に返って発射の合図を出したものの、その時にはすでに、敵軍の先端部は曲射攻撃の死角に潜り込んでいた。
「槍兵、構……!」
馬上にいた副官は、先頭を走る一際速い男の姿が良く見えた。そいつが地面に向けて剣を投げつけ、その柄を踏み台にして三列の歩兵隊を跳び越えたことも、空中で笑いながら剣を振りかぶったことも。
それが見えたと思った瞬間、首から上が胴体よりも一足早く落馬した。
指揮官の立て続けの戦死と指示の遅滞、そして闇渡り達の突進によって、戦列は本来の硬さを発揮することなく崩壊した。王の真似をしようとして槍に全身を貫かれる者や、単純に得物の間合いから刺し殺される者もいたのだが、圧倒的な勢いと士気の高さの前にねじ伏せられた。
「派手な服を見かけたら、そいつが指揮官だ! 指揮官の首は金貨十枚で買ってやる!」
群がってくる都軍兵士を薙ぎ倒しながらサウルは怒鳴った。その檄は全軍に伝播して熱狂を掻き立て、逆に都軍の士気を挫いた。
元より練度においても心構えにおいても圧倒的な差がある。槍の穂先を恐れず突進してくる闇渡りの姿は、人ではなく夜魔のように見えた。
「あいつだ! 馬に乗っている奴!」
「退け、手柄は俺の物だ!」
不幸なのは都軍の中級指揮官だ。欲と血気に取り憑かれた闇渡りにたかられ、馬上から引きずり降ろされた挙句、挽き肉のように滅多斬りに叩き斬られた。手柄を求めるあまり、逆に兵士に取り囲まれる者まで出る始末だ。
サウルは、そんな些事には拘らない。戦意を煽り、号令をかけてひたすら前へと進む。
立ち塞がる者を薙ぎ倒しながら前へ、前へ。
そこに戦術など存在しない。あるのは純粋な闘争本能のみ。生と死を天秤にかけ、そのぐらつきを心行くまで味わっていた。飛んでくる矢を斬りはらうたびに、挑んできた戦士を打ち倒すたびに、全身をめぐる血液がより激しく煮え立った。
剣で敵を割くことの、なんと楽しいことだろう。激情交じりの攻撃を受け流し、脇腹を一撃した瞬間のなんと心地よいことだろう。盾を構えていた兵士を転ばせ、その首筋に剣を突き立てる時など、胸がすくような気持だった。
(そうだ、これだ!)
サウルは心のなかで喝采をあげた。
奪うことこそ己の本質。そして最高の略奪とは、他者の命を奪うこと。戦場はそれを実現出来る最高の舞台だ。
ただ奪うだけでは飽き足らない。己の命を秤にかけ、目一杯揺さぶりながら剣を振るう。それこそが生を実感する至上の方法、最高の博打!
