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【第百十一節/名無しヶ丘の戦い 上】

 三方に分かれた各隊の準備が整い次第、ラエドは全軍に攻撃命令を下した。


 初手は無論、弓や弩による遠距離攻撃だ。弓兵は全て火矢をつがえ、次々と闇渡りの立て籠もる廃坑に撃ち込んでいく。数百に及ぶ火の玉が宙を舞い、風切り音と共に廃墟や天幕目掛けて落ちていく。人々の逃げ回る声が、麓に布陣した兵士達の耳にまで届いていた。


 武器はそれだけではない。組み立ての終わったバリスタもまた、勢い良く弾を打ち出していた。


 ラヴェンナ製の野戦用バリスタは、従来品とは大きく仕様を変えた武器である。


 まず、分解と組み立てが簡単なため移動や展開がし易い。森や砂漠での使用を考慮すると、投石器のような大型兵器などとても持ち込めないが、この武器なら簡単に運搬することが出来る。


 もちろん威力の面では一歩劣るが、その代わりに特殊な焼夷弾頭を装填することが可能だ。


 煌都パルミラの高い加工技術によって実現された、バリスタ用のガラス製弾頭。鏃型に成型されたそれは、発射の衝撃に耐える強度と、必要十分な火力を絶妙な均衡で備えている。内部に充填された油も揮発性の高い上質な物が使われており、着弾と同時に辺り一帯を焼き払うことが出来る。持続性という一点に関して言えば、継火手の操る法術にさえ勝るだろう。


 これを四十門一斉に放てば、敵陣などあっという間に火の海に沈められる。


 これら飛び道具を三方向から撃ち込み、敵の防御体制を崩してから前進するというのが、ラエドとナザラトの考えた作戦だった。


 もちろん闇渡り達も黙ってはいない。岩陰や建物の陰に隠れながら矢を撃ち返してくる。


 訓練された都軍兵士と異なり、闇渡りは個々の技量差が大きい。小型の弓でヘロヘロとした矢を放つ者もいれば、背丈以上の弓に長い腕を添え、都軍の指揮官を堂々と射抜くような達人もいる。


 他にも、革製の投石器でつぶてを投げてきたり、手近な岩を転がして威嚇する者もいた。ひどく原始的だが、さもあらん。


 投石器やバリスタといった大掛かりな兵器など闇渡りに造れるわけがない。仮に試作品が出来たとしても量産することなど不可能だ。


 故に、序盤の攻防は都軍の有利に働いた。弾幕の厚みに物を言わせ、敵からの反撃を最小限に食い止めている。


 すでに焼夷弾のおかげで、敵陣の大半は炎に包まれている。控えさせている継火手を呼ぶまでもない。幕僚の中には、初戦の優位に油断して勝った気でいる者までいる。


 だが、馬上から戦場を見渡していたラエドは違和感を拭えなかった。


「思ったよりもヌルいな……」


「我が方の攻撃が、でありますか?」


「いや、敵のことを言っておる」


 それだけで、参謀長のナザラトはラエドの意図を読み取った。


「わざわざ待ち構えていた割に敵の防御が甘い、ということですか」


「うむ。連中にしてみれば、森の中で奇襲を掛けた方が有利なはずじゃ。にも関わらず連中は防衛戦を選び、かつその守りは不徹底。どうにも胡散臭いわ」


 ラエドの言はもっともだが、あくまで勘の域を出ない。漠然とした危機感に形を与えられずにいる。だが、こういう時に提言するのが参謀の仕事だ。ナザラトはそれをよくわきまえていた。


「現時点で考えられる可能性を列挙しましょう」


「頼む」


「一つ目は、単純に敵の準備が整っていなかった。あるいは準備をしてもこの程度の戦力しか集まらなかったという楽観論です。これが本当ならば楽なのですが、あまり期待しない方が身のためです。


 二つ目は、敵が伏兵による奇襲を予定して陽動を掛けていること。元々手勢は多くないでしょうから、陽動に使う戦力も少なくなります。策としては単純ですが、現状での最有力候補ですね」


「可能性は二つだけか?」


「いえ、もう一つあります。ただこれは……一つ目の可能性よりも非現実的なのですが、敵が何らかの作戦を立てるも失敗し、身動きが取れなくなってしまった、という可能性です」


「ほっほっ、それが本当なら相当間抜けな話じゃな」


「全くです」


 ラエドは一笑に付したが、頭の片隅ではその可能性について検証していた。


 戦闘が始まる直前、カナンとかいう娘がやってきて、敵の陣中に間者を潜り込ませたと言ってきた。見たところ継火手のようだが、継火手の言うことが全て真実であるなどと思うほど、ラエドは馬鹿ではない。