「そこまでだ!」
「ここから先へは行かせん!」
青い外套に身を包んだ戦士達が斬り掛かってきた。さしものサウルも、その鋭さと速さに一瞬虚を突かれたほどだ。
立ちふさがった数は五人、いずれも青を基調とした軍服に身を包んでいる。武器は取り回しの効く片手剣と小型の盾で、構える姿は堂に入っている。一般の兵卒とは違い、緊張こそあるものの怯えの色は見えない。
「都外巡察隊か……面白ぇ、ようやく張り合いのある奴らが出てきやがった」
最精鋭と名高い巡察隊とはサウルも何度か斬り結んだことがある。身体に残った傷のいくつかは、彼らとの戦いでつけられたものだ。
「ま、あの時は十人掛かりだったがな……」
サウルは右手に伐剣を、左手にウドゥグの剣を握り踏み出した。
二人が正面から斬りかかる。他の三人は左右に分かれ、サウルの両側面に回った。
「変わっちゃいねえな」
サウルは即座に彼らの意図を読み取った。
正面の二人は囮と時間稼ぎが目的だ。盾を構え、その後ろから手足を狙って小出しに刺突を仕掛けてくる。それに、片方が崩されてももう片方が前に出るようになっている。
そうして足止めをしているうちに左右から同時突撃、それが防がれても背後に回った五人目がとどめを刺す。巡察隊が使うお定まりの戦法だ。
サウルは真正面から突っ込んだ。二本の剣を振るい嵐の如く敵を攻め立てる。それは全て盾に跳ね返されるが、サウルはあえてそうした。
二人掛かりにも関わらず、巡察隊士は反撃することが出来ない。迂闊に手を出せば、その間隙から剣を捻じ込まれる。それに無理をする必要は無い、堅実に守っていればいずれ……。
「仲間が助けてくれる、とでも思っているのか? 甘いなァ!!」
サウルは二刀を振り上げ二人の盾をかち上げた。だが、それこそ狙い通りだ。隙だらけのサウルに対し、左右に分かれた二人が突進する。
その瞬間、サウルは柄を逆手に持ち替え、両側面から突き出された剣を受け流した。そのまま一歩後ろに飛び、大きく回転しつつ逆手に持った剣で背後に回り込んでいた隊士の肩を抉った。それまで一瞥もくれなかったがために、まさか最初の目標が自分だとは思わなかったのだろう。
サウルはそのまま隊士の背中へと滑り込み、伐剣を突き入れる。まだ生きている人間を盾にしたまま押し出し、動揺した者から順に斬り捨てていく。
「所詮、他人の力を
串刺しにされたままの男の耳元でサウルは囁いた。それが生者なのか死者なのかは、興味が無かった。
◇◇◇
「本陣を後退させる! 各部隊は指揮官を中心に密集し、隊列を維持したまま本隊前に集結!」
ラエドの命令を受けた伝令兵が各部隊の元へと散らばっていくが、果たしてどれだけ部隊を集められるかは分からない。これほどの混戦になってしまうと、闇の中であることも手伝って部隊の損耗を調べることさえ難しかった。
だが、このまま同じ位置に構えていたら、いずれ戦列を食い破った敵に取り付かれる。指揮が少しでも滞れば、それが敗北に直結する可能性さえある。
「ナザラト。左右に展開した別動隊は、いつ頃到着するかな?」
「今すぐ駆け出せば十分程度でしょうが……それでは混乱に拍車をかけるだけで、同士討ちの危険さえあります。両翼の指揮官はそれぞれ優秀な人物ですから、陣形を整えてから前進するでしょう。恐らく、二十分は掛かるかと」
「二十分か……」
ラエド直轄のパルミラ都軍本隊は元々五千名で構成されていた。しかしその中には、輜重隊や工作兵といった直接戦闘の出来ない兵科も混ざっている。実戦力は四千程度で、敵のぶつけてきた総兵力と大きく差があるわけではない。
ここに突撃の衝撃力、士気、技量の優劣が加わわると、千名程度の優位も相当に揺らいでしまう。無論、その優位があるからこそ敵に突破されずに済んでいるのだが、それとて時間の問題だった。
「今からでも巡察隊を戻しますか?」
「馬鹿を言うな。そんなことをすれば即座に戦線崩壊を起こすぞ。精鋭を引き抜かれれば兵達も動揺する。彼らが横に立って戦っているからこそ、意味があるのじゃ」
「は……ですが、このままでは本陣を守り切れません」
冷静なナザラトの額にも脂汗が浮かんでいた。彼の焦燥感も理解出来たが、あえてラエドは一喝した。
「敵が雪崩れ込んできたら、儂らも剣を抜いて戦うまでじゃ」
老将軍は剣の鞘を手で叩いた。参謀は溜息をついた。
「……あまり自信はありませんが、御伴しましょう」
だが、別動隊が到着するよりも、敵の先端部が戦列を抜ける方が早かった。
全身血に塗れた闇渡りが、黒い外套をはためかせ、血刀を携えて走ってくる。周囲には同様に戦場を斬り抜けた闇渡り達が集っている。数はざっと三十程度だろうか。それでも、予備兵力を出し切った本陣には厳しい戦力だ。
「大将は手前か、ジジイ!!」
「彼奴め!」
先頭を走る男こそ敵の首魁であると、ラエドは直感的に悟っていた。長年にわたり闇渡りと対峙してきた彼だからこそ、そのただならぬ迫力を感じ取っていた。剣を抜きはしたが、老いさらばえた身体ではさほど持ちこたえられないだろうと覚悟した。
だが、両者が刃を交えることは無かった。
両者を隔てる空間を蒼い閃光が駆け抜けた。その光が、二人の驚愕の表情を浮かび上がらせる。
「今のは……法術、か?」
ナザラトの呟きを肯定するかのように、継火手カナンは二人の間に立ち塞がった。
「トビアさん!」
「はいっ!」
傍らには鳶色の髪の少年が控えている。詠唱と共に両腕の刺青が緑の光を帯び、集められた風が服や髪を揺らした。
「空に踊る者達、風の眷属よ。契約に従い、霧を掃え!」
少年の周囲に集まっていた風が前方にめけて解放された。一瞬の突風が平原に吹き付け、殺到してくる闇渡りの足を止める。
そうして出来た大気の隙間に向けて、カナンは法術を放った。
「我が蒼炎よ、御怒りの
「チィッ!」
杖から放たれた炎の矢を、サウルは寸前で回避した。それまで彼の立っていた地面が爆ぜ、爆発の残滓がパチパチと宙を舞う。
その光景に誰もが目を見張った。突撃していた闇渡り達でさえ、いや、ウドゥグの剣を信じてきた彼らだからこそ、その光景は衝撃的だった。
王は魔剣によって守られている。その力の及ぶ範囲では、法術はそれを使った者へと跳ね返される。
だからこそ、恐れることなく戦って来られた。少なくとも、虫のように一方的に焼き殺されることは無いのだと信じることが出来た。
その幻想が、今、目の前で砕かれたのだ。
「ウドゥグの剣の能力は把握しています」
杖を構えたまま、カナンは都軍本陣の前に立ち塞がった。
「火山や砂漠といった一部の場所では、地面から臭気を伴った霧が噴き出すことがあるそうです。そこに火を近付けると、松明はいつまで経っても消えることが無い。
ウドゥグの剣は人工の武器ですが、発想は同じです。天火にのみ反応する無臭無色の霧を生成する……それが魔剣の正体」
「……」
フィロラオスの見つけてくれた資料の中に、「燃える霧」について取り上げた地誌が混ざっていた。狭い場所に充満させれば、わずかな火でも爆発を起こす。逆に、かつては燃える霧を用いた暖房機や機械も存在していたという。
旧時代に、そのような物質が知れ渡っていたのだとしたら、同じ発想に基づいた武器が存在してもおかしくはない。風向きに関する情報や、継火手達の遺骸も、正体を割り出すための手がかりになった。
そして、それを無効化するためには、風を操るのが一番手っ取り早い。幸いカナンの元には、風読みの一族の最後の一人がいる。彼の力を借りれば、限定的ではあれ法術を使うことも可能だ。
「貴方の切り札は封じました。もう勝ち目はありません、投降してください」
杖を突き付けたままカナンは呼びかけた。傍らではトビアが、いつでも風魔法が使えるように待機している。
さらに、乱戦を斬り抜けてきたオーディスやマスィル、ヴィルニクも合流した。ゴーレムを展開したペトラをはじめ、難民団の戦士達もサウルを取り囲んでいる。
闇渡り達は見るからに浮足立ち、不安げにサウルの背中を見ている。
敵の本陣はすでに後退を始めており、両翼の都軍も包囲を狭めようとしている。突撃の勢いも止まり、各所では陣形も戦術も無い、野蛮な戦いが繰り広げられていた。
状況は最悪。いや、もしかすると、あの継火手の言う通り勝ち目など無いのかもしれない。
それでも、闇渡りのサウルは笑みを浮かべた。