 胡散臭い人間の、非現実的な話。それを信じて戦術を決定するなど愚かにもほどがある。



 だがもし……彼女の送り込んだ人間が、敵の作戦を頓挫させたとしたならば。今、この瞬間こそ、一斉攻撃の好機ということになる。



(下らん)


 しかしラエドは叩き上げの軍人であり、それはすなわち「苦労人」であることを意味した。彼にとって勝利とは、楽して拾えるようなものではない。楽して勝つのが最上とは思うが、それはあくまで楽をするための下準備をした上での話だ。偶然性に勝たせてもらうなど、指揮官の発想ではない。


「決めたぞナザラト、君の二つ目の可能性を採ることにしよう」


「承知いたしました。それでは、各隊は敵からの奇襲に備えて陣形を維持。全方位を監視しつつ敵の攻撃に備える。こんな所でしょうか?」


「結構。むやみやたらに動いて包囲網を崩せば、その隙を突いて敵は突っ込んでくる。こちらの命令があるまでくれぐれも陣を動かしてはならん」


「では、伝令を走らせます」


「頼む」


 現にナザラトの提出した推論は当たっていたし、ラエドの下した判断は至極妥当だった。この時点での彼らの判断材料ではこれ以上の答えを出すことなど出来なかっただろう。そして、なまじラエドの統率が万全であっただけに、各隊は彼の命令を尊重してその場に腰を据えてしまった。


 まさかこの命令が、のちに「名無しヶ丘の戦い」と呼ばれる合戦を泥仕合へ導くとは、この時誰も予想しえなかった。




◇◇◇




 一方、闇渡り側でも、事態は当初の思惑から大きく外れてしまっていた。


 本来なら密かに掘り進んだ坑道を使って大きく戦場を迂回し、本隊が持ちこたえている間に背後から奇襲をかけて攪乱かくらん、本隊が前進し挟み撃ちにする……という筋書きだった。


 だが、肝心の坑道からは夜魔があふれ出し、作戦通りに進軍している者は百名にも満たない。坑道の幅の狭さが一度に入り込める人数を制限してしまったため、イスラが天火の台座を叩き落とした時点ではほとんど戦力の投入が出来ていなかったのだ。


 サウルの手元にはおよそ二五〇〇の兵力が残った。四〇〇ほどを割いて坑道の夜魔を対処させているが、防衛線を維持するのがやっとのところだ。


「つまり、俺らが生き残るには都軍あいつらをぶち抜くしかないってわけだ」


 しかし、当のサウルは悠然としていた。「ギデオン」が裏切り、せっかく奪った天火が失われたと聞かされたときも、表情に変化は現れなかった。


 ただ「そうかぁ」と呟き、夜空に浮かぶ月を見上げただけだった。


 その不気味なほど静かな態度に、さすがのアブネルも何かうすら寒いものを感じた。一瞬後には憤怒の形相で振り返ったサウルに首を刎ねられるかもしれない……サウルは失敗を赦す男ではないから、自分もまた伐剣の餌食になるだろうと覚悟していた。


 だが、いつまで経ってもサウルは怒らなかった。


 周囲に矢や焼夷弾が降り注ぎ、炎がすぐそこまで迫っているにも関わらず、櫓の上で身じろぎもせずにいる。


 熱風が陽炎かげろうを生み、火だるまになった人間を揺らめかせる。一人の闇渡りが、振ってきた巨大な矢で頭をぶち抜かれ、脳漿や血や骨、肉が辺りに飛び散った。狂気にかられ、伐剣を抜いて斜面を駆け下りた男が即座に矢達磨になった。


 数か月にわたって用意した策があっさり崩され、勝利の御旗であった天火までもが失われた。おまけに背後からは夜魔が湧き出し、瘴土の闇が自分たちを飲み込もうと迫ってきている。誰がどう見ても絶体絶命だった。


「頭……っ!」


 幾多の修羅場を潜ってきたアブネルでさえ、「詰み」だと思った。


 サウルが振り返ったのはその時だった。


「ようアブネル、ずいぶんしょげ返ってるじゃねえか」


「……!?」


 アブネルは絶句した。


 サウルの顔に浮かんでいたのは怒りでも悔しさでもない。純粋な喜悦の表情だけがそこにはあった。四十路にもなる、決して若いとは言えない男の顔に、若者でさえ太刀打ち出来ないような精気が満ち満ちている。


 どっこらせ、と呟きながら立ち上がり、ウドゥグの剣を肩に乗せたままぶらぶらと櫓の四辺を歩き回る。


「どいつもこいつも、なんて面してやがる……」


 櫓の下には何をしていいか分からず右往左往する闇渡りばかりだ。弓兵達は何とか反撃しているが、それ以外にやりようがないからやっている、という風にも見えた。年老いた戦力外の闇渡りに至っては流れ弾を恐れて廃墟の陰に引っ込んでいる。聞こえてくるのは悲鳴ばかりで、鬨の声などどこからも聞こえてこない。


 だから、サウルは櫓から飛び降りた。


 十ミトラ程度の高さから降り立ったサウルに、怯え切っていた闇渡り達の視線が一斉に向けられた。


 サウルはすぐ近くにいた若い闇渡りの胸倉を掴むと、その顔に平手打ちを喰らわせた。鞭で打たれたような音とともに男が倒れる。それに気を取られた別の男の顔にも、サウルは同じように平手打ちを入れた。


 無言無表情のまま、肩をいからせ力任せに打ち倒していく。その姿は、並み程度の身長しかないサウルを何倍にも大きく見せた。


 四人、五人と立て続けに地面に転がした頃には、王の気迫に誰もが呑まれてしまっていた。


 闇渡り達の視線が一斉に集まる中、サウルは鍔鳴りの音と共にウドゥグの剣を抜き放った。


「おい、お前」


 最初に打ち倒した男に向けて、サウルはウドゥグの剣を突き付けた。


「煌都の連中が、明るい天火の下で白パンと麦酒ビラーを飲み食いしていた時、お前は何を食っていた?」


「な、何を、って……」


「鳥、魚、獣、時々虫。そんなところか? つまるところ、お前が自分自身で獲った獲物だ。それがお前を創った。お前がそうやってきたように、俺もそうやってきた。……ってことは、だ」


 吐き捨てるように言うなり、サウルは剣を薙いで兵士達に向き直った。




 ――お前らも同じだッ!!




 戦場の全ての音を掻き消すかのように、サウルは絶叫した。どんな戦鼓でも出せないような音が、いかなる銅鑼でも響かせられないような震えが、居並ぶ闇渡り達の間に瞬時に伝播した。


「おい貴様ッ!!」


 衝撃の冷めやらぬうちに、サウルはまた別の闇渡りの胸倉を掴んで引き寄せ額に額を打ち付けた。


「煌都の男は、女をなだめすかしてようやくベッドに入れるそうだが、お前はどうやっている!?」


「俺は……! ふんじばって、転がして……!」


「そうだろうよ! それが一番だッ!」


 突き放し、また別の闇渡りに問いかける。


「お前の寝床は!?」


「樹の上、岩の上、それから洞穴の中だ!!」


「おうよ、だから闇渡りの背中は刃を通さねえ! お前の背中に比べりゃあ、ふかふかベットに甘やかされたあいつらの身体なんざバターみたいなもんだ!」


 胸を叩き、振り返り、降りてきたアブネルに問いかける。


「おいアブネル。俺らは何だ」


「闇渡りだ」


「そうだな。じゃあ、俺らはこれから何をする?」


 アブネルは伐剣を抜いた。鉄面皮の一部に喜悦を滲ませ、ウドゥグの剣に護拳を打ち付けた。


「戦いだ」


「ちょっと違うな」


 サウルの演説など構わず次々と矢や焼夷弾は飛んでくる。だが、今やそれに恐れを抱く戦士はいなかった。立ち上る炎の熱さなど、彼らの胸の内で滾る戦意に比べれば、どうということも無かった。


「戦い? そりゃあ対等の者同士の話だ。


 俺たちは闇渡り。俺たちの血肉は獣で出来ている。力に物を言わせ、死の夜を渡ってきたのが俺たちだ。光の下でぬくぬくと肥え太ってきた連中なんざあ、もとより敵じゃあねえんだよ」


 いまや戦士のうちで誰一人、恐れ慄いている者はいない。王の言葉は、天火以上に彼ら自身の姿を浮き彫りにし、かつ激励した。


 居並ぶ者共の顔を見渡しサウルは満足げに頷いた。今、最高に楽しい。猛獣を縛る大縄に手を掛けている気分だ。天火が無くなったとか、裏切られたとか、そんなことはどうでも良かった。むしろギデオン・・・・に感謝の気持ちさえ抱いている。




「俺たちは闇渡り。だから何もかも、一方的に、容赦無く、徹底的に――奪ってやろうじゃねえかッ!!」




 歓声が湧き立つ。無数の伐剣が掲げられ、燃え盛る炎がその刀身を輝かせた。


 戦意を漲らせ、闇渡りたる誇りと歓喜に打ち震えた猛者達が地団太を踏む。今や彼らは、燃え滾る溶岩流に等しかった。


 それは、「王」という象徴を得たからこそ発揮出来るものだ。


 ラエドやナザラト、あるいはカナンやオーディス、そしてイスラ。誰もがウドゥグの剣に注視するあまり、最も重要なことを見落としていた。



 闇渡りのサウルが、王であるという事実を。

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